光のもとでⅡ+
Side 司 22話
洗面所を出ると、ガラスポットに入っていたハーブティーを五〇〇ミリリットルのタンブラーに入れて寝室へ持っていき、残りのハーブティーは翠が上がってきたときに飲めるよう、カップに移した。
洗面所の前で翠が出てくるのを待っていると、しばらくして脱衣所の照明が消え、翠がそわそわした様子で出てくる。
俺を直視しては視線を逸らし、また視線を合わせたときには、
「さすがに逃げたりしないよ?」
つまり、俺がハンターか何かのように見えたのだろう。
まあ、両腕は胸の前で組んでいるし、待ちかまえているように見られても仕方ない。ただ、
「そのあたり、いまいち信用できなくて?」
すると翠は、居心地悪そうな表情をした。
「お茶、常温程度には冷めてる」
キッチンテーブルに置いていたお茶を手に取り翠に渡すと、残りはタンブラーに入れて寝室へ持っていったことを伝える。
翠はひとつ頷くと、お茶を一気に飲み干し、カップをキッチンテーブルへと戻した。
今にも宙を彷徨いそうな翠の手を掴み、若干怯えが混じったような目を見つめると、
「……する、の?」
まさかの質問に驚く。けれど、合意は必須。
「そのつもりだけど……いや?」
「ううん、いやじゃない」
「じゃ、寝室へ行こう」
俺は小動物を労わるように、寝室へ向かって翠を促した。
翠はベッドに横になると、昨夜と同じように室内から見える夜空に釘付けになる。
その視界を邪魔したくて、わざと翠の視界に入りキスをしようとすると、
「胸鎖乳突筋、きれい……」
突然の名称に思考がストップする。
「は……?」
翠は右手人差し指を俺に向かって伸ばし、首の筋に触れる。
「この筋、好きだな、と思って」
「なんかものすごくマニアックな部分を好かれた気分」
「そう? ものすごくシャープできれいよ?」
胸鎖乳突筋、ねぇ……。
どんなものか、と翠の顔の角度を変え、首に浮かび上がる筋を見て思う。
「確かにそそるものはあるかな」
そう、思わず口付けたくなる程度には。
翠が好きだと言う筋に唇を這わせると、翠も少し身体を起こし、俺の首筋にキスをした。
再度ベッドへ横になった翠の首筋を、親指と人差し指でつまみ、
「胸鎖乳突筋はトリガーポイントのひとつでもある」
「そうなの……?」
俺は頷き、四つのポイントをレクチャーする。
「目の疲れや目の上、耳の後ろ、頭頂部の頭痛に効くポイントだから覚えておくといい」
翠は自分の手でそのポイントをひとつひとつ確認すると、嬉しそうに「覚えたっ!」と口にした。
「それは何より。じゃ、今度こそ俺に意識を戻して欲しいんだけど?」
「ちゃんと最初からツカサに意識はあったもの……」
「どうだか……」
俺はそれ以上翠が口答えできないように、翠の唇を物理的に塞いだ。
二時間半ほど抱き合って、スマホを確認すれば一時過ぎだった。
「先にシャワー浴びる?」
問いかけると、翠は「ううん」と答える。
「ツカサ、先にシャワー浴びてきて? 私、少し休んでる」
もう息も整っているし、バイタルに異常も見られない。でも――
「もしかして体調悪い?」
「え? あ、違うの。ただ、もう少し横になっていたくて……」
「……本当に体調が悪いわけじゃない?」
「本当。バイタルもなんともないでしょう?」
「異常は見られないけど……」
性行のあと、翠は腹痛を起こすことがある。でも、俺が気づかなければ言わないことが多くて、少し不安になっていると、
「心配性だなぁ……」
そう言って翠はクスクスと笑った。
「本当になんともないよ? ただ、もう少し余韻に浸っていたいのと、星空を見ていたくて……」
そう言うと、翠は天井へと視線を向けた。
「……わかった。じゃ、先に入ってくる」
本当に具合が悪かったわけじゃないとして――俺が風呂から上がったら翠は寝てるんじゃないか……。
そう思って寝室へ戻ると、翠の目は開いていて、さっき同様夜空を眺めていた。
「お先。翠も入ってくれば?」
「ん、そうする」
翠は布団を纏ったまま身体を起こすと、俺が脱がせたバスローブを手繰り寄せ、器用に身体を隠して寝室を出て行く。
その後姿を見送りながら、
「いつかは裸のままバスルームまで歩いて行くとか――」
……ない気がする。何度行為を重ねても、翠の恥ずかしがり屋は治りそうにない。
そんなことに苦笑しながら、羽毛布団を避け、シーツを新しいものへ取り替えることにした。
ベッドの中央あたりのシーツが少し濡れていて、少し前まで翠をぐちゃぐちゃになるまで愛したことを思い出す。
「やばいだろ……したばかりなのに、もうしたいとか……」
風呂上りの翠を襲わないように自制しなくてはいけなくなりそうだ。
そもそも、連日抱けたことに満足しなくてはいけないというのに。
俺はため息をひとつつくとシーツを替え、汚れたシーツは早々に洗濯機の中へ突っ込んだ。
翠が上がってくるまでにはまだ少し時間がありそうだ。
少しでも自分を落ち着けるため、氷水を一気に飲み干すと、秋兄が翠へ用意したカフェインレスコーヒーを淹れ、スケッチブックを開いた。
俺は描き途中の翠の絵を完成させるべく、無心で鉛筆を走らせた。
背後に気配を感じて振り返ると、髪を頭上でまとめた翠が立っていた。
はあ……せっかく気分転換に絵を描いていたというのに、風呂上りの翠を見ただけで振り出しに戻る。
もう一度抱きたいけど、今から二回目に挑んだとしたら、明日は十時、十一時まで寝かせないといけないだろう。
そしてその時間は、ここを出発する時間だったりする。
その程度のことは翠だって念頭にあるだろうし、逆算くらいはするだろう。
仕方ない。髪を乾かしたら寝るか……。
俺は無言で立ち上がり、洗面所へドライヤーを取りに行く。
リビングに戻って、
「翠、座って。髪を乾かす」
ソファに座るよう促すと、翠はクスクスと笑い出す。
「何……?」
落胆した様は見せないよう気をつけていたつもりだけど、翠にはバレバレだったのだろうか。
翠をまじまじと見下ろすと、
「ううん。なんか、ここに来てからずっとツカサにお世話されてるから」
「別にそういうわけじゃ……。ただ、風呂上りに髪の毛放置して風邪ひかれたら困るから」
「そっか。そうだよね、ありがとう。でも、自分でできるよ?」
翠は俺の手にあるドライヤーへと腕を伸ばしてくる。
「いや、自己満足な部分もあるからやらせて」
翠は笑うのをやめ、不思議そうな顔で、
「自己満足?」
そう自己満足。
「翠の髪の毛、手触りが良くて好きなんだ。あとはただ単にかまいたいだけ」
ほかの男が容易には触れられない髪に、自分だけは触れることを許されている気がするから。
翠は首を傾げて何かを考えているふう。
今の会話、何か考える部分あったか……?
疑問に思いながら翠の髪を乾かし始めると、しばらくして翠の両腕が伸びてきて、俺の頭に触れようとしていることがわかった。
何がしたいのか、とドライヤーを止め、
「何?」
「ツカサの髪の毛もツヤツヤで、触り心地いいだろうなぁ、と思って」
そんなの、
「翠には負ける」
「そんなことないよ。私は髪が長い分、毛先には多少のダメージがあるだろうから……」
「これで? ダメージ?」
俺は髪を一房取ってたずねる。と、翠はコクリと頷いた。
「……翠、それ女子の前で言わないほうがいいと思う」
「どうして……?」
「いつか周りの女子に袋叩きにされても仕方がないと思うから?」
「そんなふうに言ってもらえるほどきれいではないと思うんだけどなぁ……」
「試しに姉さんの前で言ってみればいい。間違いなく拳を二、三個食らう羽目になると思う」
そんな会話を経て、俺は翠の長い髪を乾かすことに専念した。
冷めたコーヒーを飲み干し、俺がカップを洗っている間に翠は寝る前の薬を飲み、ふたり揃って寝室へ戻る。
なんとなしにベッドに横になると、翠が甘えるように手をつないできた。
「二泊三日なんてあっという間だね? 気分的にはまだ来たばかりなのに、あと八時間後にはここを発つなんて、なんか現実味がないな」
それは俺もだ。
二泊三日という旅程をものすごく楽しみにしていたし、それなりの時間を翠と共に過ごせると思っていた。でも、実際の二泊三日はひどく短く、まだ数日ここに残りたいという思いが強い。
「天体観測が目的なら、一週間くらいの日程でもかまわないかと思ったけど、さすがに初めての旅行で一週間は許可が下りない気がして二泊三日にした。三泊四日くらいなら許されたと思う?」
「どうだろう……? でも確かに……一週間だったら許可は下りなかったかもね?」
「でもいつかは――」
「うん。いつかは一週間の旅程を組んで旅行に行こう!」
「……でも、数年後には一緒に暮らし始めるわけだから……」
「そっか……。結婚したら毎日一緒ね? もちろんお仕事があるから、日中ずっと一緒にいられるわけじゃないけれど、休みの日や夜勤じゃない日はいつも一緒に眠れるね」
翠は心底嬉しそうに微笑んで、俺にくっつく。つないでいる手はそのままに、腕に抱きつかれたら勘違いだってするわけで……。
「何……もう一回していいの?」
「違うっ! ただ、少しくっつきたくなっただけっ!」
「ふーん……。一度訊いてみたかったんだけど、翠はしたくなることないの?」
「え?」
「だから、セックス。したくなることないの?」
「えっ――あの、なんで……?」
「いつも俺から言い出してるから?」
っていうのもあるし、簾条の想いを知ったから、というのもある。
俺たちの場合、言い出すのはいつだって俺で、翠から言い出したことは一度もない。
それに、翠の様子からしてみても、今後そんなことがあるのかすら疑わしい。
なのに、御園生さんたちのところはまるで逆で、そんなことがあり得るのか、と疑ったくらいだ。
翠は少し黙り込んでから、
「もししたくなったとしても、『したい』とは言えないかも……?」
純粋なる疑問に、「どうして?」とたずねると、翠は「恥ずかしいもの」と俺の腕に額を付けた。
「言えたところで、『ぎゅってして』が精一杯」
「翠の恥ずかしがり屋にも困ったものだな……」
腕にしがみつく翠を見ると、翠は恥ずかしそうにこちらを見ていた。
その視線を捕らえたまま、
「じゃ、これからは翠が『ぎゅってして』って言ったらそういう意味に取っていいわけ?」
「えっ、でもっ、いつでもっていうわけじゃないよっ? 本当にぎゅってして欲しいだけのときだってあるわけで――」
「じゃ、ほかに何か合図を追加すれば?」
「たとえば……?」
そうだな……。
「ぎゅってしてって言ったあと、俺が抱きしめたら翠からキスをしてくれる、とか?」
翠は目をくるんと見開いて、しばし俺と視線を合わせていた。そして、
「……できそう、かな?」
それは幸い。
「じゃ、そういうことで……。ひとつだけ確認」
「確認……?」
「翠が恥ずかしくて言えないのは、何を危惧して? 本当に、ただ単に恥ずかしいだけ?」
「……恥ずかしいのと、はしたないって思われることに抵抗があって……」
「はしたないなんて思うわけないだろ?」
現に簾条が、そう思っていることを知って、羨ましい以外の何ものでもなかったわけで……。
「俺は翠に触れたいし触れて欲しい。いっそのこと、翠が快楽に溺れればいいとか、俺にだけ欲情すればいいとすら思ってる」
真面目な話をしているというのに、翠はたいそう驚いた顔をしている。
「そんな驚くことじゃないと思うけど? むしろ、俺の前でだけ大胆になってくれるなら大歓迎」
そう言うと、俺にくっつく翠の額にキスをする。
「もう三時を回った。六時間睡眠として九時には起こすから」
「え? でも、陽だまり荘の朝食は八時でしょう?」
「睡眠不足は不整脈のもとになる」
「でも、そしたらみんなと一緒に朝食――」
「またふたりでここで食べればいい。十一時にここを出発ってなってるけど、警護班はそれぞれについてるんだ。帰りのみ別行動になったってなんの問題もない」
「でも――」
翠は言葉半ばで言うのをやめてしまう。
けど、「でも」に続く言葉はわかる気がした。
「何を危惧してるのかはなんとなくわかるけど、もう婚約してるわけだし、そのあたりをわざわざ突っ込んでくる下世話な人間はいない」
「そうかな……?」
「じゃなかったら同行を許さない。もし少しでも顔に出す人間がいよもうのなら、責任を持って俺が投げ飛ばす」
最後の一言がおかしかったのか、翠はクスリと笑みを零し、
「じゃ、ゆっくり休ませてもらおうかな……」
「そうして」
俺が翠の方を向こうとすると、翠は絡めていた腕を解き、俺の胸に額を預けて目を閉じた。
洗面所の前で翠が出てくるのを待っていると、しばらくして脱衣所の照明が消え、翠がそわそわした様子で出てくる。
俺を直視しては視線を逸らし、また視線を合わせたときには、
「さすがに逃げたりしないよ?」
つまり、俺がハンターか何かのように見えたのだろう。
まあ、両腕は胸の前で組んでいるし、待ちかまえているように見られても仕方ない。ただ、
「そのあたり、いまいち信用できなくて?」
すると翠は、居心地悪そうな表情をした。
「お茶、常温程度には冷めてる」
キッチンテーブルに置いていたお茶を手に取り翠に渡すと、残りはタンブラーに入れて寝室へ持っていったことを伝える。
翠はひとつ頷くと、お茶を一気に飲み干し、カップをキッチンテーブルへと戻した。
今にも宙を彷徨いそうな翠の手を掴み、若干怯えが混じったような目を見つめると、
「……する、の?」
まさかの質問に驚く。けれど、合意は必須。
「そのつもりだけど……いや?」
「ううん、いやじゃない」
「じゃ、寝室へ行こう」
俺は小動物を労わるように、寝室へ向かって翠を促した。
翠はベッドに横になると、昨夜と同じように室内から見える夜空に釘付けになる。
その視界を邪魔したくて、わざと翠の視界に入りキスをしようとすると、
「胸鎖乳突筋、きれい……」
突然の名称に思考がストップする。
「は……?」
翠は右手人差し指を俺に向かって伸ばし、首の筋に触れる。
「この筋、好きだな、と思って」
「なんかものすごくマニアックな部分を好かれた気分」
「そう? ものすごくシャープできれいよ?」
胸鎖乳突筋、ねぇ……。
どんなものか、と翠の顔の角度を変え、首に浮かび上がる筋を見て思う。
「確かにそそるものはあるかな」
そう、思わず口付けたくなる程度には。
翠が好きだと言う筋に唇を這わせると、翠も少し身体を起こし、俺の首筋にキスをした。
再度ベッドへ横になった翠の首筋を、親指と人差し指でつまみ、
「胸鎖乳突筋はトリガーポイントのひとつでもある」
「そうなの……?」
俺は頷き、四つのポイントをレクチャーする。
「目の疲れや目の上、耳の後ろ、頭頂部の頭痛に効くポイントだから覚えておくといい」
翠は自分の手でそのポイントをひとつひとつ確認すると、嬉しそうに「覚えたっ!」と口にした。
「それは何より。じゃ、今度こそ俺に意識を戻して欲しいんだけど?」
「ちゃんと最初からツカサに意識はあったもの……」
「どうだか……」
俺はそれ以上翠が口答えできないように、翠の唇を物理的に塞いだ。
二時間半ほど抱き合って、スマホを確認すれば一時過ぎだった。
「先にシャワー浴びる?」
問いかけると、翠は「ううん」と答える。
「ツカサ、先にシャワー浴びてきて? 私、少し休んでる」
もう息も整っているし、バイタルに異常も見られない。でも――
「もしかして体調悪い?」
「え? あ、違うの。ただ、もう少し横になっていたくて……」
「……本当に体調が悪いわけじゃない?」
「本当。バイタルもなんともないでしょう?」
「異常は見られないけど……」
性行のあと、翠は腹痛を起こすことがある。でも、俺が気づかなければ言わないことが多くて、少し不安になっていると、
「心配性だなぁ……」
そう言って翠はクスクスと笑った。
「本当になんともないよ? ただ、もう少し余韻に浸っていたいのと、星空を見ていたくて……」
そう言うと、翠は天井へと視線を向けた。
「……わかった。じゃ、先に入ってくる」
本当に具合が悪かったわけじゃないとして――俺が風呂から上がったら翠は寝てるんじゃないか……。
そう思って寝室へ戻ると、翠の目は開いていて、さっき同様夜空を眺めていた。
「お先。翠も入ってくれば?」
「ん、そうする」
翠は布団を纏ったまま身体を起こすと、俺が脱がせたバスローブを手繰り寄せ、器用に身体を隠して寝室を出て行く。
その後姿を見送りながら、
「いつかは裸のままバスルームまで歩いて行くとか――」
……ない気がする。何度行為を重ねても、翠の恥ずかしがり屋は治りそうにない。
そんなことに苦笑しながら、羽毛布団を避け、シーツを新しいものへ取り替えることにした。
ベッドの中央あたりのシーツが少し濡れていて、少し前まで翠をぐちゃぐちゃになるまで愛したことを思い出す。
「やばいだろ……したばかりなのに、もうしたいとか……」
風呂上りの翠を襲わないように自制しなくてはいけなくなりそうだ。
そもそも、連日抱けたことに満足しなくてはいけないというのに。
俺はため息をひとつつくとシーツを替え、汚れたシーツは早々に洗濯機の中へ突っ込んだ。
翠が上がってくるまでにはまだ少し時間がありそうだ。
少しでも自分を落ち着けるため、氷水を一気に飲み干すと、秋兄が翠へ用意したカフェインレスコーヒーを淹れ、スケッチブックを開いた。
俺は描き途中の翠の絵を完成させるべく、無心で鉛筆を走らせた。
背後に気配を感じて振り返ると、髪を頭上でまとめた翠が立っていた。
はあ……せっかく気分転換に絵を描いていたというのに、風呂上りの翠を見ただけで振り出しに戻る。
もう一度抱きたいけど、今から二回目に挑んだとしたら、明日は十時、十一時まで寝かせないといけないだろう。
そしてその時間は、ここを出発する時間だったりする。
その程度のことは翠だって念頭にあるだろうし、逆算くらいはするだろう。
仕方ない。髪を乾かしたら寝るか……。
俺は無言で立ち上がり、洗面所へドライヤーを取りに行く。
リビングに戻って、
「翠、座って。髪を乾かす」
ソファに座るよう促すと、翠はクスクスと笑い出す。
「何……?」
落胆した様は見せないよう気をつけていたつもりだけど、翠にはバレバレだったのだろうか。
翠をまじまじと見下ろすと、
「ううん。なんか、ここに来てからずっとツカサにお世話されてるから」
「別にそういうわけじゃ……。ただ、風呂上りに髪の毛放置して風邪ひかれたら困るから」
「そっか。そうだよね、ありがとう。でも、自分でできるよ?」
翠は俺の手にあるドライヤーへと腕を伸ばしてくる。
「いや、自己満足な部分もあるからやらせて」
翠は笑うのをやめ、不思議そうな顔で、
「自己満足?」
そう自己満足。
「翠の髪の毛、手触りが良くて好きなんだ。あとはただ単にかまいたいだけ」
ほかの男が容易には触れられない髪に、自分だけは触れることを許されている気がするから。
翠は首を傾げて何かを考えているふう。
今の会話、何か考える部分あったか……?
疑問に思いながら翠の髪を乾かし始めると、しばらくして翠の両腕が伸びてきて、俺の頭に触れようとしていることがわかった。
何がしたいのか、とドライヤーを止め、
「何?」
「ツカサの髪の毛もツヤツヤで、触り心地いいだろうなぁ、と思って」
そんなの、
「翠には負ける」
「そんなことないよ。私は髪が長い分、毛先には多少のダメージがあるだろうから……」
「これで? ダメージ?」
俺は髪を一房取ってたずねる。と、翠はコクリと頷いた。
「……翠、それ女子の前で言わないほうがいいと思う」
「どうして……?」
「いつか周りの女子に袋叩きにされても仕方がないと思うから?」
「そんなふうに言ってもらえるほどきれいではないと思うんだけどなぁ……」
「試しに姉さんの前で言ってみればいい。間違いなく拳を二、三個食らう羽目になると思う」
そんな会話を経て、俺は翠の長い髪を乾かすことに専念した。
冷めたコーヒーを飲み干し、俺がカップを洗っている間に翠は寝る前の薬を飲み、ふたり揃って寝室へ戻る。
なんとなしにベッドに横になると、翠が甘えるように手をつないできた。
「二泊三日なんてあっという間だね? 気分的にはまだ来たばかりなのに、あと八時間後にはここを発つなんて、なんか現実味がないな」
それは俺もだ。
二泊三日という旅程をものすごく楽しみにしていたし、それなりの時間を翠と共に過ごせると思っていた。でも、実際の二泊三日はひどく短く、まだ数日ここに残りたいという思いが強い。
「天体観測が目的なら、一週間くらいの日程でもかまわないかと思ったけど、さすがに初めての旅行で一週間は許可が下りない気がして二泊三日にした。三泊四日くらいなら許されたと思う?」
「どうだろう……? でも確かに……一週間だったら許可は下りなかったかもね?」
「でもいつかは――」
「うん。いつかは一週間の旅程を組んで旅行に行こう!」
「……でも、数年後には一緒に暮らし始めるわけだから……」
「そっか……。結婚したら毎日一緒ね? もちろんお仕事があるから、日中ずっと一緒にいられるわけじゃないけれど、休みの日や夜勤じゃない日はいつも一緒に眠れるね」
翠は心底嬉しそうに微笑んで、俺にくっつく。つないでいる手はそのままに、腕に抱きつかれたら勘違いだってするわけで……。
「何……もう一回していいの?」
「違うっ! ただ、少しくっつきたくなっただけっ!」
「ふーん……。一度訊いてみたかったんだけど、翠はしたくなることないの?」
「え?」
「だから、セックス。したくなることないの?」
「えっ――あの、なんで……?」
「いつも俺から言い出してるから?」
っていうのもあるし、簾条の想いを知ったから、というのもある。
俺たちの場合、言い出すのはいつだって俺で、翠から言い出したことは一度もない。
それに、翠の様子からしてみても、今後そんなことがあるのかすら疑わしい。
なのに、御園生さんたちのところはまるで逆で、そんなことがあり得るのか、と疑ったくらいだ。
翠は少し黙り込んでから、
「もししたくなったとしても、『したい』とは言えないかも……?」
純粋なる疑問に、「どうして?」とたずねると、翠は「恥ずかしいもの」と俺の腕に額を付けた。
「言えたところで、『ぎゅってして』が精一杯」
「翠の恥ずかしがり屋にも困ったものだな……」
腕にしがみつく翠を見ると、翠は恥ずかしそうにこちらを見ていた。
その視線を捕らえたまま、
「じゃ、これからは翠が『ぎゅってして』って言ったらそういう意味に取っていいわけ?」
「えっ、でもっ、いつでもっていうわけじゃないよっ? 本当にぎゅってして欲しいだけのときだってあるわけで――」
「じゃ、ほかに何か合図を追加すれば?」
「たとえば……?」
そうだな……。
「ぎゅってしてって言ったあと、俺が抱きしめたら翠からキスをしてくれる、とか?」
翠は目をくるんと見開いて、しばし俺と視線を合わせていた。そして、
「……できそう、かな?」
それは幸い。
「じゃ、そういうことで……。ひとつだけ確認」
「確認……?」
「翠が恥ずかしくて言えないのは、何を危惧して? 本当に、ただ単に恥ずかしいだけ?」
「……恥ずかしいのと、はしたないって思われることに抵抗があって……」
「はしたないなんて思うわけないだろ?」
現に簾条が、そう思っていることを知って、羨ましい以外の何ものでもなかったわけで……。
「俺は翠に触れたいし触れて欲しい。いっそのこと、翠が快楽に溺れればいいとか、俺にだけ欲情すればいいとすら思ってる」
真面目な話をしているというのに、翠はたいそう驚いた顔をしている。
「そんな驚くことじゃないと思うけど? むしろ、俺の前でだけ大胆になってくれるなら大歓迎」
そう言うと、俺にくっつく翠の額にキスをする。
「もう三時を回った。六時間睡眠として九時には起こすから」
「え? でも、陽だまり荘の朝食は八時でしょう?」
「睡眠不足は不整脈のもとになる」
「でも、そしたらみんなと一緒に朝食――」
「またふたりでここで食べればいい。十一時にここを出発ってなってるけど、警護班はそれぞれについてるんだ。帰りのみ別行動になったってなんの問題もない」
「でも――」
翠は言葉半ばで言うのをやめてしまう。
けど、「でも」に続く言葉はわかる気がした。
「何を危惧してるのかはなんとなくわかるけど、もう婚約してるわけだし、そのあたりをわざわざ突っ込んでくる下世話な人間はいない」
「そうかな……?」
「じゃなかったら同行を許さない。もし少しでも顔に出す人間がいよもうのなら、責任を持って俺が投げ飛ばす」
最後の一言がおかしかったのか、翠はクスリと笑みを零し、
「じゃ、ゆっくり休ませてもらおうかな……」
「そうして」
俺が翠の方を向こうとすると、翠は絡めていた腕を解き、俺の胸に額を預けて目を閉じた。