発つ者記憶に残らず【完】
その風が治まって一体何だったんだ今の風、と思いつつ乱れた髪を手袋をはめた手で直すと静電気でさらにボサボサになりうんざりする。
もう、なんなのよ一体!ここはどこなの!私は誰なの!
自暴自棄になって不貞腐れていると、ふいに空が赤い色に染まって見上げた。なんだろう、後ろがやけに明るい、と思って明るくなったことで足元が見えるようになりその方向に進んで行くと、また頭上を激しい突風が吹き抜けてまたしゃがんだ。でも今度はしっかりとその目で見ることができた。
謎の突風の正体はなんとドラゴン。
目を凝らせば無数のドラゴンが飛んでいて、森を抜けて少しひらけた崖の上に出るとその信じられない光景に目を疑った。
遥か眼下に広がる街がドラゴンが吹く炎によって焼き尽くされていくところだった。熱気が私のいるところにまで伝わってきて空気の熱さに慌てて口に手を当てる。まともにこの空気を吸ったら喉が焼かれそうだ。
ふと見ると、1頭の黒いドラゴンがその場に留まって飛んでいた。この体は視力がいいのか、よく目を凝らすとその背中に誰かがいることがわかる。他のドラゴンは体がすごく大きいけど、あのドラゴンだけふた回りぐらい小さかった。
ドラゴンはこれまでの転生の中で出会ったことはない。でもユニコーンがいる世界にいったことがあるから別にその存在に驚くことはなかったけど、やっていることが残虐すぎてもうわけがわからなかった。
この世界にはドラゴンがいて、ドラゴンに乗れる人がいて、街が焼かれてしまうことがある、そんな世界。こんな世界になんでこんな形でやってきてしまったのか。
呆然と立ち尽くしてその黒いドラゴンを見上げていると、そのドラゴンの首が動いてその目が私をばっちりと捉えた。ぎょっとして思わず後ずさったけど、動いたのがまずかったのか一直線にこっちに向かって降下してくる。水鳥が海の中に魚めがけて真っ逆さまに突っ込んでくるかのように落下してくるもんだから慌てて森の中に引き返したけどもう遅かった。
森の中に入る前に後ろから迫ってきたドラゴンの手に捕まり逃げられなくなってしまった。脇と胸に回された指の鋭いかぎ爪が炎の光でキラリと鋭く光ってサッと血の気が引いた。やろうと思えばこの手で握り潰されてしまうんだと想像すると恐怖で歯がガチガチと鳴った。
「ねーねーレイドー。これどーしよー?」
急に甘えるような少年の声が聞こえてビクッとした。
こ、このドラゴン話せるの…?
「…それは生きているのか」
上に乗っている男の人にそれ、と呼ばれたけど何も言えずに沈黙を貫く。
生きていたらどうするつもり…?
「わかんなーい。さっきは動いてたよ?いらないなら僕のおやつにしていーい?」
人間がおやつ!?ドラゴンって人間食べちゃうの?やめて食べないで!死んじゃうから!事故で死んだら転生のカウントに入らないんだから!
声だけ聞こえてまったく上の人がどんな人なのか見えなくてもうわけもわからずブルブルと震えていると、トン、と私を掴んでいるドラゴンの手の上に靴が乗って反射的に見上げた。そこにはドラゴンの腕を左手で掴み絶妙なバランス感覚で指の上に立つ男性がいた。
スラっとした長身でサラサラの黒い髪に憂いを帯びた黒目の眼差しに思わず見とれる。今までこんな綺麗な人、会ったことない。
その人はドラゴンが翼を動かすたびに発生させる揺れをもろともせずに私の目の前にしゃがんで目線を合わせてきた。それでも彼の顔の方が上にあるから上目遣いに見上げる形になる。
「……」
じーっとただただ見つめられてかなり居心地が悪い。何かを言うわけでも言われるわけでもなくただ見られるのは気分のいいものではなかった。