発つ者記憶に残らず【完】
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だいぶ時間が経ってから戻ったけど2人とも特に何も言わず、私がお菓子が並ぶテーブルの椅子に座っても見向きもしなかった。
さてはノイシュが何か話したな、と思いつつ私も何食わぬ顔で紅茶を口に含むとすっかり冷めていて嫌がらせか、と思った。そして、やっとクッキーが食べられる、と思って左手を出したけど引っ込めた。そう言えば鱗、干しっ放しだ。
思い出してすっくと立って執務室に戻り窓際まで歩くと、小さな鱗がキラキラと夕日を反射していて幻想的だった。素手で触ったらまた何か言われるんだろうな、とまた奥の部屋に戻った。
「……なんか、2人共変だよ」
戻ったのにやっぱりこっちを見る気配がなくて声をかけると双方から虚無の目を向けられた。脱力しきったその瞳に私は首を傾げた。
ノイシュの場合はヒアがいなくなって心が空っぽになっているんだと想像できるからその目は理解できる。でもトーレンの方はよくわからなかった。
「トーレンはなんで意気消沈してるの?」
「……あなたのせいです」
「私?」
「あなたが怪我さえしなければ…あんな無茶振りなんて無かったのに……」
はあ、と大きなため息をつかれた。
それにしても無茶振りって何の事だろう。何かあったっけ…とかなり前のことのように思う午前中の出来事を思い返しているとやっと思い出すことができた。
「ああ、育成場の話ね」
「そんな呑気に言わないでください。こっちはもう頭を抱えても抱えきれないぐらいなんですから」
「そんなこと言われても…」
思い出して明るい声で言うと、ずうんと重い空気が見える程トーレンは肘を膝についてガックリと項垂れた。それにしてもそんなに落ち込むなんて、一体どんな案なんだろう。
「あ、そうそう。鱗乾いてたからハンカチか何か貸して」
「ああ、これでいいですかね」
トーレンは気怠げにワゴンを椅子に座ったまま手繰り寄せると、その上にあったクッキーの下に引く紙ナプキンを1枚取ってくれた。
「ありがとう」
「いえ…」
お礼を言うと短い返事が来た。それを聞いて踵を返し鱗の元まで戻って慎重に摘んで左手に広げた紙ナプキンの上に置くと、まるで宝石のように角度によって違う光の表情を見せてくれるから見ていて面白かった。
不思議だなあ。シロクマも毛は透明だっていうけど、ヒアも白く見えてたのに鱗は透明なんだな。
わあ、と口と目を開けて眺めていると、ふと鱗に模様があるのが見えた。薄っすらとだけど何か文字みたいなものが見える。私の視力をもってしてもそこまでしかわからないから、気づかない人はずっと気づかないかもしれない。
どこかで見覚えがあるなあ、と思いながら2人のところに戻って今度はノイシュに声をかけた。
「ノイシュ」
「……」
足を組んで座り、手の指も交差させて膝の上に乗せて虚空を見つめるノイシュにダメ元で声をかけたんだけど、やっぱり反応がなくてため息をつきたくなった。
しっかりしてよ、もう…
「ノーイーシュー!」
ゆっさゆっさと肩に手を置き少し強めに揺らすと、ちらっとこっちに視線が向いた。
世話が焼けるなあ。
「ノイシュ。これ見てよ。鱗に何か書かれてるみたいなんだけど読めないんだ」
「……ん」
彼の目の前に左手を下ろして右手の人差し指でわざわざ指差すと、僅かに眉間にしわを寄せた彼の左手にその指ごと包まれた。
条件反射?私、今は鱗に触ってないんだけど。
「ほらほら、これこれ」
顔を近づけて一緒に覗き込むように鱗を見ると、近すぎたのか頬にノイシュの髪が当たってビクッと動きを止めてしまった。
でも彼は気にせず、私の手を右手で持ち上げて凝視し、ふと声を出した。