発つ者記憶に残らず【完】
*
「…あ、寝てる」
しばらくして恐る恐る奥の部屋から執務室に戻るとヒアはかごの中でぐうぐうと寝息をたてて寝ていた。ときおりピクリと尻尾が動く。でもこうして固く目を閉じて寝ているとまさにフィギュアみたいだな。ハンターと戦っていそうだ。
「今日は何しようかな…」
図面とにらめっこをしているトーレンを尻目にぼそりとそんなことを呟く。ノイシュはいつの間にかいなくなっていて、忙しいトーレンのためにもここにいた方がいいと思った。
だって別の部下と一緒にいても猫をかぶらないといけないから窮屈なんだもん。それに腫れ物を扱うような感じでこっちが申し訳なくなってくる。それに比べてトーレンはありのままで接してくるからこちらとしても居心地がいいのだ。
壁一面を埋め尽くす本を見上げていると、キラリと何かが光ったのが見えた。目を細めてもさすがに視力がよくても見えなかった。なんとか梯子を動かして登り始めるとトーレンの焦った声が下から聞こえた。
「何をなさってるんですか!?」
下を見ると血相を変えて梯子の真下に慌ててやってくるトーレンが見えた。まあそりゃそうだ。気づいたら女の子が高いところまで梯子を登っていたら誰でも驚く。
「あー、そこで止まって。下着見えるから」
「……」
真下まで来られると面倒なことになるから気怠げにそう言うとトーレンの足がピタリと止まった。私を見上げていた顔を前に向けている。あ、意外とピュアだな、と思ってちょっと笑ってしまった。
ごめんね、ドレスはみんなスカートなの。
「ちょっと、気になる、ものが、あってね…」
登りながら話すと言葉が途切れ途切れになった。よいしょよいしょと登り光る何かがあるところまでたどり着くと、七色に反射する小さな透明の鱗だった。きっとヒアのだな、と思いつつそれを握りしめて梯子をまたよいしょよいしょと下りる。下りるの意外と怖いな、と思いつつなんとか下りた。
途中からちゃんと見守ってくれていたトーレンのところまで近寄ると、呆れたような顔をしていた。いや、絶対に呆れてる。
目の前まで歩み寄り右手を開いた。
「……あれっ」
「何やってんですか!!」
開いた右手は真っ赤に染まり、左手で摘んだ鱗も綺麗だったのに鮮血で朱色になっていた。鱗で手のひらが切れていたことに気づかず首をかしげると、血相を変えたトーレンが私の血で濡れた赤い右手を胸ポケットから取り出した白いハンカチでぎゅっと握った。
白いハンカチにはみるみると花が咲いたように赤いしみが広がっていき、トーレンの服の袖にも付きそうだった。