発つ者記憶に残らず【完】
「……これは、何だ」
いや知らんし、と思ったけどノイシュの反応が良かったから少し嬉しかった。
「さあ…顕微鏡か何かで拡大してみればわかるかも」
私が思いつきでそんなことを言うと、ノイシュが勢いよく立ち上がったから危うく私の肩がノイシュの腕に当たりそうになって慌てて避けた。
ノイシュはずんずんと歩くとトーレンに声をかけた。
「トーレン、顕微鏡はどこだ」
「え?顕微鏡……私は存じ上げませんが」
「幼い頃に使った記憶がある。城のどこかにあるはずだ。探すぞ」
「ええ?あの、お待ちください…!」
ぐいっとトーレンは腕を引っ張り上げられて素っ頓狂な声を出すと、抗う暇もないぐらい強引にノイシュにどこかへと連れて行かれた。
それをなんとなく見送ってから私は定位置に座り冷めた紅茶を飲みながらクッキーをボリボリと食べ始めた。このクッキー、硬めだけどこの食感がいいなあ。バニラ味かな…?
それを食べ終えて今度は茶色いクッキーに手をつけると今度は紅茶味だった。飲み物の紅茶と食べてもよく合う。
今度は…と、ひょいぱくひょいぱく、と文字で表すならそんな感じで無心になって食べていると遠くからドアが開く音がした。
ちょっと早いけど2人が戻って来たのかなー、と思って近づく足音を聞きながら自分で注いだ紅茶を飲んでいると、ドアから現れた人物に危うく口の中の紅茶を噴き出すところだった。
「……ディアンヌ」
現れたのはなんとヨハンで、無表情の彼は私を見下ろしながら後ろ手でドアを閉めるとトーレンが座っていた椅子に座った。
ちらりとテーブルの上に何があるのか確認すると、ヨハンは考えが読み取れない視線を警戒する私にまた戻した。
「あの白いドラゴンはノイシュのか」
「え、そ、そうだけど…」
えっと待って、ヨハンにはどんな演技をすればいいんだろう。ずっと素でいたからいきなりこんな状況になって頭が混乱する。
タメ?敬語?ええっと…
「君が何かしたのか」
「何かって?」
「とぼけるなよ。僕に見せてくれたじゃないか」
「……」
全然言っている意味がわかりません、とは言えず、かといって下手なことも言えず無言でいるとヨハンは痺れを切らしたのか、立ち上がって私の後頭部の髪をガッと掴み上を向かせた。
至近距離で射抜く視線は決して甘いものではなく、冷たく鋭い針のような眼差し。恐怖を感じたけどそれ以上何かをするわけでもなさそうだったら心を落ち着かせた。
「君は水を瞬時に沸騰させた。まさか覚えていないわけじゃないだろう」
覚えてるも何も知らないんだけど、と思いつつ、以前のディアンヌはこの男に何を見せてしまったんだとそればかりが気になった。そんな芸当、ディアンヌどころか人間ですらできませんって。
何も言えるわけがなくしばらく無言で私も睨みつけていると、いきなりヨハンは私から視線を外して何も言わずにさっさと出て行ってしまった。なんだなんだ、と思っていると少しして戻ってきたのは正真正銘、ノイシュとトーレン。