発つ者記憶に残らず【完】
「ヒア、もうわかっているだろう?」
突然ノイシュがゆったりとした口調でそんなことを言った。私には意味がわからないけど、彼らにはきっとわかっているんだろう。
ヒアはゆっくりと瞬きすると、キョロっと私からノイシュに視線を向けた。
「おまえはもう大人なんだ。20年間共に暮らしてきたが、おまえがここにいたいから覚醒しないんだと俺は思っている」
"ドラゴンには明確な幼体の時期と成体の時期があり、子供から大人になるときは体が光りだし体が大きくなり覚醒する。光がやむ頃にはもうすっかり成長した姿になり巣立っていく。成体化したドラゴンはもう親から子供として認識されることはなく、巣から追い出され縄張りに入ることさえ許されなくなる。それがドラゴンにとっての巣立ちだ"
ドラゴンの生態について聞いているときにちょうど巣立ちのことも教えてもらった。この場合の巣立ちが人間とドラゴンに当てはまるのかわからないけど、歴代の王のドラゴンは全員その姿をくらませているため、ヒアも恐らくここを出て行くことになる。
それをヒアが理解しているのかわからないけど、ノイシュと離れ難いと思ってくれているというのは彼のさっきの言葉でなんとなくわかった。まるで駄々をこねる子供のように、ここから出たくないと我儘をいうように、ヒアは目をしきりにキョロキョロとさせてにじにじとカゴの中に収まった。カゴの中でぐるりと1回転すると顔だけを出してノイシュを見下ろしている。
その目にはもう、血に飢えて狂った獣のような獰猛さはなくなっていた。
「……パ、パ」
か細い声が聞こえてきた。ヒアの子供のような高い声が部屋の中に響く。
「おまえは上級ドラゴンだ。本来なら他のドラゴンたちを束ね統率する役割がある。その存在だけで仲間の勢力の均衡を保つ力があり、人間から仲間を守る役目もある」
ヒアの仲間はあくまでドラゴンだ、とノイシュは言いたいようだった。猫に育てられた犬が自分は猫だと思うように、ノイシュに育てられたヒアは自分がこのまま人間と一緒にいられると思っている。
ヒアは自分は人間の仲間だと思いたい。でもこのままではヒアのためにならないとノイシュは考えている。20年間も一緒にいたらノイシュだってヒアに情が移っているだろうし、大人になったヒアはもう戻らないかもしれない。
ここに残りたいヒアと、ヒアのためを思って旅立たせたいノイシュ。双方の望みがどちらも叶うことはない。
「ヒア、俺はおまえのパパではなくなる。しかしそれは別れではない。パパから友に変わるだけだ」
「トモ…?」
「ああそうだ。おまえが俺たち人間とおまえたちドラゴンとの関係を改善する架け橋になることを、俺は願っているんだ。だから、友だ」
「トモ…友。友ってなに?」
「会えなくとも、会わずとも…お互いを思い出し、ずっと忘れない存在だ」
「ずっと忘れない…友」