光のもとでⅡ+

Side 司 21話

 桟橋にボートをつけると、先に上がってボートをつなぎとめる。そして翠に手を差し出すと、翠は少し不思議そうな顔をしながら桟橋へ上がった。
「少し冷えた……?」
 翠が見ているのは俺の手。つまり、俺の手が、ということなのだろうけれど――
「そう……?」
 自分では冷えたという実感はないが……。
 確認するように手を握ったり開いたりしてみても、そこまで冷えた自覚はなかった。けれど翠は、
「部屋に戻ったら、何かあたたかい飲み物を淹れるね」
 と、足早に桟橋を戻り始める。
「何がいい? コーヒー? ハーブティー? ほかには緑茶と麦茶と――」
 指折り数える翠を追いかけ捕まえると、
「何……?」
「飲み物じゃなくて……一緒に風呂に入ろう」
 昨日も今朝も一緒に入った。だからきっと大丈夫。
 そんなふうに考えないといけないくらいには、緊張していた。それが翠に伝わってしまったのか、翠はびっくり眼でフリーズしている。
 翠に逃げられたくなくて、つないだ手を引き寄せ、自分の真正面に立たせる。
「昨夜も今朝も一緒に入っただろ?」
 その二回とも、翠を緊張させてしまった感は否めない。けど、バスタブに浸かっているうちにリラックスはさせられたと思っている。
 それでも翠は二の足を踏む。
「実は結構無理やり一緒に入ってくれてたとか?」
「そんなことないっ」
「じゃあ、なんで沈黙?」
「即答するには至らないというか、女の子の恥じらいを察して欲しいというか……」
 女子の恥じらい、ね……。
「じゃ、今から女子の恥じらいを考慮する」
 目を瞑ってそれなりに「女子の恥じらい」について考えてみる。けれど、一緒に入りたいという感情に蓋をすることはできなかった。
「考慮した結果、断るのは却下の方向で」
「えっ!?」
「マンションのバスタブでもふたりで入ることは可能だけど、ここのバスタブほど広くはないし、星を見ながら入れる機会はまたしばらく訪れない。その点を鑑みて、快諾してもらえると嬉しいんだけど?」
 それらしいことを並べ立て、にこりと笑って畳み掛ける。と、翠はもじもじしながら、
「そこまで言われたら、断りづらくなる、かな……?」
「それ、いいってこと?」
 翠は小さくコクリと頷いた。
 なら善は急げ、だ。
 俺は翠を置き去りにして真っ直ぐバスルームへ向かった。
 風呂は朝入ったままだから、まずはバスタブを洗わなくてはいけない。
 そう意気込んでバスルームに入ると、バスタブはすでに洗われていた。
「翠か……」
 夕方に風呂に入ったとき、洗ってくれたのだろう。
 これ幸いと栓をして、お湯張り機能は使わずにお湯を張り始める。そして、脱衣所で昨日翠が選択した入浴剤を見つけると、躊躇なくそれをバスタブに注いだ。
 途端に泡立ち始めるそれを忌々しく思うが、これがなければ翠は一緒に入ってはくれない。
 そう思いながら、お湯が溜まるのを待っていた。
 お湯が溜まって洗面所から出ると、翠はキッチンでお茶を淹れていた。
 香りからしてカモミールティー。
「なんでお茶?」
「お風呂上りに水分補給したくなるでしょう? 今淹れておけば、お風呂上りには飲みやすい温度になってると思うから」
「なるほど……。お湯、張り終わったんだけど」
「じゃ……入る……?」
「もちろん」
 そんな会話をしても、翠はキッチンから出てこない。
 痺れを切らした俺が迎えに行くと、とくに抵抗するでもなく手を引かれて歩き出した。
 脱衣所で翠の髪をブラッシングし始めると、その髪を頭上高くに纏め上げる。
「まとめるの?」
「さっきシャワー浴びたときに髪も洗ったし、そのあとは汗かいてないだろ?」
 翠は「そういえば」みたいな顔をしていた。
「翠がどうしても髪を洗いたいって言うなら下ろすけど……」
 その場合、待ち時間は四十分……。
 できれば、髪は洗わず身体のみを洗う選択をしてほしい。
 願いをこめて翠を見つめていると、
「……ううん。ツカサの言うとおりだと思うから、髪の毛は洗わなくていいよ?」
「翠、身体洗うのにどのくらいかかる?」
「え? あ……十分ちょっとかな?」
「じゃ、十五分したら入る」
 そう言うと、俺はそそくさと脱衣所を出た。
 本当は翠が自分で洋服を脱ぐ姿だって見たかったわけだけど、あの恥ずかしがり屋が俺の前で脱ぐとは思えない。
 それならとっとと脱衣所を出て、翠を早くバスルームへ押し込むのが正解ルート。
「十五分か……」
 ひとまずスマホを手に取り翠のバイタル表示の変更をする。そのままニュースや株価の確認をしていると、あっという間に十五分が経っていた。
 昨夜のようにロックグラスに水を張ってキャンドルに火を灯すと、脱衣所で衣類を脱ぎバスルームのドアをノックする。
「十五分経ったけど入っても平気?」
「あっ、はいっ」
 翠が慌ててバスタブに逃げ込んだのが見えて、思わず笑みが零れる。
 俺は煌々とついていた照明を落とし、バスタブの端にロックグラスを置いた。
 頭と身体を洗ってからバスタブに入ると、翠はどこかぼんやりとしていた。
「何か考えごと?」
「んー……ツカサがしてくれる気遣いと、私がツカサにできることって何か本質的に違うなぁ、と思って」
 は……? またいきなり何を考え出した……?
「……たとえば?」
「一緒にお風呂に入ることは強行するけれど、ちゃんと照明を落としてくれるし、そういうの……」
 あぁ、そういうこと……。
「じゃ、ひとつ気遣いよろしく」
「え?」
「しりとりしよう」
「しりとり……?」
「そう。今すぐにでも翠を抱きたくて仕方がないから、少し後悔してる。ボート降りてすぐにベッドルームに連れ込めばよかったかなって」
 正直すぎる本音を口にすると、翠は顔を真っ赤に染め、唇を戦慄かせていた。
「だから、しりとり」
「……普通の? 何縛りとかなしで?」
「普通の」とか、「何縛り」って何……?
 疑問のままに訊き返すと、
「たとえば、乗り物縛りとか、動物縛りとか……」
 あぁ、なるほど。しりとりのルールに「ジャンル縛り」ってルールを追加するのか。でも、
「動物だった場合、俺の圧勝だと思うけど?」
「そう言われてみたらそうね? じゃ、何にしよう?」
 ひとつのジャンルに絞ると、言葉が出てこなくなった時点でゲーム終了となる。そうすると、バスタブに浸かっている時間が短くなる可能性が出てくるから、ジャンル縛りじゃないほうがいいような気がする。
 だとしたら、ジャンル縛りではなくもっと簡単なルールはないものか――
「……『スキ』って言ったら負けで、『キス』は何度言ってもいいとかは?」
 翠はきょとんとした顔をした直後、クスクスと笑いだす。
「ちょっとツカサらしくない提案だね? でも、面白そう! ……あ、名前とか動作とかはどうする?」
「別にありでもなしでもいいけど……」
「じゃ、ありにしてください。これがあるととっても助かるので」
 そこから俺たちはしりとりを開始した。
 ルール上、ス攻めの攻防になることが目に見えている。
 俺はしりとりをしながら「ス」で始まって「ス」で終わる言葉のリストアップを始めた。
 スイス、ステンレス、ステンドグラス、スターバックス、スフィンクス、スペース、ストレス、スーツケース、スーパーライス、水圧プレス、スイカアイス、スイカジュース、水性ガス、水素ガス、睡眠ガス、スモークガス、スイッチトス、スクールバス、スーパーサウルス、スキウルミムス、スクテロサウルス、スピノサウルス、スコミムス、スゼチュアノサウルス、スタウリコサウルス、スティラコサウルス、ステゴサウルス、スケリドサウルス――
 何気に結構あるな……。
 でも、別に勝つことに意味があるわけじゃない。
 できるだけ長くしりとりを続けることに意味があるのであって、翠を負けに追いやったらすぐにしりとりが終わってしまう。
 結果、俺は翠が困らない程度にス攻めをしながらしりとりを続けた。
 恐竜の名前は割とたくさんあるわけだが、それを翠が知らなければ「本当にそんな恐竜いるのっ!?」と詰め寄られてしまいそうで、恐竜の名前を出すことは諦める。
 ただ、ス攻めを緩やかにしたことで翠が言葉に詰まることはなく、それなりの長さを楽しめていた。
 けれど、本音を言えば早く翠に触れたい。
 翠をこの腕に抱きしめ、貪るようにキスをしたい。もちろんそれ以上のことも――
 そう思えば、そろそろしりとりを終わりにしてもいい気がしてきた。
 そんなとき、翠が「座椅子」と言い、うまい具合に「ス」が回ってくる。
 打ち止めにするいいチャンス。
 そう思った俺は、
「もう俺の負けでいい。……好き」
 俺は身体の向きを変えると翠の頬に手を添え、血色の良くなった唇に強く吸い付いた。
 本当は深く口付けたかったけど、それこそ箍が外れてしまう。
「これ以上は寝室で。そろそろ上がろう?」
 翠は恥ずかしそうに頷いた。
「先に上がるから、翠はきっちり冷水を浴びて出てくること」
 俺は先にシャワーを浴び、バスルームの照明を点けると、ロックグラスと共にバスルームを出た。
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