キスからはじまる
「俺と世良、校章忘れたんだ、こっそり貸してくんねえー…!?」
小声だけど、わたしたちには聞こえるくらいのボリューム。
男子の前には世良くんが並んでいて、ふたりでこちらを見ている。
目が合いそうになった世良くんに、わたしは思わず目線を反らした。決してわざとではない。だって、ふたりきりのとき以外では世良くんとは目さえ合ったことがない。だからまわりに人がいると、どうしていいかわからないよ。
校章を忘れる人はけっこう多い。でも、こうして合格した人に借りるということができる。もちろん、内密に。
男子の声が聞こえたのは10人ほど。そのなかにわたしとメグちゃんも入っている。
世良くん、校章忘れたんだ。珍しい。といっても、普段から彼がきちんと校章を付けていることまでは把握していないけれど。
わたしとメグちゃん以外の約8人が、なにやらゴニョゴニョ言っている。わたしにはそれが手に取るようにわかった。
失礼ながら、男子は置いといて……もうひとりの校章を求めているのが、世良くんだからだ。
きっとみんな、世良くんに貸したい。自分が貸したいと思っている。だけどそれを率先する勇気はないみたいだ。
わたしだって、ほんとは“わたし”が貸したいけど…わたしも、他の子と一緒だ。勇気なんて、ない。
そうだ、わたしは……、特別なんかじゃないんだ。
心のどこかで、自分は特別なのかと思っていたことに気付く。
なんだかひどく、悲しくなったきた。
何度も触れた世良くんの唇の感触も、今はうまく思い出せない。
世良くんの特別な女の子は、きっと………。
「はい、」とこっそり、隣にいたはずのメグちゃんが男子に校章を手渡しに行った。
そしてなにもなかったかのようにわたしの隣に返ってきた。実はダイくん一筋のメグちゃんが貸すなんて意外だな、と思ったら、ポン、と背中を手のひらで軽くおされた。ほんとに軽くだったのに、頭のなかがごちゃごちゃしているわたしは一歩前に出ることになった。
世良くんと目があった。