発つ者記憶に残らず【完】
「謙遜する必要はないわ。もっと堂々としないと」
「そ、そう言われましても…」
「こっちは農産物の種別収穫高…これは火災の被害額…これは…」
これは…ヘイト村のことについて!?
「あ、それはダメです」
バッと強引に上からそれを取られて見上げると有無を言わさない顔があって驚いた。なんだ、そんな顔もできるんじゃないの。
私は肩をすくめて謝った。
「わかったわ。勝手に見てごめんなさいね」
「あっ。その、気分を害されましたよね…」
「全然。むしろ上出来。ていうか、あなた何者なの?こんなに重要な書類ばかり持って」
「私はノイシュ様付きの騎士でして…」
あらら、こりゃビックリ。まさか上兄の騎士だったとは。じゃあ秘書みたいな感じか。だからこんなに書類の束を持ってたのね。
ふむ、利用価値ありそう。
「おおよそ、これから向かっているのはノイシュお兄様に関係があるところね?」
「まあ、そうです…執務室なんですけど」
「なるほどなるほど」
じゃあお邪魔させてもらおうかな、とちょっと上機嫌になって隣を歩く。そんな私の様子にトーレンは困惑した表情を見せたけど、書類についての質問を投げかけると答えてくれて、トーレンも私が隣にいることがだんだん気にならなくなったみたいだった。
ほら、今も少し口角を上げて笑ってる。笑うと少し頼もしく見えるからこれぐらいの表情を心がければあんなにひ弱に見えないのに、と思った。
そしてトーレンは執務室にたどり着いたのか、ドアをノックする前に私が持っていた書類をスッと流れるような動作で抜き取った。それをぽかんと見つめて目で追いトーレンの顔を見上げると面白そうに歯を見せて笑っていた。
「そんなしょんぼりとした顔しないでくださいよ」
「ど、どんな顔…?」
すっかり心を開いてくれたトーレンは私の顔を見てクスクスと笑うとぺこりとお辞儀した。
「すみません、ここでお待ちください。そこまで時間はかからないと思うので」
「う、うん…」
なんか逢い引き前の男女みたいなこそばゆい空気だな、と思いつつ素直に頷いて彼がノックしようと手を軽く握ってドアを指で叩こうとしたとき、あろうことか内側からガチャッとドアが勝手に開いて私達は固まった。そこから廊下に顔を出してきたのはあろうことかノイシュ本人。
彼はトーレンを見、続いて私に視線を向けた。何も言えず、機械のようにギギギ…と顔を上に向けると真顔のノイシュがいて、ひいっと口角が引きつった。
ど、どうすればいいのこの状況…
「…トーレン、書類、ご苦労だったな。とりあえず中入れ」
「は、はいっ」
小声で返事をしてノイシュの横をすり抜けて中にそそくさと入って行ったトーレンを顔を前に向けて目で追うと、目の前にノイシュの手が差し出されてビックリしてそろりと上目遣いに見上げた。見ると彼の端正な顔は少しだけ困ったように歪んでいた。
「…中、入るか」
「あ…」
好奇心と遠慮の瀬戸際にある精神が反復横飛びをした結果、好奇心が勝ってしまい、トーレンと同じように横をすり抜けた。後ろでバタンと閉まる音とノイシュに追い越された気配でビクッと肩を上げたけど、ノイシュを目で追ってみたら執務室の中も見えてきて私は驚きで目をこれでもかというぐらい見開いた。
「す、凄い…」