発つ者記憶に残らず【完】


"ずっと忘れない"という言葉に不覚にも私の胸が強く打たれたのを感じて鼻の奥がツンとし目頭が熱くなった。目の前にいるトーレンに気づかれないように、口の辺りを彷徨っていた左手を目元まで上げた。

走馬灯のように駆け巡った何人もの顔、顔、顔……みんな一様に私に笑みを浮かべ、温かな眼差しを向けてくる。

私だった者へ感じてくれていたその想いが実ることは無かったけれど、今後の人生において私はあなたたちの何かになれましたか…?何かのきっかけになりましたか…?

私が知る由もなかった未来で、あなたたちは私の裏切りを許せるような相手に巡り合うことはできましたか…?


「……っ…」


思い出にすら残らない私との記憶が彼らにどんな影響を及ぼしたかは定かではないけど、今もきっと同じ笑顔で笑っていると思えば気持ちが軽くなった。

あなたたちが忘れてしまった記憶の欠片は…

今もずっと忘れず私の中に残っている。


「…パパ、ノイシュ」


ヒアは目を閉じた。


「……僕は君を友として、認めよう」


そしてそう言うと、ヒアは友の肩に乗った。ノイシュは立ち上がりこちらに振り返って歩き出し、私の右後ろにあった一番大きな窓に向かった。

振り返ったときのノイシュの表情は何かを我慢しているように硬い表情をしていて、私たちは声もかけられずにいたけど、すれ違い様にさらっとさり気なく右手首を掴まれて私はそれに黙って従うことしかできなかった。

後ろからトーレンもついてきて、3人で窓際に立ち、ノイシュとトーレンが窓を開け放った。

冷たく穏やかな空気が頬と髪を撫で、見上げれば曇り1つない快晴の高い空が遠くまで広がっていた。眼下には街があり、遠くに見える山脈が逆光で黒々とそびえ立っていた。

ぼーっとその光景に見入っていると、ヒアは別れを惜しんでノイシュの首の周りをぐるりと1周し、今度は右隣にいた私の頭に飛び降りて同じように首の周りを髪をもぞもぞとさせながら1周した。

1周し終わったとき、急にノイシュに左手を握られたけど私も握り返した。お互いに寂しさを紛らわせるために。

ヒアはトーレンに挨拶する気は無さそうで、そのまま私の右頬にまるでキスをするようにひんやりとする鼻先を寄せると、なんの前触れもなく肩から飛び出しバッと翼を広げた。

白いヒアの体は日光を一身に浴びてキラキラと7色に反射し、初めての外の解放感に浸っているのかしばらく私たちの目の前を優雅に8の字に飛び回った後、ぐんと上昇して見えなくなった。

慌てて3人で窓に手をついて前のめりになって空を見上げると、そこには眩い光を放ちながら下降してくる大きな体があった。そして城の壁スレスレを下降しつつ私たちの目の前で急に体を立て直し、私たちに尻尾を向けて彼方へと飛んで行った。

その突風で執務室の中にあった紙類が吹き飛び、本棚から本がドサドサと落ちる音と書類が巻き上がるバラバラとしたうるさい音が響いた。それでも私たちはヒアに目を凝らし、その覚醒の瞬間を見守った。

光のベールを脱いで現れたのは純白に輝く1頭の大きなドラゴンで、残された光の粒は空から地上へと降り注ぐ。私も降ってきたその粒を包帯に巻かれた右手に乗せると、その光はだんだんと小さくなり完全に消えていった。

< 51 / 96 >

この作品をシェア

pagetop