発つ者記憶に残らず【完】
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「ヨハンは元来、健気なやつだ。今はまだああだが、王になったところで問題はないと俺は信じている」
ノイシュはそれで話を終わりにすると、マドレーヌを半分にして紅茶に切り口をわずかに浸してから食べた。それを眺めながら首をひねる。
……はて。
ディアンヌ、この話にいました…?
私にワインをぶっかけて髪を引っ張り上げたあのヨハンが超をも飛び越えて度の過ぎた、むしろもう清々しい程のかまってちゃんなのはわかった。でも、期待してた情報がなくてずっこけるふりをしたい程に肩透かしをくらった気分だった。
10年前から話がスタートして、6年前からドラゴンの調査を始めて本を書いた…
ディアンヌが城にやってきたのは6歳のときでしょ?今私、16歳でしょ?そうなると、ちょうど10年前になって時期がもろ被りじゃないですか?
ディアンヌ、もうすでにここにいるはずじゃないんですかねノイシュさん……?
そんな私の心の内を知ってか知らずかまだまだ話を続ける彼にもうどんな顔をすればいいかわからなかった。
「王位継承についてはこれまで明確な決まりはなく、ドラゴンを1人前に育て上げることにこそ意味があった。異種族であるドラゴンと心を通わせ、自分も成長し、豊かな感性や思いやりを育むための習わしだっただけで、そこまで血生臭い話ではない」
うんまあそうなんだろうね、本人が言うんだからね。
でも、その…あるじゃん?私が知りたそうにしてる何かが。このそわそわしてる感じ、わかりません…?
その頃にやってきたディアンヌをあなたはどう思ってたんでしょうか、ってことなんですけど…
「ヒアも無事に巣立ち、王もいない。次の王を決めなければならないこの時期に最有力候補の第1王子が突然下りると言いだしたらどうなるか、想像つくか?」
「……………ん?」
いや、全然全く今のチキンな思考回路の私にとっては無理難題な問いかけですな。答えられるわけがない。
えっと、と思ってトーレンに目を向けると彼は目を瞑ってそこに座るただの石像になっていた。自分は全くこの話に関与してないので、と言いたげなそのオーラに私もスルーしてまたノイシュに向き直る。
「…わかりません」
「ヨハンが王になる。それだけだ」
「それはわかるけど、なんでノイシュが下りるのかわからない」
だんだん読めてきたぞ、とまともに言葉を返すことができて安堵した。鵜呑みにするだけの脳のままじゃ聞きたいことも聞けやしない。
ノイシュは私の言葉に軽く頷いた。
「俺には元々、王位継承権がなかったからだ」