発つ者記憶に残らず【完】
「確かにこんな私を信用するなんて無理な話だと思う。本当に中身は別人かもしれないし、ディアンヌが冗談で自分がマリアだと主調してるかもしれないし、別の人格が突然生まれたのかもしれない。考えだしたら切りがないけど、そうやって警戒するのは当たり前。むしろあなたの主の方がどう考えたっておかしいもん」
「ノイシュ様を侮辱なさるのですか…?」
「勘違いしないで。あの人がきっと国王になれる素質を持ってるっていうのは私でもわかる。でも、あの人の影響をもろに受けてはダメ。あなたには刺激が強過ぎる。普段から一緒にいてあまり感じないかもしれないけど。だからなおさら…あなたはあなただっていうことを見失ってはいけないの」
こんなこと、私が言える言葉じゃない。自分を見失わないで、なんてどの面下げて言ってんだかって感じ。何人もの記憶を持っていて多くの人格を経験した私が言えることじゃない。
でも、目の前で主の意向と自分の気持ちのどちらを尊重するべきか迷っているトーレンを見たら言わないではいられなかったのだ。
「それに、私は16歳の女の子。精神年齢はそれよりも上かもしれないけど、あまり気にしなくていいから。あともう1度言うけど、殺さないで。真実がどうであれ、王女を殺した罪を問われたら処刑されるのは免れないから…自分の命、大切にしなくちゃダメ。私なんかのせいで棒に振っては勿体ないから」
「…はい」
「もうほら、行こう?私の部屋まで案内してくれるんでしょ?」
「…は、い」
泣くのをこらえているのか、返事が一瞬裏返ったものの私はそれを聞かなかったことにしてそのまま掴んだ彼の右手をぐいぐいと引っ張った。彼の顔を見ず、ただ前だけを見つめて。
彼は背筋を伸ばし、私の手から右手を引き抜いてスッと歩き出した。私もその後ろを黙って歩き、声をかけることはしなかった。
執務室に来る前よりは小さく感じられたその背中だけど、その分、何かが彼の中で凝縮されたような感じがした。
…彼にはなんとなく、頑張ってほしい、と思った。自分の信念を貫いてほしい、と願ったんだ。