発つ者記憶に残らず【完】
簡潔な言葉ではあったが、元々メリアが使っていた体に魂が抜けてからコンマ何秒後にマリアの魂を組み込めば崩れていく記録を安全に組み替えることが可能ではないか、という話をしていたためメリアの監視官だったゴードンはディアンヌの目を通してその内容を理解し、実行に移すことにした。
しかしメリアには違う魂胆があった。これでゴードンも同じ罪を受けることになるだろうと考え、ゴードンの部屋を自分のものにする計画を立てた。欲しいのはあの姿見で、マリアによって改善された世界に戻りノイシュと添い遂げるという願いを叶えるためにメリアは奔走した。
また、これで一旦のお別れだと思うと寂しくなった彼女はやはりノイシュの部屋に忍び込んだ。そして記録通りトーレンが現れたけどなんとかかわし、その薄着のまま城を抜け出し、食事も摂らず気温の低い夜の森に迷い込むことで餓死か低体温症による事故死を装った。
それが"あの日"の出来事であり、優秀なゴードンによって入れ替わったディアンヌは間一髪の瞬間にすっかり変わり果てた世界で第2の人生を送り始めた。一方、告白されたわけではないため無事にゴードンがいなくなった部屋に戻ることができ、メリアは歓喜に酔いしれた。
「私が手帳に使った文字は元々はメリアの世界の文字で、魔法陣に使われていた物。その名残がドラゴンの鱗にあったからドラゴンは魔法を使えるのよ。わざわざそんな読めない字を使うなんてどうかしてるって思った?ごめんなさいね、いろいろ手間取って手帳を書き換える時間があまり無かったから嘘も紛れてしまったし、ドラゴンについてを書き加えることしかできなかったのよ」
そう言ったメリアは椅子から立ち上がった。
あらゆる世界をめちゃくちゃに引っ掻き回した悪女はその手に1冊の本を出現させた。
「これはディアンヌの記録。実際には個人個人に記録があって、1人を書き換えると関わった人間や世界の記録も辻褄が合うように書き換わる仕組みになっているわ、便利よね。こうして全て文字で書かれていて、ページを差し抜きすることで記録を組み換えられるの。簡単でしょ?そうね、取り敢えずこの辺りのマリアのページを………」
と、パラパラとめくったページをいきなり引き抜こうとするのを見たとき、ずっと何も考えず空っぽになっていた私は我に返り力任せに松村菜々子の両手をガッと掴んだ。
「いきなり何するのよ!」
「あんたはダメ!もう消えて!」
「ハッ!どうやって消すって?笑わせないで頂戴!」
メリアは意地でもページを引き抜こうとし、マリアは意地でもそれを阻止する。グググ…とお互いに譲らず疲れてきたけど、私は諦めることができなかった。
罵りながら足で蹴り合って顔を真っ赤にして抵抗し合う。取っ組み合いになりつつあって、椅子やテーブルにも当たりガタンガタンといたるところに体が当たって痛かった。
こうして乱れた物がどうなるかはわからなかったけど、私はとにかくここからメリアを出そうと思ってドアを開け僅かな隙間に足をはさみ無我夢中で彼女を力一杯外に押し出した。
「きゃあ!」
2人して家から飛び出し、ドアの前にあった階段からゴロゴロと転げ落ちた。私が下敷きになってしまい、すきをつかれて馬乗りにされガシッと首を掴まれた。
「そうよ、あなたをここで消してしまえばいいんだわ!」
そして喉を掴まれた。締められているため息ができず、メリアの腕や首元を引っ掻いたり足をバタつかせたりしたけど、なんて馬鹿力だ。彼女は必死の形相で私を見下ろしていて、目は血走っていた。
だんだんと意識が遠のいていく。
「ワクチンなんて、そのうちウイルスに勝てなくなるんだから」
自分をウイルスだと認めるのか、とこんなときに変な考えが浮かんだけど本当にそれどころではない。このままだと死ぬ……
「くっ……!」
松村菜々子の胸元にあるリボンが私が掴んだことにより安全ピンからビリビリになって引きちぎられた。
そう、私が腕を上げて掴んだままの状態で引き裂かれたのだ。