発つ者記憶に残らず【完】


ぼちぼちと話していたけど私はいつの間にか眠ってしまい、気づけば目的地に到着してしまっていた。

時刻は8時。3時間の浮遊は私にとっては30分ぐらいで終わってしまいとても残念だったけど、降り立った地に広がる自然の雄大さに圧倒された。

壁に囲まれたベルダム地区の中には人間が住むところの奥に森の壁があり、その先に山脈が広がり中央に1番高くそびえ立つツンドラの大きな山がある。

その剣山にドラゴンの王が住んでいるらしいけどどこにいるかは話で聞いた通り調教師長しか知らない。でも例え頂上にいると言われても誰も行かないと思う。雪と氷で覆われた山頂付近から上は雲を突き抜けているため私たちがいる麓から見ることはできないから。


「ノイシュ様、お待ちしておりました」

「ハサル」


ぽかんと剣山を見上げていたけどノイシュの言葉であっとなり顔を正面に向けた。そこには男性が1人、背筋を伸ばして立っていた。

その風貌を見て私が最初に思い浮かんだものは死神だった。

ハサル…ノイシュとヨハンが研究でお世話になった男。彼は背が高く、ひょうひょうとしているのにしっかりとした出で立ちで、精悍な顔つきをしているのに右目に眼帯をつけているため顔全体を見ることができず、なんだか不思議な人だった。

温かいような、冷たいような、確かにそこにあるのに無いような。

彼はまるで、決して掴むことのできない水、空気、光、影……そんな感じの人だ、と漠然と私は一目見て思った。


「倅がそちらでお世話になっているようで」

「いえ、こちらこそ。彼が来てからドラゴンたちも張り切っていますよ」

「それでは意味がないでしょう。依存は彼らには必要ありません」


私はレイドと一緒にいたあの黒いドラゴンのことを思い出し、ハサルは彼のことをまだ知らないんだろうか、とふと疑問に思った。自分の息子を尊敬するあまり依存してしまった彼のことを知っていたらそんなことは言わないはずだ。


「さあ。立ち話も何ですから私についてきてください」

「ではノイシュ様、私は役員たちがいる建物に行きますので、用が済み次第そちらに向かいますが、目的をお忘れなきようお願いしますよ」

「ああ、わかっている」


笛のことを言ったんだろうな、とトーレンの後ろ姿を見送りつつ、私もノイシュと共にハサルの後ろについていった。彼が向かう先には煙突のあるレンガ造りの家が見える。


「少し散らかっていますが、どうぞおくつろぎください」

「……すごっ」


連れられて入ったその家の中にはドラゴン関連のものしかなかった。本はもちろん、絵画から牙、爪、鱗、卵の殻までありとあらゆるものが棚や壁に並んでいる。

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