発つ者記憶に残らず【完】


そこからの記憶は曖昧だった。彼女は必死になって俺を求めたが、俺はそれに答えることはなくただ流れに身を任せた。気づけば朝になっていて、隣を見てももぬけの殻だった。だから本当は夢の中の出来事だったのではないか、と思ったが、トーレンからディアンヌがなぜかレイドと昨夜帰還したこと、ヘイト村の鎮圧に成功したことを聞かされたことで頭がだんだんとさめてきた。


"帰還後、レイド様は出立の前にディアンヌ様を連れてどこかへと行かれました"


あの女のやりたいことがわからず、それを聞いたときは俺も欲求不満だっただけだと潔く忘れることにした。実はああやって男に言い寄っているような女だったのかもしれないと思うと正直、幻滅した。自分を貫き周囲を諦めさせるもなぜか常に堂々としていた彼女の姿には野生を感じていたのだ。

そう。彼女は誰よりも人間臭くなく、誰よりも人間を理解していた。だから人間からは嫌われた。

しかし、次の日に現れた彼女はずっとビクビクとしてよそよそしかった。その態度が俺に向けられたものではなく周囲に向けられたことだとわかるまでそう時間はかからなかったが、やはり様子がおかしかった。

食事のマナーをそつなくこなし、ヨハンとフォルテのやり取りに不快な顔をし、トーレンと楽しげに会話をしていた。今までの彼女なら考えられない話で、その腹の中を暴こうとしたときにふととある可能性が出てきたため、問いかければその可能性は事実となっていた。

中は別人…そんなことがあってたまるか、と思った。

昨夜のディアンヌの行動の意図を探ろうと思っていた矢先、もう彼女はいないという。俺はそれを嘘だとは思わなかったが、受け止めたくないという気持ちもあった。歯がゆさを感じていたものの、いきなり抱きついてきたあの小さな頭が昨夜の姿と被って見えそこに手を置けば思っていたよりも熱かった。

子供みたいだな、と思いつつ、子供だったな、と思い出した。そう、マリアは子供みたいだった。まだあどけなく無邪気な少女。その一挙一動が俺の心をくすぐってくる。

慌てふためき、かと思えば神妙な面持ちをする彼女はもうディアンヌではなかったが、人間臭いマリアを見ているとこちらの方が彼女らしいと思うようになった。

ディアンヌとマリアの関係でまだわからない部分もあったが、俺やディアンヌとは違い人間らしい彼女は輝いて見えた。

だから…

そんなマリアが、あそこで人形のように倒れ込み置き去りにされ、好機の目に晒されているのが我慢ならなかったのかもしれない。生きてこそ輝く彼女が、血に染まった死人のようになっている姿を見て放って置けなかった。

できるだけ彼女をその視線から隠し、遠くに連れて行きたいと思った、という気持ちは後付で、あのときはそんなことは考えず体が勝手に動いていたようだった。

だからわからないんだ。

俺はなぜこんなにも、彼女のことでむきになっているのか。

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