カード様にひれ伏す
「おい、馬鹿千明。てめえなに弱いくせにかっこつけてやがる。邪魔だ、どけ」
ザリ、と剣先が砂を削る音がした。
ちらりとセトを振り返ると、ぎこちないながらも立ち上がっている。
「退け」
兜の向こうで、セトが睨んでいるのが解る。
「やだ」
それを見つめ返しながら、千明は震える声で言った。
「今にも小便ちびりそうな顔で何言ってやがる。いいから退け」
「やだ」
間髪入れず答えた千明に、セトが無言で剣を持ち上げた。
その無言が怖い。
「……退かねえなら、その頭ぶん殴ってでも退かすぞ」
「やだ」
ループである。
セトが苛立たしげに舌打ちしたが、それでも千明は退くわけにはいかなかった。
「セトが死ぬのはいやだ」
この世界に来て、初めて言葉を交わし、触れ合った体温を持った人間がセトだった。
それが、どれだけの救いであったか、きっとセトには解らない。
右も左も、なにもかも解らない場所で、千明のことなんか誰一人知らない世界で、どれだけの心細さを感じていたかなんて、セトにはきっと想像もつかない。
しがないただの女子高生が、全く次元の違う世界に落っことされて、どれだか寂しかったかなんて。
千明はセトから視線を逸らすと、正面のゴーレムを見つめた。
何故かゴーレムは、こちらに手を伸ばした状態のまま動こうとしない。
まるでじっくりと千明を検分されているようで、鳥肌が立った。
「セトは食べちゃだめ!」
叫んでから、まるで犬でも叱っているような気分になった。そういえば、隣の家のペンナイフ(芝犬三歳)は元気だろうか。会いたい。会ってもふもふしたい。
ゴーレムが動いた。
動くたびに、ゴゴ、と岩同士が軋む音がする。
セトが千明を力づくで退けようと手を伸ばしたとき――、目の前の光景に眼を丸くした。
ゴーレムは小さく動いたかと思うと、伸ばしていた手を地面につき、片膝を立て、まるで主に忠誠を誓う騎士のように傅き、ゆっくりと頭を垂れたのだ。
「えっ」
ゴーレムの頭が下がった途端、頭突きでもかまされるのかと思って、千明はその場にへたり込んでしまった。
そんな千明を、ゆっくりと顔を上げたゴーレムが近距離で見据える。
眼はないのに、見られていると感じた。
でかい。
千明の何倍もある頭が、ゆっくりと近付いてきた。
「ひっ」
思わず後退ると、背中がセトにぶつかった。
「……待て、動くな」
セトに小さく言われ、こくこくと頷く。
セトも千明に倣ってしゃがみこみ、視線を低くする。
そうしていつでも千明を守れるよう体勢を整えながら、目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。
近付いてきたゴーレムは、まるで千明を怖がらせないように気遣うようにゆっくりと動いていた。先ほどの荒々しさなど感じさせない。まるで知性でもあるかのような動きに、セトは困惑する。
こんな動きをするゴーレムなど、初めて見たし、報告を受けたこともない。
ゴーレムは言葉も意思もない。ただ本能のまま破壊活動を繰り替えす、一種の破壊道具のようなものだ。
だがそのゴーレムが今、しゃがみこんだ千明の脚先にそっと己の額をつけた。
それはまるで、犬や猫が主に甘えるときのような仕草に似ていた。
千明は思わず拍子抜けして、あまつなんか可愛いと思ってしまったのだが、セトは違った。
巨大なゴーレムが、弱者でしかない千明に傅き、その脚にひれ伏す――それは、隷属を誓う証だ。
「どうなってんだ……」
とりあえず呟いてみたが、この不可解な状況を誰も説明できそうもない。
もしかしたら、ペト神の加護がこんな場所で発揮されたのかもしれない。が、神話で語り継がれるペト神と、古代遺産のゴーレムは対極に位置する関係にある。もしかしたら、歴史的見解が引っくり返るかもしれない。
「……ええと」
千明は困惑した。
ゴーレムの額はいまだ千明の脚の甲につけられたままである。
とはいえ重みは一切感じない。岩の感触が、うっすら感じられる程度の距離を保って、ゴーレムは頭を下げていた。
周囲に広がる赤い砂とは違う、乳白色に近い岩肌の頭が、千明視界全てを覆っていた。
手を伸ばせば、届く。
何故か、そんなことを思いついてしまった。
千明はおそるおそる手を伸ばし、いつまでも頭を上げようとしないゴーレムの頭を撫でた。
もう一度言う、撫でた。
セトの心境を語ると、こうだろうか。二度繰り返しても足りないかもしれない。
ゴーレムの頭を、撫でた。
なにやってんだてめえ刺激すんな、と言いたいところだったが、撫でられたゴーレムがゆっくりと顔を上げたことでそれも口にできなくなった。
まだ油断はできない、と剣を構えるセトを横目に、千明は尻餅をついたまま、あろうことかずりずりとゴーレムに近付いていく。
止める間もなく、おもむろに掲げられた千明の両手がゴーレムの顔に触れた。
とはいえスケールが違うので、ゴーレムの口らしき亀裂の下に、千明の両手がぺったりとくっつく形になる。
千明の手を受けて、ゴーレムがふるりと震えたような気がした。
それはどこか感動に打ち震えているようで、どちらにせよ、セトには信じがたい光景である。
「……食べない?」
千明が恐る恐る尋ねてみると、ゴーレムは千明から少し距離をとってからこっくりと頷いた。
頷いた。
今度も二度言わせてもらう。いや、やはり何度言っても足りない。
あのゴーレムが、意思表示を、した!
正直、有り得ない光景だった。
ゴーレムを従える少女――。
そういえばそんな内容でヒットを飛ばした劇作家がいた気がするが、まさかその作家もそんな存在が実在するとは思いもすまい。
それと共に、とんでもない存在がこの世界に落ちてきたと、頭が痛くなった。
ゴーレムは人工物だが、それの影響は天災並みだ。基本は単独行動だが、時に集団となって人や建物、土地を破壊したりする。
そんなゴーレムを従えることができる人間。恐らく、どれだけ高名な魔術師でも無理なことを千明はやってのけている。
ゴーレムは人工である故に、魔術のほとんどが効かない。全く効かないわけではないが、攻撃系の魔術のほとんどを無効化する謎のスキルを持っている。一体先人はなんのためにゴーレムを作ったのか全く理解できないが、正直古代遺産として残すには迷惑すぎる存在だった。
とはいえ、ありったけの膨大な魔術でぶつかれば破壊することは可能である。個体差があり、ある程度の大きさなら、多少魔術に覚えがある者が三人いれば、なんとか破壊することが可能である。
とはいえ、ここまでの巨体だと膨大な魔力持ちであるセトでも骨が折れる。
破壊はできるが、そこに加減が加えられない程度の魔力の放出が必要になる。だからこそ千明を逃がし、距離を取ってから破壊するつもりだった。
千明が傍にいれば、加減なしの魔力など放てない――セトは魔力量は多いが、基本繊細さに欠ける為、そういった操作が苦手でもあった。
とりあえず力に任せてぶっ飛ばす、それがセトである。とはいえ、全くの不器用というわけではないので、一国の軍で閣下という地位に就いているのだが。
今回のゴーレムは、最大級とはいかなくともでかかった。近年稀に見るサイズだといってもいい。だからこそ、千明を逃し、跡形もなく破壊してやろうとしたのに――。
『セト!』
千明の悲鳴が蘇る。
泣きそうな顔でセトを目指し戻ってきた千明を思い出し、セトは舌打ちした。
自分が不甲斐なかった。
あんな小さな体でゴーレムに立ち向かわせるつもりなどなかった。もっと早く決着をつけていれば、あんな顔をさせずに済んだのに。
千明は善良な人間だ。
まだ共にいて日は浅いが、悪事を率先して働くような腐った根性はしていない。無知ゆえの純粋さか、それでもわからないなりにセトに気を遣い、自身の力でなんとか立とうとする。他者のために、ゴーレムに立ち向かう勇気もある。
だが、千明自身がどうあれ、ゴーレムを隷属させるその存在を悪用する人間が世界にどれほどいるだろうか。千明をうまく操り、或いは脅迫して、ゴーレムを使って悪事を働こうとする者など、掃いて捨てるほどいるだろう。もしかしなくとも個人だけでなく、一国が千明を抱え込みゴーレムを軍事利用することだって在り得る。
今は軍国シュバイツが最も強固な軍事力でもって世界の均衡を保っているようなものだが、そこにゴーレムが参入すればどうなる。
この一体だけでなく、世界中に散らばるゴーレムを隷属させる力を千明が持っていたとしたら――。
その考えに、セトはぞっと背筋が冷えた。
それは、世界の破滅だ。
(……保護だけじゃ足りねえ。全力でシュバイツに繋いでおくべきだ)
千明がある程度知識を身につけ、特別仕様の召喚カードの使い方にも慣れてくれば、いつかは監視下から解放してもいいという選択肢が完全に消えた。
見れば、千明はゴーレムの掌に乗り、まるでゴーレムと対話するように向き合っている。
そんな真似できる人間がどこにいる?
「……くそが」
セトの口から、もう一度舌打ちが漏れた。