ハイド・アンド・シーク
田中さんに広報部のリリース原稿の担当を別な人に変更したいと話したら、松村の言っていた通り手放しに喜んだ。
別にこれといって、「私じゃ力不足ってことですか!?」とか「広報部に何か言われたんですか!?」とか、そういう文句は全くなかった。
「後任はこっちで検討していたんだけど、森村さんはどうかなと思ってて。田中さんはどう思う?」
「えー?いいんじゃないですか?菜緒ちゃん、これからめちゃくちゃ苦労するだろうけど。まぁでもあの子なんでも嫌な顔しないで引き受けてくれるから、押しつけやすいかも……」
と、明らかに俺と意図が違うことを口にして、田中さんは急いで訂正した。
「素直だし広報部ともやりやすいんじゃないですかね」
……とても分かりやすい人だ、彼女は。
気持ちがいいくらい。
「じゃあ、近々引き継ぎお願いしてもいいかな?後任に決まったことは森村さんには俺から伝えておくので」
「分かりました!」
田中さんはスキップでもしそうなくらい嬉しそうに自分のデスクへ戻っていった。
予想よりはるかに松村たち広報部と田中さんの仲はこじれていたんだなと思わせる反応で、広報部に対して申し訳ない気持ちにもなる。
その後、森村さんに後任をお願いしたいと彼女に伝えると、田中さんが言っていたようになった。
「……はい、分かりました」
一瞬、驚いた顔は見せたものの嫌だという感情はそこにはない。
すぐさま、返事をしていた。
そんな彼女の表情を見ながら、本心を隠してるだけなのか、それとも本当にただストンと自分のものとして受け取っているだけなのか、ちょっと分かりづらいなぁと観察してしまった。
引き継ぎが始まると思うのでよろしく、と言うと、彼女はハイとうなずいて、しばし沈黙した。
「……森村さん?」
大丈夫かな?と思っていたら、やがて彼女が伏せていた目を上げる。
「あの、私に……つとまりますか?少し、不安です」
─────忘れてた。彼女は素直な人だった。
いったん受け入れたものの、じわじわと不安な気持ちが大きくなってきたのだろう。そしてそれをすんなりと口にする。
やっぱり彼女が適任だ。
もうこのあたりで確信した。
「大丈夫だよ。何かあれば…………田中さんに聞いてみればちゃんと教えてもらえるだろうから」
「……頑張ります」
まだ少し不安げな、でもさっきよりは安心したような笑顔になった森村さんに、「何かあれば俺を頼ってね」ととっさに声をかけられなかった自分にびっくりした。
この会話の間に一度も目が合わなかった彼女への、表現しがたい自分の微妙な感情の動揺だと悟る。