発つ者記憶に残らず【完】
「パパ!あのね!肉!」
「…これは肉じゃない」
「赤くて細い肉!」
「…違う」
「パーパ!お腹空いた!」
え、まさか私の髪を肉と勘違いして私の肩に乗ったってこと?いや違うし、ハンバーグに使う合い挽き肉じゃないから!と、髪を両手でひしっと掴んだ。
でも、パパ、パパ、と駄々をこねるヒアはさらにガジガジと指を噛み始めた。
「もうやめろ、痛い」
「おーなーかーすーいーたあーー!!」
「…トーレン、すまない」
いつの間にか干し肉を持っていたトーレンがそれをヒアの前でちらつかせると、そっちにバッと飛びついてヒアは無言で美味しそうに食べ始めた。それに対してノイシュがお礼を言った。
必死にかぶりつくその口にキラリと鋭い牙がズラッと並んでいてゾッとする。あんなのに髪を噛まれて引っ張られたらひとたまりもない。さらに私はぎゅっと髪を握った。
「あー、お腹いっぱい…」
手のひらサイズのヒアは自分と同じくらいの大きさの干し肉の半分ぐらいを食べると、お腹いっぱいになって眠くなったのかそのまま眠ってしまい、ぶら下がっている干し肉から落下した。
ノイシュよりも早くその小さな体を私が素早く両手でキャッチすると、大きく膨れたお腹を上下させて眠るヒアがなんだか可愛く見えてクスッと笑った。
まだまだ赤ちゃんなんだなあ、とまじまじと目線の高さに上げて眺めているとノイシュの片手が下りてきた。
「…こっちに下ろせ」
ああそういうこと、と思って両手を彼の片手の上に持っていきゆっくりと開いてヒアをその大きな手のひらに乗せた。その手がスッと上に上がって目で追うと、ノイシュの真顔があってギクッとした。
…やばいなあ。きっと、ディアンヌと今までこんなに関わったことないだろうし、何考えてるのかわからないけど怪しまれてるはず。
また口元を引きつらせていると、ノイシュは首を傾げた。
「…おまえ、怖くないのか?」
「えーっと…たぶん」
確かにさっきまであんなに嫌がってたのにどういう風の吹き回しだと思われても仕方ない。腰に抱きついておでこを押し付けてたさっきの態度からしてそう思われるのはごもっとも。でも怖くないのも事実で、さっきのは驚いただけで怖くて逃げたわけじゃない。
「さっきは…ちょっと、ビックリしただけで…」
「なるほど」
それだけ言うとノイシュは顔を上げて私達から離れて、寝床らしきぶら下がっている小さなカゴにヒアを置いて戻ってきた。
さて、とノイシュは腰に手をあてる。
「それで、おまえは誰だ?」
その言葉に私の目の前は真っ暗になったような気がした。