発つ者記憶に残らず【完】


「もうすでにこの国に王はいない」

「死んだってこと?」

「ああ。前王は5年前に死んでいるが、その頃から王は耳が遠くなり話さなくなっていったことになっている。城から出ることもなく、俺が代行し国営を賄うことになったのもそのせいだ」

「…へ、へえ」


私は知らないけどそんなに人が入れ替わっていてわからないものかな?と不思議に思って微妙な相槌をしてしまった。ノイシュは私のそんな気持ちを見抜いたのかさらに続けた。


「俺が生まれたときから定期的に入れ替わり演技を慣れさせ俺たちもその影武者に馴染ませていったらしい。この際だから言っておくが…おまえは影武者の娘だ。俺たちとの血の繋がりは全くない。突然この城にやってきたおまえを隠し子だと紹介されたが、あまりにも似てないんでな。その影武者に全て吐かせた」

「い、いつ…?」

「おまえが6歳のときだ。2歳から6歳までは祖父母の元に預けられていた」


おまえって言われても知らないんだけど、と思いつつ10年前にある日突然現れた赤髪の少女を、妹を、彼はどう思ったのか。家族だと思えたのか、自分には関係のない少女だと思ったのか、それとも何とも思わなかったのか。

…最後が一番あり得そう。イメージからして。


「おまえ…ディアンヌは2歳までは母親と一緒に暮らし、その母親が失踪してからはここで暮らしている。どのような生活をそれまで送っていたかはわからないが、影武者の妻になることを深く理解していなかったのが逃げた原因だろう。育児費用のみが送り込まれる気分は俺には想像つかないが、マリアは思うところがあるだろう?」

「そんなの…だって…」

「20年以上ろくに会えず、子供が生まれてからも変わらないでいる夫をどう思う?」


マーガレットの逆版だな、という感想が真っ先に出てきて慌てて追い出した。そういうことじゃない。マーガレットは戻ることができた。戻らずにいてやっと戻る気になったけど、影武者は違う。秘密をまもり、周囲を騙し、子供ができても存分に愛せない。妻はそれを我慢し、甘えたくても相談できず、話をしようにも噛み合わず、すれ違いが続く。

私だったら…きっといつかは壊れる、と思う。想像でしかないけど。


「でもその影武者さん、私たちがここで食べたら1人で食べることにならない?」


ノイシュの質問には答えずサラッと話題を変えたけど彼の声色は変わらなかった。視線もどこかを見つめたまま。


「心配ない。その影武者ももうここにはいない」

「必要なくなったから?」

「そうなるな」


こっちもお役御免か。国事はノイシュのおかげで回ってたし、娘2人の健康的な成長のために父親として残っていたけど、もう必要ない、ということになったということだろう。


「いきなり王様がいなくなったら混乱すると思うんだけど、してないね」


忽然と王様が姿を消したらもう一大事になって、今日は城中が騒然とするはずなのにそんなバタバタや焦りはなく、いつもと変わらないように見えた。


「それは俺がすでにバラしてあったからだ」

「えーっと…?」


いい加減こっち見てよ、と何もないところを見つめるノイシュに腹が立ちながらも話に耳を傾ける。彫刻のように微動だにしない顔の角度で顎や喉のスッと伸びたラインが目立つ。その薄い唇から紡がれる言葉の糸を手繰り寄せるように私は必死に頭の中を整理しながら聞いていった。

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