神様が飛んだ日


私が先を行くと、彼女は黙ってついてくる。
信者と面通しをするのは初めてのことではない。
基本、話をするのは私の世話係である大兄――私の父親になるが。
年末年始の挨拶などは、何日もかけて行う。その間の私の食事は清められた水と黒豆だけだ。
〝美代様〟に挨拶がしたいという信者がいる限り、その挨拶会は終わらない。
お腹が空いて眩暈がしても、誰かが助けてくれることはない。

そういうときに使われる大きな部屋がある。
部屋というには大きすぎて、もはやただの空間、といったほうがいいような気がするが。
良く磨かれた板張りの長方形の部屋だ。
この一番奥に祭壇があり、不透明な薄布が張ってある。
私はその祭壇で、私を〝神〟と信じる人間たちと会うのだ。気が狂いそうになる。

その場所まで歩く間、ぽつぽつと女と話をした。
女の名前は椿というそうだ。
〝椿〟と聞いて、ぱっとその花の姿は浮かばなかったが、いい名前だと思った。
彼女の独特な雰囲気にとても合っているように思えた。

親以外の人間と話すのは久しぶりすぎて、何を話していいかもわからなかったが、返ってそれが〝神様〟らしかったのか、椿に「美代様はなにもご存じではないのですね」と言われた。皮肉なのかどうかはわからない。

謁見の間に着くと、私は祭壇の横にある小さな扉から入った。
椿は、皆と同じような入り口に回り、そこから部屋へと入るようだ。
いつものように濃い白檀の香が焚かれている。
この香りは、嫌いではなかった。

「お越しくださいました」

祭壇の中央に私が座したのを狙いすましたように、椿がそう声を張り上げた。
あんな声が出るのか、と少し驚く。覇気からは縁遠く見えたのだが。
椿の声を合図に、薄布の上に掛けてある分厚いカーテンが払われる。
うっすらと白い布越し。私の目の前に、彼らはいた。

(近い)

今まで会ってきた信者たちが弁えていた距離ではない。
それよりもっと前に、彼らは座っていた。

一人は、あの美しい青年だ。
それから、彼の父親だろう人。
申し訳ないが、あまり似ていない。
中年太りの穏やかそうな人物だ。人の良さが滲み出ているが、純日本人である。
色黒で、畑を耕しているのが似合いそうな人物だった。
美しい青年とは、もしかしたら他人かもしれない。

私が声を発する必要はないので、ただ黙って彼らが話し出すのを待った。
しかし、待てど待てど、彼らはなにも話そうとしない。
もしや、私からの赦しを待っているのだろうか――。

ここには、勝手に進行して勝手に終わらせる父はいない。
しかし下手に声を発するわけにもいかず、私は椿に目配せした。

「美代様は全て受け入れてくださいます。どうぞ」

私の意図を違わず受け取った椿にそう言われ、中年の男ははっとしたようだった。
ちなみにこの薄布は、私のほうからはそれなりにあちらの姿が見えるが、あちらからはこちらの影ぐらいしか見えないようになっている。本当かどうかは知らないが、ガリガリに痩せている以外は平凡な私の見た目は、あまり〝神様〟には似つかわしくないので、その仕掛けも納得できるものだ。


「――これはこれは……」

中年の男が、声を上げた。
見た目に反していい声をしている。

「まさか、本当に美代様に面通しが叶うとは――」

そう言って、ひれ伏してしまった。
椿に賄賂までして渡しておいて白々しい。

「この度は我々の勝手な振舞い、どうかお許しください。我々はまだ新参者故、大兄様にお願いしても美代様に面通しさせていただけませんでした」

一度は父を通したのか。
まずったな。あの父が一度は断ったものを、こうして私の独断で許してしまった。
これはばれたら、酷い折檻が待っている――。

「実は、美代様に私の息子を知っていてほしかったのです」

そうして、自分の後ろに静かに座っていた美しい青年を、私に見えるように体を傾けた。
青年は、薄暗い中でも美しかった。

曇り空の瞳が、今は薄闇に浮かぶ朧月のようだった。

「我が息子は、母親に捨てられた過去がございます。しかし、美代様の教えに出会い、人々と積極的に関わるようになりました。私は、私の大切な息子を救ってくださった美代様にすべてを捧げる所存でございます」

父親はペラペラとそんなことを話したが、それは、どちらかという青年のほうに話す権利がありそうな内容だった。
しかも、彼は先程私の庭で、オヤジが宗教にのめりこんでしまった、と発言している。
まあ、この父親には思惑があるのだろうな、と取れる発言だった。

「息子は美代様を崇拝しております。美代様の教えを世の皆に説く責務につけたこと、心より喜んでいるのです」

私も振興宗教信者の二世なので、私たちのような人間がどうなるかはわかる。

社会に出て現実を知り、宗教から離れるもの。
社会での挫折に、再び宗教へと舞い戻ってくるもの。
社会に出たからこその知識を持って、宗教に原点回帰するもの。

美しい青年が、少なくともそれらに当てはまらないことはよくわかった。
そもそも二世ではない。彼はある程度普通に過ごしてきて、そして突如、親の入信によるこの未知の世界に巻き込まれたのだろう。
そんな人間が、突然降って沸いた“美代様”のために不況活動をするか?するわけがない。

「お二方が入信して一ヶ月ほどではありますが、入信者、体験者ともに右肩上がりで増えてきております」

ここで椿が口を挟む。
これも賄賂をもらう条件に入っていたのかもしれない。

「そうなのです。息子はこのように、精力的に活動しております。それもすべては美代様のためでございます。息子には、人を引き寄せる才があります。どうか、近い将来、息子を美代様のお側にーー」

ああ、そういうことか、と納得した。
実の息子を使って私となにかしらお近づきになりたいというわけなのだろう。
青年を見た。
先程のような、活気のある様子は見当たらない。
目が死んでいた。
ただ黙って、父親の言葉を聞いていた。
まるで、他人事のように。

私は、椿を見た。
すぐに気づいた椿は、こくりと頷く。

「それでは、もうお時間でございます。美代様は休まれますゆえ」

今からサボろうって言っているように聞こえるな。

「おおっ、これは大変なご迷惑を」

父親は慌てたように後ろに退いた。
それに合わせて、あの青年も立ち上がる。
行ってしまうな、と思った。
そして、もう会えないのだろうなとも思った。
私なんかのせいで、人生と父親を狂わされてしまった彼。
私なんかに、飴玉をくれた人。


「お前」

ばかだ。
この場に父親がいたら殺されていたかもしれない。

「名は?」

青年をまっすぐ見つめて問う。
彼は、あの瞳を向けて言った。

「律」

いい名だな。



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