Candy Halloween
「年上をからかわないの」
年上の威厳というわけでもないけれど、若干ふざけて窘めたら、肩をすくめながらもまだ笑っている。どうにも、先輩扱いされていない気がするな。
彼の横に立つと高い身長のせいで、少しだけ見上げるように話すようになる。今はヒールを履いているから少しで済むけれど、スニーカーだったら首が痛くなるかもしれない。身長が高いわりに猫背ということもなく、彼の背中はいつもピッとしていて姿勢がいい。口数は少なく、はしゃぎすぎるというところがないから、年齢差はあるもののあまり幼いイメージはない。
専属教育係というわけではないけれど、新人君には普段から何かにつけて瞳子さん、瞳子さん、と頼られていた。そうなると、つい可愛くなってしまい情も移るというものだ。情以外の感情については、今は置いておこう。
「瞳子さんて、いつも楽しそうですよね」
「そう? イベントがあると、盛り上がるしね。明るい気持ちになるから、好きよ」
情以外の感情を端に置いたというのに、この子はなんて屈託なく懐いてくるのだろう。その辺の猫なら、モフモフしちゃうところだよ。
「瞳子さんの笑ってる顔、好きです」
サラリと言われて、「そう」なんて同じようにサラリと返してみたけれど、内心では少しドキドキしていた。深い意味なんてないと思っても、「好き」なんてダイレクトに言われてしまっては、乙女心が反応してしまうというものだ。端に置いてきたはずの感情が、チラリ、チラリと顔を出したがっている。
しかし、二十歳そこそこの学生相手に、何をドギマギしているのか。しっかりしなさいよ、瞳子。
乙女心は再び置いといて、飾り付けの後始末をしながら、新人君が手に持っていた残りの飾りを受け取った。
「遅くまで、ありがとね。下で、お茶でもしよっか」
店長に美味しいカフェラテでも淹れてもらおう。
飾り付けの入っていたバスケットを持ち上げようとしたら、その手を握られ驚いた。突然のことに目を見返すと、さっきまで笑ってばかりいた表情はもうそこにはない。とても大人びた瞳でまっすぐ見つめられれば、端に置いてきたはずの感情が容赦なく暴れ出す。
バクバクと騒ぎ出した心臓の音を抑えつけ、なんとか平常心を保とうとしていたら、真剣な眼差しのまま彼の口が動き出した。
「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうよ」
新人君が手を握ったままで囁いた。手を握られたこともそうだけど、潤んだような恍惚とした瞳に、乙女心は黙っちゃいない。びっくり箱的な箱の蓋を開けてしまった時のように、何度も弾む落ち着きをなくした心臓は、新人君に反応してやまない。
階下からは、店長の笑い声や橋口君の盛り上げるような話声が聞こえてくる。天乃さんの、楽し気な笑い声も時折聞こえてきていた。和気藹々としたこの雰囲気が、閉店後だというのにこのカフェを明るくしてくれている。日常にあるこの場所の雰囲気を体に取り込み馴染ませて、新人君に気づかれないよう、そっと息を吐き出した。心の平静を取り戻そうと、誤魔化すように普段以上に笑ってみせる。
「もう、ふざけて」
新人君のおふざけをかわそうとしたのだけれど、さっきみたいな笑顔は返ってこない。
「僕、ここで働き出して二ヶ月以上経ちます。瞳子さんには、ずっと“新人君”て呼ばれてますけど。僕、黒木です。黒木愁です」
自身の存在意義を訴えかけるように、彼は私の手を握ったまま放さない。
「そ、そうだよね。ごめん、その……黒木君……」
名前をちゃんと呼ばなかったことへの不満を述べられて、すぐさま頭を下げた。だけど、うまく呼べない理由もあったりするのだけれど。そんなの彼にわかるはずもなく……。
「働きながら、ずっと瞳子さんのことを見てきました」
握った手はそのままに、黒木君は目を逸らすことなく私を見つめてくる。
「明るくて、仕事もできて。周りに気を配ることも忘れない。僕はそんな瞳子さんが好きです」
強引に手を握り、告白じみたことを言い出した彼を思わず凝視してしまった。
いや、じみたではなく、これはれっきとした告白なのだろう。動揺し過ぎて、ちょっと理解に苦しむ。いや、苦しいというよりかは、嬉しい?
こんな年上相手に、告白なんてしてくるなど思いもしていなかったし。何よりモデル並みの黒木君が、好意を持ってくれるなんてありえな過ぎて嬉しすぎる。いや、それは違うか。モデルとか、そういう以前の問題なのよ。
だって好意を持っていたのは、私も一緒だから。うまく名前で呼べなかったのは、自分の気持ちが先走るのを止めるため。学生相手に恋心を抱いて撃沈なんてしたら、立ち直れないもの。気持ちを抑え込み、新人君と呼ぶことで、上下関係を自身に言い聞かせてきた。
「トリック オア トリート」
彼が再び口にした。
「お菓子をくれなきゃ、キスしちゃうよ」
イタズラな笑みが憎らしいのに、嬉しくてたまらない。
大人びた顔つきで迫る顔が、愛しさに染まっていく。
残念ながら、お菓子も甘いキャンディも持ち合わせていない私は、黙って瞳を閉じた。
「瞳子さん。ずっと好きでした」
階下の賑やかな笑い声に交じり、もう一度囁かれる言葉にとろけてしまいそうだ。イベントごとには無縁だったのに、今年の後半は忙しくなりそうだ。ハロウィンのあとは何だっけ。読書の秋? それは、あとじゃなくて、平行線上か。それに、私の場合は、読書よりも食欲が勝ってしまうだろう。新人君じゃなくて、黒木君は私の食欲についてきてくれるだろうか。一緒に美味しいものを食べに行けたらいいな。
「何考えてるんですか?」
触れていた唇を少しだけ離して、瞳の奥を覗き込むように訊ねられ対応。
「一緒に美味しいものが食べたいなーって」
素直に答えたら、ふって笑われてしまった。
「なーによぉ」
少しだけ頬を膨らませたら「可愛すぎですよ、瞳子さん」と抱き締められた。
大きな背中に手を回すと、広い胸にすっぽりと収まって、トクントクンという彼の心音が、聴き心地のいいメロディみたいに気持ちを穏やかにしていった。
「クリスマスも大晦日もお正月も。一緒に美味しいもの食べに行きましょう」
抱きしめられた胸の中で頷くと、少しだけ体を離した黒木君から再びキスが降りてきた。
「トリックオアトリート。欲しいのは、お菓子じゃなくて瞳子さんです。ずっと一緒にいてください」
ジャックオーランタンやお化けが見守る中、キャンディのような甘いキスが続いた。階下からは、まだ賑やかな笑い声が聞こえてきている。
Trick or Treat。
お菓子をくれなきゃ、キスしちゃうぞ――――。