ハイド・アンド・シーク
ここまでちゃんと向き合って顔を合わせるのは、たぶん初めてのことだと思う。
何を話せばいいかも、どんな顔をすればいいのかもまったく分からなかった。
「コンペに来るの初めてだったらきっと緊張してる……よね。でもきっと思ってるよりも、堅苦しくないから大丈夫だよ」
良かった、彼の方から話を振ってくれた。
もちろん顔など正面から見れないので、彼のコーヒーカップをひたすら見つめ続けていた。
主任はいつも、ブラックしか飲まない。
初めて会った時もそうだった。甘いのは苦手?
「もしも何かの拍子に誰かに何かを聞かれたりしたら、答えられないと印象が悪くなっちゃいますよね…。半年くらい前にそれで野崎さんが打ちのめされてて。私もそうなりそうですけどね」
「あー、野崎さんはね、あの日は厄が集中したんじゃないかな。当たりが悪かったっていうか。確か配布する予定の資料にお茶をこぼして数十部ダメにしたり、ヒールが折れたりして、それで極めつけにちょっと意地悪な相手に営業部の人間にしか分からないような難しい質問をされたんだったな」
「えー!怖いです!」
「あれはレア中のレアなケースだと考えてほしいけど」
上昇志向の強い野崎さんは私より一年後輩の子なのだが、とても積極的な性格なので物怖じもせずに別なコンペにお手伝いに行ったのだ。
事務員は基本的に、クライアントをご案内してお茶を用意したり資料を渡したり、そんな雑用くらいしか任されないのだが、あの日はクライアントの企業側がかなりの関係者を呼んでいて、その中に酷い人がいたらしい。
そんなことはほとんどないというのは承知だけど、またないとは言い切れないわけで。
それ以来、あんなにやる気に満ちていた野崎さんはなりを潜めてしまい、二ヶ月前に人事部に異動してしまった。
私の不安がもろに彼に伝わったらしい。
有沢主任は少し間をあけたあと、優しい声で言い聞かせるみたいに話す。
「何か困ったことがあったら、すぐに頼って。俺でもいいし、営業部の人間でもいいし。自分だけで頑張ろうとしないでね」
「……はい」
私はいつも、その優しい目や声に胸が苦しくなる。
彼は私をドキドキさせる天才だ。