光のもとでⅡ+
Side 司 19話
ある程度花火を楽しんでもまだ花火はなくならない。けれど、唯さんは全部やりつくす勢いで消化していく。それでも終わらないってどうなんだ……。
そう思っていたところ、女子三人は寒さが我慢できなくなったらしく、屋内へ退避した。
「ほら、司も協力しろよ」
御園生さんが持ってきた花火が足元に置かれ、仕方なしに次々それらを点火していく。
いわば、旅行の一大イベントであったはずの花火が流れ作業に成り下がったころ、屋内から妙に暗い声音が聞こえてきた。
たぶん、翠の声だったから自分のセンサーが働いたのだと思う。けれど、話の主人公は翠ではなく簾条――
そのことに、隣にいる御園生さんも気づいていた。
「仲はいいの。仲はいいのだけど……」
「桃華さん……?」
翠の呼びかけに簾条は答えない。
「……御園生さん、簾条とうまくいってないんですか?」
「いや……桃華もそうは言ってないだろ――」
御園生さんは苦笑すら見せずに押し黙ってしまった。
その次に聞こえてきたのは、雅さんの声だった。
「桃華さん、私から話してもいいかしら?」
「はい……」
「桃華さんはその……蒼樹さんと男女の仲になりたいそうなのだけど、なかなか蒼樹さんが踏み切ってくれないらしくて……」
思わず御園生さんの顔を凝視してしまう。すると、「見るな」と言わんがごとく、顔を背けられた。
「ねえっ、どうしたら手を出してもらえると思うっ!? どれだけ雰囲気作りをしても何をしても、まったく流されてくれないのっ」
いつも余裕そうな顔をしている簾条の、切羽詰まった声が事態の深刻さを物語っていた。
これは立ち聞きしていい内容じゃない。そう思ったからこそ席を立とうとした。そしたら、隣に座っていた御園生さんに手を掴まれ、縋るような目で見られる。
「いてよ」とでも言うかのような目に、
「なんで俺が……」
よそ様のカップル事情であり、こんな面倒臭そうな話は聞きたくもない。
そうは思ったが、子犬のような目で見てくる御園生さんを無下にはできず、再度腰を下ろす。
そうこうしていると、
「暗い顔して何かあったの?」
秋兄たちが残りの花火を持って集まってきてしまった。
そこへ翠の言葉が割り込む。
「蒼兄は、桃華さんのことをとても大切に想ってるよ?」
「それはわかってる。わかってるけど、ただ大事にされたいんじゃないもの……」
その言葉を聞いた瞬間、男五人がなんとも言えない顔になった。
俺からしてみたら、好きな女に迫られる状況なんて幸せでしかないんだけど、なんなのこの人……。聖人かなんかなの?
恨めしい目で御園生さんを見ると、
「蒼樹くんのとこは年齢差があるから難しいよね」
御園生さんを気遣った蔵元さんの言葉に、「あぁ」と思う。
この人は、同い年で恋愛している俺とはまったく違う恋愛をしてるのか……。
「でも桃華っち、かなり思いつめてるっぽいよ? あんちゃんどうすんの?」
御園生さんはとくに何を答えるでもなく、中の会話に耳を傾けていた。
「キスをするまではそんなに時間かからなかったのに、エッチはどうしてだめなんだろう……」
へぇ……そうだったんだ?
この場の誰もがそんな目で御園生さんを見ていて、御園生さんはその視線に耐えられなくなったのか、顔が見えなくなるほどに俯いて見せた。
そんな様子を見ながら、女子もこういう会話するんだな、なんてどうでもいいことを考えていた。
翠もその話に乗じて自分の話をしたりするのだろうか。
少し考えてそれはないか、と思い至るが、果たして人の話を聞くだけ聞いて自分は話さないという状況が許されるのかは謎でしかない。
そこへ、年長者雅さんの返答が聞こえてくる。
「それは年の差を気にしているからじゃないかしら? 普通に考えて、未成年と成人が付き合う場合、淫行条例とかあるわけだし……」
「私たち、『淫行条例』が適用するようなお付き合いはしてませんっ。両親だって交際は認めてくれてますっ」
落ち着いた雅さんの話し方に、反射的に返された言葉。声音や話し方からうかがえる感情に、少し驚かされる。
簾条にこんな一面があったのか、と。
「それでも、周り――世間的には難しい部分があると思うわ。交際の深度というか、親密さは蒼樹さんにとってリスクになりうるものよ」
「わかってます。わかってるんですけど――」
なんとなしに屋内へ目をやると、カーテンの向こう側で簾条は背を丸め、肩を震わせて泣いているように見えた。
さすがにこれは、女同士で話させたところで話は収拾しないんじゃ――
そう思ったときだった。
御園生さんが深呼吸をして、
「ちょっと行ってきます」
と中へ入って行く。そして、簾条の背後に立つと、
「立ち聞きごめん……。ちょっと、桃華を借りてもいい?」
翠と雅さんは「どうぞどうぞ」とでも言うように、簾条を差し出した。
御園生さんに支えられて出てきた簾条と入れ替わり、俺たちは屋内へ入った。
唯さんが窓をきっちり閉めると、
「唯兄っ、そこにあるひざ掛け、桃華さんに――」
「了解!」
唯さんはひざ掛けを差し入れるとすぐに戻ってきた。
しかし翠は心配そうに、
「桃華さん、大丈夫かな……」
と外の様子を気にする。
その視線を遮るように、まだ窓際にいた唯さんがザッとレースカーテンを引いてみせる。
「プライバシーは守らねばならぬのですっ!」
「あら、よくそんなことが言えますね? ガールズトークを盗み聞きしていらした紳士様方?」
チクリといやみを口にしたのは雅さん。でも、
「聞こえる場所で話していたのに問題があるんじゃない?」
そう言ってリビングの壁にもたれかかると、物言いたげな人間どもの視線が飛んできた。
「ま、何はともあれ成人している蒼樹からしてみたら、年の差ってものすごく深刻な問題なわけだよ。簾条さんが成人するか、簾条さんの成人を待たずに婚約しちゃえばまた話は違ってくるんだけどね」
あまりにも実感の篭った言葉に視線を上げると、秋兄は翠を見ていて、翠も秋兄を見ていた。過去を思えばこその行動であることはわかっていても、その状況を看過できるほど寛容にはなれなくて――
俺は場所を移動し、翠が座る正面の椅子に腰を下ろした。
自分でも露骨な行動だったと思うだけのことはあり、周りからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
笑うな……。狭量だって自分でもわかってる。それでも、翠と秋兄が見つめ合っているところなんて見たくはない。
居心地が悪くなった俺は、話をもとに戻すことでいやな空気を払拭する。
「どちらにせよ、簾条が納得できる回答を御園生さんが提示しないと、簾条はつらいままなんじゃないの?」
「ま、そうだよね。相手を求めるのって、ごくごく自然な感情だからね」
またしても実感が篭っているような秋兄の言葉にイラつく羽目になる。けど、その気持ちは痛いほどよくわかるわけで……。
翠と関係を持ちたくて、待ちに待たされた一年間を思えば余計に……。
簾条がいつからこんな感情を抱えていたのかは知らないが、あのふたりは俺と翠が付き合うもっと前から付き合っているわけで……。
翠の話によると、一年の夏から付き合っているとのことだから、かれこれ二年半。その間、御園生さんも簾条もよく我慢している。
っていうかこの場合、御園生さんは我慢していたわけじゃないのか……?
それ、どんな聖人だよ……。
そうは思うが、翠が自分からしようと言ってきたことはない。それは恥ずかしいから? それとも、そういう感情がないから……?
御園生家って生殖行為にとことん淡白な家系だったりするのか?
若干の不安が心をよぎったとき、
「コーヒーでも淹れなおしましょうか」
雅さんが話題を変えるかのように席を立ち、それに翠が賛同した。
ふたりが仲良くコーヒーを淹れたり、お菓子を並べたりするのをなんとなしに見ていた。
リビングでは、男三人が唯さんが開発中のアプリの話に興じている。
内容的にはメール管理とスケジュール管理、タスク管理、進捗確認ができ、さらには管理権限を持った人間のみ、社員が現時点でどんな作業をしているのかまでひとつのアプリでスムーズに確認できるツールらしい。
仕事の話は持ち込まないんじゃなかったのか、と思えば、それは唯さんが趣味で開発しているアプリで、もし使い勝手がよければ社内で運用するとのことだった。
そんな話をしているところへ雅さんがコーヒーを持って行けば、
「私には仕事するなって言うのに、唯さんのアプリ開発の話はいいんですか?」
とむくれて見せる。
「ややや、これ、俺の趣味ですからね? 自分が便利に使えるツールがほしくて開発してるのであって、仕事ありきの話じゃないんでそこんとこよろしく!」
慌てて唯さんが否定すると、
「今、改良中みたいだから、雅さえよければ唯に協力してあげれば?」
「協力……?」
「そう、協力。実際に使ってみて動作がおかしいところや、使い勝手の悪いところを指摘するだけ。あとはこんなツールが欲しいってオーダーすれば、付け加えてもらえるかもしれないよ? 今、動作の洗い出し作業をしながら改良してるみたいだから」
「ふぅん……でも、それに似たようなツールなら他社製品であるでしょう? それじゃだめなの?」
「だから、趣味ですってば。それに、自分で開発したものなら、用途に応じて機能を追加することもできるし、内部情報が外に漏れる心配もありませんからね」
「あぁ、そういうこと……」
「やってもらえるなら、藤倉に戻ったらスマホやタブレット、ノートパソコンも全部預からせてください。会議が始まる前に入れておくんで」
「わかったわ。じゃ、藤倉に帰ったらね?」
ダイニングとキッチンで会話が飛び交う中、「司っち聞いてよっ!」と急に名指しで呼ばれて何事かと思った。
「午前中にサバイバルゲームやったんだけどさっ――」
「あぁ、負けたの?」
なんとなしに問いかけると、唯さんと蔵元さんが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「司様、なぜそう思われたんです?」
「先に言っておきますけど、蔵元さんチームが勝つことを祈ってはいましたから」
「だからっ! なんで俺たちが負けたってわかったのっ!?」
そんなの言うまでもないと思う。
「『地の利』は秋兄にあった。それに、俺たちについている警護班は緑山での研修経験もある。つまり、土地勘がある人間がふたりしかいない蔵元さんチームのほうが、どう考えても不利です。加えて、サバイバルゲームの経験があるなしで言っても、秋兄チームのほうが優勢。違いますか?」
「実践はしたことないけど、ゲームでならサバゲーしたことあるしっ」
「ゲームと実践は違ったでしょう?」
「悔しいいいいいっっっ! じゃ、何? 俺やあんちゃんが秋斗さんチームに入ったほうが蔵元さんチームが勝つ可能性は高かったってこと!?」
「でしょうね……」
そんな話をしていると、秋兄が翠に声をかける。
「そろそろこっちに座ったほうがいいんじゃない?」
はっとしてスマホに視線を落とすと、徐々にではあるが翠の血圧が下り始めていた。
標高が高く、藤倉よりは涼しいから大丈夫と安心していたのも束の間。たかだか一日二日涼しいところで過ごしたところで、翠の血圧はそこまで維持できるわけではないようだ。
目の前に座る翠は「どうしよう」といった顔をしていたが、俺の目を見た瞬間に席を立った。
「あっち、座ってくる……」
「そうして」
翠がリビングへ移動した直後、
「ハープ……」
雅さんがポツリと呟いた。
「今日も弾いていたの?」
「はい! 昨日、納涼床で作った曲をきちんと形にしたくて」
「それ、聴きたいって言ったら迷惑かしら……?」
何がどうして迷惑だと思うのか、雅さんは申し訳なさそうに、しかし期待に満ちた目で申し出る。と、
「全然迷惑じゃないです!」
翠は嬉しそうにハープを取りに行った。そして、寝室の前でパーカを脱ぐと、ハープの調弦を始める。
準備が整うとハープを抱え、目を閉じた。
きっとハープと交信中。
それが終わると軽く息を吸い込み、昨日今日と弾いていた曲を弾きだした。
翠からどんな曲なのか聞いていたこともあり、ところどころに「光」を感じられる曲に思えた。そしてその「光」は、「未来」を内包している。
それを考えれば曲名は「リュミエール」でも「エスポワール」でもいい気がした。
翠は何を思って「リュミエール」を選んだのか――
そんなことを考えているうちに短い曲は終わってしまう。
その場に拍手が沸き起こる中、外とは違う音の響きをもっと堪能すればよかったと後悔していると、雅さんが目をキラキラと輝かせながら翠の近くまで寄って行く。
「オーケストラの演奏ではハープのソロを聴く機会もあったけれど、そのハープ――」
「アイリッシュハープですか?」
「ええ、そう! アイリッシュハープの演奏を聴くのは初めて! 大きなハープとは違って、星が瞬くような音をしているのね? 曲もとってもすてきだったわ」
翠と雅さんがこんなふうに話す仲になると、誰が想像しただろう。
翠は雅さんを姉のように慕っているし、雅さんは友人のように翠と接する。
何よりも、雅さんがこんなにも早く立ち直るとは思いもしなかった。
それには、秋兄がFメディカルへ引き込んだのも一役買っているのかもしれない。
「人薬」――その偉大さに感服する。
やっぱり、雅さんに必要だったのは「人薬」だったんだな。
翠は蔵元さんにも褒め称えられていて、何やら恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「翠葉ちゃん、曲名は? まだ曲名はつけてないの?」
秋兄にたずねられた翠は、嬉しそうに答える。
「曲名はツカサがつけてくれました」
「へ? 司が?」
「はい。曲に対する私のイメージを話したら、『リュミエール』って」
「まあっ、すてきっ! フランス語で『光』ね?」
「うん。悔しいけどぴったりだな。『光』をイメージした曲だったの?」
「えぇと……。納涼床、緑のカーテンから零れる木漏れ日がとってもきれいで――」
翠は宙に視線を彷徨わせ、何かをぼんやりと考えているふう。
その先の言葉だって難なく言えただろう。けれど、翠は話さなかった。
代わりににこりと笑って唇の前に人差し指を立て、
「そのほかは内緒です」
その仕草や表情がかわいすぎて、一瞬で頬に熱を持つ。
「隠されると余計に訊き出したくなるけれど……。願わくば、この『光』が蒼樹と簾条さんにも届くといいね」
秋兄のその言葉に、その場のみんなが一様に頷いた。
そう思っていたところ、女子三人は寒さが我慢できなくなったらしく、屋内へ退避した。
「ほら、司も協力しろよ」
御園生さんが持ってきた花火が足元に置かれ、仕方なしに次々それらを点火していく。
いわば、旅行の一大イベントであったはずの花火が流れ作業に成り下がったころ、屋内から妙に暗い声音が聞こえてきた。
たぶん、翠の声だったから自分のセンサーが働いたのだと思う。けれど、話の主人公は翠ではなく簾条――
そのことに、隣にいる御園生さんも気づいていた。
「仲はいいの。仲はいいのだけど……」
「桃華さん……?」
翠の呼びかけに簾条は答えない。
「……御園生さん、簾条とうまくいってないんですか?」
「いや……桃華もそうは言ってないだろ――」
御園生さんは苦笑すら見せずに押し黙ってしまった。
その次に聞こえてきたのは、雅さんの声だった。
「桃華さん、私から話してもいいかしら?」
「はい……」
「桃華さんはその……蒼樹さんと男女の仲になりたいそうなのだけど、なかなか蒼樹さんが踏み切ってくれないらしくて……」
思わず御園生さんの顔を凝視してしまう。すると、「見るな」と言わんがごとく、顔を背けられた。
「ねえっ、どうしたら手を出してもらえると思うっ!? どれだけ雰囲気作りをしても何をしても、まったく流されてくれないのっ」
いつも余裕そうな顔をしている簾条の、切羽詰まった声が事態の深刻さを物語っていた。
これは立ち聞きしていい内容じゃない。そう思ったからこそ席を立とうとした。そしたら、隣に座っていた御園生さんに手を掴まれ、縋るような目で見られる。
「いてよ」とでも言うかのような目に、
「なんで俺が……」
よそ様のカップル事情であり、こんな面倒臭そうな話は聞きたくもない。
そうは思ったが、子犬のような目で見てくる御園生さんを無下にはできず、再度腰を下ろす。
そうこうしていると、
「暗い顔して何かあったの?」
秋兄たちが残りの花火を持って集まってきてしまった。
そこへ翠の言葉が割り込む。
「蒼兄は、桃華さんのことをとても大切に想ってるよ?」
「それはわかってる。わかってるけど、ただ大事にされたいんじゃないもの……」
その言葉を聞いた瞬間、男五人がなんとも言えない顔になった。
俺からしてみたら、好きな女に迫られる状況なんて幸せでしかないんだけど、なんなのこの人……。聖人かなんかなの?
恨めしい目で御園生さんを見ると、
「蒼樹くんのとこは年齢差があるから難しいよね」
御園生さんを気遣った蔵元さんの言葉に、「あぁ」と思う。
この人は、同い年で恋愛している俺とはまったく違う恋愛をしてるのか……。
「でも桃華っち、かなり思いつめてるっぽいよ? あんちゃんどうすんの?」
御園生さんはとくに何を答えるでもなく、中の会話に耳を傾けていた。
「キスをするまではそんなに時間かからなかったのに、エッチはどうしてだめなんだろう……」
へぇ……そうだったんだ?
この場の誰もがそんな目で御園生さんを見ていて、御園生さんはその視線に耐えられなくなったのか、顔が見えなくなるほどに俯いて見せた。
そんな様子を見ながら、女子もこういう会話するんだな、なんてどうでもいいことを考えていた。
翠もその話に乗じて自分の話をしたりするのだろうか。
少し考えてそれはないか、と思い至るが、果たして人の話を聞くだけ聞いて自分は話さないという状況が許されるのかは謎でしかない。
そこへ、年長者雅さんの返答が聞こえてくる。
「それは年の差を気にしているからじゃないかしら? 普通に考えて、未成年と成人が付き合う場合、淫行条例とかあるわけだし……」
「私たち、『淫行条例』が適用するようなお付き合いはしてませんっ。両親だって交際は認めてくれてますっ」
落ち着いた雅さんの話し方に、反射的に返された言葉。声音や話し方からうかがえる感情に、少し驚かされる。
簾条にこんな一面があったのか、と。
「それでも、周り――世間的には難しい部分があると思うわ。交際の深度というか、親密さは蒼樹さんにとってリスクになりうるものよ」
「わかってます。わかってるんですけど――」
なんとなしに屋内へ目をやると、カーテンの向こう側で簾条は背を丸め、肩を震わせて泣いているように見えた。
さすがにこれは、女同士で話させたところで話は収拾しないんじゃ――
そう思ったときだった。
御園生さんが深呼吸をして、
「ちょっと行ってきます」
と中へ入って行く。そして、簾条の背後に立つと、
「立ち聞きごめん……。ちょっと、桃華を借りてもいい?」
翠と雅さんは「どうぞどうぞ」とでも言うように、簾条を差し出した。
御園生さんに支えられて出てきた簾条と入れ替わり、俺たちは屋内へ入った。
唯さんが窓をきっちり閉めると、
「唯兄っ、そこにあるひざ掛け、桃華さんに――」
「了解!」
唯さんはひざ掛けを差し入れるとすぐに戻ってきた。
しかし翠は心配そうに、
「桃華さん、大丈夫かな……」
と外の様子を気にする。
その視線を遮るように、まだ窓際にいた唯さんがザッとレースカーテンを引いてみせる。
「プライバシーは守らねばならぬのですっ!」
「あら、よくそんなことが言えますね? ガールズトークを盗み聞きしていらした紳士様方?」
チクリといやみを口にしたのは雅さん。でも、
「聞こえる場所で話していたのに問題があるんじゃない?」
そう言ってリビングの壁にもたれかかると、物言いたげな人間どもの視線が飛んできた。
「ま、何はともあれ成人している蒼樹からしてみたら、年の差ってものすごく深刻な問題なわけだよ。簾条さんが成人するか、簾条さんの成人を待たずに婚約しちゃえばまた話は違ってくるんだけどね」
あまりにも実感の篭った言葉に視線を上げると、秋兄は翠を見ていて、翠も秋兄を見ていた。過去を思えばこその行動であることはわかっていても、その状況を看過できるほど寛容にはなれなくて――
俺は場所を移動し、翠が座る正面の椅子に腰を下ろした。
自分でも露骨な行動だったと思うだけのことはあり、周りからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
笑うな……。狭量だって自分でもわかってる。それでも、翠と秋兄が見つめ合っているところなんて見たくはない。
居心地が悪くなった俺は、話をもとに戻すことでいやな空気を払拭する。
「どちらにせよ、簾条が納得できる回答を御園生さんが提示しないと、簾条はつらいままなんじゃないの?」
「ま、そうだよね。相手を求めるのって、ごくごく自然な感情だからね」
またしても実感が篭っているような秋兄の言葉にイラつく羽目になる。けど、その気持ちは痛いほどよくわかるわけで……。
翠と関係を持ちたくて、待ちに待たされた一年間を思えば余計に……。
簾条がいつからこんな感情を抱えていたのかは知らないが、あのふたりは俺と翠が付き合うもっと前から付き合っているわけで……。
翠の話によると、一年の夏から付き合っているとのことだから、かれこれ二年半。その間、御園生さんも簾条もよく我慢している。
っていうかこの場合、御園生さんは我慢していたわけじゃないのか……?
それ、どんな聖人だよ……。
そうは思うが、翠が自分からしようと言ってきたことはない。それは恥ずかしいから? それとも、そういう感情がないから……?
御園生家って生殖行為にとことん淡白な家系だったりするのか?
若干の不安が心をよぎったとき、
「コーヒーでも淹れなおしましょうか」
雅さんが話題を変えるかのように席を立ち、それに翠が賛同した。
ふたりが仲良くコーヒーを淹れたり、お菓子を並べたりするのをなんとなしに見ていた。
リビングでは、男三人が唯さんが開発中のアプリの話に興じている。
内容的にはメール管理とスケジュール管理、タスク管理、進捗確認ができ、さらには管理権限を持った人間のみ、社員が現時点でどんな作業をしているのかまでひとつのアプリでスムーズに確認できるツールらしい。
仕事の話は持ち込まないんじゃなかったのか、と思えば、それは唯さんが趣味で開発しているアプリで、もし使い勝手がよければ社内で運用するとのことだった。
そんな話をしているところへ雅さんがコーヒーを持って行けば、
「私には仕事するなって言うのに、唯さんのアプリ開発の話はいいんですか?」
とむくれて見せる。
「ややや、これ、俺の趣味ですからね? 自分が便利に使えるツールがほしくて開発してるのであって、仕事ありきの話じゃないんでそこんとこよろしく!」
慌てて唯さんが否定すると、
「今、改良中みたいだから、雅さえよければ唯に協力してあげれば?」
「協力……?」
「そう、協力。実際に使ってみて動作がおかしいところや、使い勝手の悪いところを指摘するだけ。あとはこんなツールが欲しいってオーダーすれば、付け加えてもらえるかもしれないよ? 今、動作の洗い出し作業をしながら改良してるみたいだから」
「ふぅん……でも、それに似たようなツールなら他社製品であるでしょう? それじゃだめなの?」
「だから、趣味ですってば。それに、自分で開発したものなら、用途に応じて機能を追加することもできるし、内部情報が外に漏れる心配もありませんからね」
「あぁ、そういうこと……」
「やってもらえるなら、藤倉に戻ったらスマホやタブレット、ノートパソコンも全部預からせてください。会議が始まる前に入れておくんで」
「わかったわ。じゃ、藤倉に帰ったらね?」
ダイニングとキッチンで会話が飛び交う中、「司っち聞いてよっ!」と急に名指しで呼ばれて何事かと思った。
「午前中にサバイバルゲームやったんだけどさっ――」
「あぁ、負けたの?」
なんとなしに問いかけると、唯さんと蔵元さんが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「司様、なぜそう思われたんです?」
「先に言っておきますけど、蔵元さんチームが勝つことを祈ってはいましたから」
「だからっ! なんで俺たちが負けたってわかったのっ!?」
そんなの言うまでもないと思う。
「『地の利』は秋兄にあった。それに、俺たちについている警護班は緑山での研修経験もある。つまり、土地勘がある人間がふたりしかいない蔵元さんチームのほうが、どう考えても不利です。加えて、サバイバルゲームの経験があるなしで言っても、秋兄チームのほうが優勢。違いますか?」
「実践はしたことないけど、ゲームでならサバゲーしたことあるしっ」
「ゲームと実践は違ったでしょう?」
「悔しいいいいいっっっ! じゃ、何? 俺やあんちゃんが秋斗さんチームに入ったほうが蔵元さんチームが勝つ可能性は高かったってこと!?」
「でしょうね……」
そんな話をしていると、秋兄が翠に声をかける。
「そろそろこっちに座ったほうがいいんじゃない?」
はっとしてスマホに視線を落とすと、徐々にではあるが翠の血圧が下り始めていた。
標高が高く、藤倉よりは涼しいから大丈夫と安心していたのも束の間。たかだか一日二日涼しいところで過ごしたところで、翠の血圧はそこまで維持できるわけではないようだ。
目の前に座る翠は「どうしよう」といった顔をしていたが、俺の目を見た瞬間に席を立った。
「あっち、座ってくる……」
「そうして」
翠がリビングへ移動した直後、
「ハープ……」
雅さんがポツリと呟いた。
「今日も弾いていたの?」
「はい! 昨日、納涼床で作った曲をきちんと形にしたくて」
「それ、聴きたいって言ったら迷惑かしら……?」
何がどうして迷惑だと思うのか、雅さんは申し訳なさそうに、しかし期待に満ちた目で申し出る。と、
「全然迷惑じゃないです!」
翠は嬉しそうにハープを取りに行った。そして、寝室の前でパーカを脱ぐと、ハープの調弦を始める。
準備が整うとハープを抱え、目を閉じた。
きっとハープと交信中。
それが終わると軽く息を吸い込み、昨日今日と弾いていた曲を弾きだした。
翠からどんな曲なのか聞いていたこともあり、ところどころに「光」を感じられる曲に思えた。そしてその「光」は、「未来」を内包している。
それを考えれば曲名は「リュミエール」でも「エスポワール」でもいい気がした。
翠は何を思って「リュミエール」を選んだのか――
そんなことを考えているうちに短い曲は終わってしまう。
その場に拍手が沸き起こる中、外とは違う音の響きをもっと堪能すればよかったと後悔していると、雅さんが目をキラキラと輝かせながら翠の近くまで寄って行く。
「オーケストラの演奏ではハープのソロを聴く機会もあったけれど、そのハープ――」
「アイリッシュハープですか?」
「ええ、そう! アイリッシュハープの演奏を聴くのは初めて! 大きなハープとは違って、星が瞬くような音をしているのね? 曲もとってもすてきだったわ」
翠と雅さんがこんなふうに話す仲になると、誰が想像しただろう。
翠は雅さんを姉のように慕っているし、雅さんは友人のように翠と接する。
何よりも、雅さんがこんなにも早く立ち直るとは思いもしなかった。
それには、秋兄がFメディカルへ引き込んだのも一役買っているのかもしれない。
「人薬」――その偉大さに感服する。
やっぱり、雅さんに必要だったのは「人薬」だったんだな。
翠は蔵元さんにも褒め称えられていて、何やら恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「翠葉ちゃん、曲名は? まだ曲名はつけてないの?」
秋兄にたずねられた翠は、嬉しそうに答える。
「曲名はツカサがつけてくれました」
「へ? 司が?」
「はい。曲に対する私のイメージを話したら、『リュミエール』って」
「まあっ、すてきっ! フランス語で『光』ね?」
「うん。悔しいけどぴったりだな。『光』をイメージした曲だったの?」
「えぇと……。納涼床、緑のカーテンから零れる木漏れ日がとってもきれいで――」
翠は宙に視線を彷徨わせ、何かをぼんやりと考えているふう。
その先の言葉だって難なく言えただろう。けれど、翠は話さなかった。
代わりににこりと笑って唇の前に人差し指を立て、
「そのほかは内緒です」
その仕草や表情がかわいすぎて、一瞬で頬に熱を持つ。
「隠されると余計に訊き出したくなるけれど……。願わくば、この『光』が蒼樹と簾条さんにも届くといいね」
秋兄のその言葉に、その場のみんなが一様に頷いた。