光のもとでⅡ+
Side 司 08話
デパートを出て正面のスクランブル交差点へ向かおうとしたところ、翠に腕を掴まれ、
「ツカサ……休憩。休憩、したい……」
あまりにも必死な訴えに笑みが零れる。
「ただ好き嫌いを訊かれてただけなのに、何そんなにぐったりしてるんだか」
「ぐったりもするよ!」
「どうして?」
「だって、ジュエリーショップなんてめったに行かないものっ!」
ふーん……。
「めったに、ってことは、以前にも行ったことがある?」
「え? うん」
もしかして、秋兄に連れられて……?
そんな考えが頭をよぎった俺は、気づけば尋問のように「いつ?」と問い質しにかかっていた。
すると翠は、俺が何を思ったのか察したらしく、
「ち、違うよっ!? 秋斗さんとじゃないよ?」
「……じゃあ、誰と?」
「十六歳の誕生日プレゼントに、城井のおじいちゃんとおばあちゃんからファーストジュエリーとして真珠のネックレスとイヤリングをいただいたの」
「……でも、十六歳の誕生日って――」
「うん、入院してた。だから、十月に退院して、退院祝いも兼ねておばあちゃん御用達のジュエリーショップに連れて行かれたの。ハイブランドのアクセサリーを手にしたのはそれが初めて。そのときも今と同じで恐縮してしまったのだけど、今日のツカサと同じことを言われたの、今思い出した」
「同じこと……?」
翠は表情を緩めて頷く。
「いいものはずっと使えるから、って十六歳の私にはそぐわないお値段のアクセサリーをプレゼントしてくれた。たぶん、これからの冠婚葬祭すべてに使えるネックレスとイヤリング」
「へぇ……。今度見せて?」
「うん。でも、本当にシンプルな一連ネックレスとイヤリングよ? それに、今は幸倉のおうちに置いてあるから、あっちのおうちへ行くか、こっちに持ってくるかしないと」
「そのうちでいい」
「わかった」
「翠葉」なんて名前だからうっかりエメラルドをプレゼントしそうになるけれど、翠の誕生石は真珠なんだよな……。
そんなことを思いながら、駅ビルの一階にあるファストフード店へ向かった。
翠はポテトを食べたいと言っていたが、見た感じはセットメニューが多いようだ。
「ポテトだけって買えるの?」
「買えるよ。でも、私は飲み物もオーダーしようかな? 喉渇いちゃった」
「ジュエリーショップで出されたお茶、飲めばよかったのに」
チクリといやみを口にすると、翠はプイ、とそっぽを向いた。
少し高めのカウンターでオーダーを済ませると、緊張させたお詫びと称して支払いは俺が持たせてもらった。
テラス席へ向かうと、テーブルの中央にポテトを置いてふたりでつまむ。
揚げたてのポテトに感動した翠が、
「久しぶりに食べるととくにおいしく感じる」
「ふーん……意外。翠は油ものあまり好きじゃないと思ってた」
「んー……脂っこいものは苦手だけど、揚げたてのフライもの全般は意外と好きよ? おうちではヒレカツやエビフライ、唐揚げ、天ぷらも食べるし……」
「へぇ……」
「ただ、やっぱり分量はそんなに食べられないのだけど」
「なるほどね……」
淡々とポテトをつまんでいると、
「ツカサツカサ、こっちのトマトソースとバーベキューソース、マスタードソースにつけてもおいしいんだよ!」
そう言って、翠は付属のソースを開け始めた。
俺が右端のマスタードから順につけていくと、
「どれが一番好き?」
翠が興味津々に訊いてくる。
「トマトソースとバーベキューソースは同格って感じ。マスタードソースは別になくてもいいな」
「私も! トマトソースとバーベキューソースが好き」
翠と一緒にご飯を食べるようになってから時々思う。味の好みが割と似ていると。
味覚に差があったとしてもさして問題はないと思うけど、好みが似てれば似てるで嬉しいという思いがこみ上げる。
翠の「私も!」という言葉にも、その片鱗が見えた気がして、それも嬉しかった。
翠と付き合い始めてから気づいたことがひとつ。翠と一緒にいると、今まであまり感じることのなかった感情、「嬉しい」が増える。
翠も同じだったら嬉しいけど、翠はもともと感情が豊かだし、いろんなことに喜びを見出せる素直な性格だ。そこからすると、俺と一緒にいるからといって「嬉しい」がそこまで増えるとは思えないけど、それでも翠の「嬉しい」を俺が増やすことができたなら、それはものすごく嬉しい。
そんなことを考えながら、
「あとはドラッグストアとメガネの受け取り。それから食材の買出しだっけ?」
いつかこんな会話が日常になればいいと思いながら、言葉ひとつひとつを噛み締める俺に対し、翠が「うん」と微笑み返してくれるだけで「嬉しい」が生まれるからちょっと困る。
俺は今すぐにでも緩みそうな表情を必死に引き締め、
「じゃ、そろそろ出よう」
さも何気ない振りをしてトレイを持って立ち上がった。
巨大スクランブル交差点を前に、翠は少しそわそわしていた。
そして信号が青になると、俺の腕を掴み、俺の影に隠れるようにして歩き出す。
たぶんだけど、人と対面したときにどちら側に避けたらいいのかわからなくて立ち往生することがあるのだろう。これはそんな怖がり方。
人ごみを歩けないとか、いったいどんなお嬢様だよ、とは思うけど、これは御園生家で大事にされてきた箱入り娘だ。こんな調子でも仕方がないというもの。
そんな翠を誘導するように交差点を斜めに突っ切り、ドラッグストア前にたどり着いた。
俺の影から出てきた翠は、ドラッグストアを前に目をしばたたかせる。
おそらくは、店構えに目を瞠ったのだろう。
駅前という立地に出店するのは簡単なことではない。郊外に出店する以上の金が必要になるうえ、郊外の店舗と比べると狭い箱に相応のものを詰め込む必要が出てくる。
結果、店内に並べきれなかったものが公道へ溢れんばかりに陳列されるわけで、一歩間違えれば道路交通法違反だ。
翠は恐る恐るといったふうに店内に足を踏み入れ、数歩歩いて足を止めた。
その理由はわからなくもない。
店内は入り口以上に雑然としたものだった。
狭い店内にこれでもかというほど背の高い什器が配列されており、什器と什器の間は一メートルにも満たない。
これ、店内にいるときに地震がきたら一発アウトじゃないか?
翠は驚きに声をあげる。
「雑然とした店だな」
俺が一言追加すると、翠はコクリと頷いた。
そして、決心したように足を繰り出す。
案内プレートも出ていない店内を翠はひとつひとつ確認しながら歩いていく。
そのあとをついていくと、数分後に目的のものを見つけたらしく、そびえ立つ什器の間を歩き始めた。そして、洗顔フォームと化粧水を手に取ると、レジ方面へと向かって店内をショートカットし始めた。
テンポよく歩いていた翠が、何かに気を取られて足を止める。そして、ひとつの商品に手を伸ばした。
パッと見、生理用品を扱う売り場のようだが……。
じっと商品説明を見比べている翠に声をかけると、ひどく驚いた顔がこちらを向く。そして、
「ご、ごめんっ――」
「何を謝られたのかわからないんだけど……」
「えぇと……ごめん、本当にごめん。ツカサが一緒だったこと少し忘れてた」
「……そんな気はしてたけど、それ何?」
単なる生理用品だと思っていたが、
「女の子のエチケットアイテム……かな?」
翠はなんとなしに言葉を濁す。
パッケージをよくよく見てみると、
「おりものシート?」
「うん……こんなものがあるのね? 私、知らなくて……」
翠は感心するように商品に視線を戻す。
「……それをつけてれば、気にしなくて済むってこと?」
翠は俺に視線を戻してから恥ずかしそうに視線を逸らした。
「うん……これを当てていたら、ワンピースが汚れることもないし……」
「……だからさ、そうなったらそうなったでいいんじゃないの?」
「え……?」
「……そういう行為をすればいいだけだろ」
それとも翠は、もうしたくないと思っているのだろうか……。
不安に思いながら翠を見ていると、
「そうなんだけど、でも――恥ずかしい思いをするのはもういやだし……」
そう言うと、手に持っていたひとつの商品を棚に戻し、翠は足早にレジへ向かって歩き出した。
「恥ずかしい思いをするのはもういやって――」
つまり、もうしたくないってことか……。
俺は動揺を隠すこともできず、圧迫感を覚える不快なドラッグストアを早々にあとにした。
「ツカサ……休憩。休憩、したい……」
あまりにも必死な訴えに笑みが零れる。
「ただ好き嫌いを訊かれてただけなのに、何そんなにぐったりしてるんだか」
「ぐったりもするよ!」
「どうして?」
「だって、ジュエリーショップなんてめったに行かないものっ!」
ふーん……。
「めったに、ってことは、以前にも行ったことがある?」
「え? うん」
もしかして、秋兄に連れられて……?
そんな考えが頭をよぎった俺は、気づけば尋問のように「いつ?」と問い質しにかかっていた。
すると翠は、俺が何を思ったのか察したらしく、
「ち、違うよっ!? 秋斗さんとじゃないよ?」
「……じゃあ、誰と?」
「十六歳の誕生日プレゼントに、城井のおじいちゃんとおばあちゃんからファーストジュエリーとして真珠のネックレスとイヤリングをいただいたの」
「……でも、十六歳の誕生日って――」
「うん、入院してた。だから、十月に退院して、退院祝いも兼ねておばあちゃん御用達のジュエリーショップに連れて行かれたの。ハイブランドのアクセサリーを手にしたのはそれが初めて。そのときも今と同じで恐縮してしまったのだけど、今日のツカサと同じことを言われたの、今思い出した」
「同じこと……?」
翠は表情を緩めて頷く。
「いいものはずっと使えるから、って十六歳の私にはそぐわないお値段のアクセサリーをプレゼントしてくれた。たぶん、これからの冠婚葬祭すべてに使えるネックレスとイヤリング」
「へぇ……。今度見せて?」
「うん。でも、本当にシンプルな一連ネックレスとイヤリングよ? それに、今は幸倉のおうちに置いてあるから、あっちのおうちへ行くか、こっちに持ってくるかしないと」
「そのうちでいい」
「わかった」
「翠葉」なんて名前だからうっかりエメラルドをプレゼントしそうになるけれど、翠の誕生石は真珠なんだよな……。
そんなことを思いながら、駅ビルの一階にあるファストフード店へ向かった。
翠はポテトを食べたいと言っていたが、見た感じはセットメニューが多いようだ。
「ポテトだけって買えるの?」
「買えるよ。でも、私は飲み物もオーダーしようかな? 喉渇いちゃった」
「ジュエリーショップで出されたお茶、飲めばよかったのに」
チクリといやみを口にすると、翠はプイ、とそっぽを向いた。
少し高めのカウンターでオーダーを済ませると、緊張させたお詫びと称して支払いは俺が持たせてもらった。
テラス席へ向かうと、テーブルの中央にポテトを置いてふたりでつまむ。
揚げたてのポテトに感動した翠が、
「久しぶりに食べるととくにおいしく感じる」
「ふーん……意外。翠は油ものあまり好きじゃないと思ってた」
「んー……脂っこいものは苦手だけど、揚げたてのフライもの全般は意外と好きよ? おうちではヒレカツやエビフライ、唐揚げ、天ぷらも食べるし……」
「へぇ……」
「ただ、やっぱり分量はそんなに食べられないのだけど」
「なるほどね……」
淡々とポテトをつまんでいると、
「ツカサツカサ、こっちのトマトソースとバーベキューソース、マスタードソースにつけてもおいしいんだよ!」
そう言って、翠は付属のソースを開け始めた。
俺が右端のマスタードから順につけていくと、
「どれが一番好き?」
翠が興味津々に訊いてくる。
「トマトソースとバーベキューソースは同格って感じ。マスタードソースは別になくてもいいな」
「私も! トマトソースとバーベキューソースが好き」
翠と一緒にご飯を食べるようになってから時々思う。味の好みが割と似ていると。
味覚に差があったとしてもさして問題はないと思うけど、好みが似てれば似てるで嬉しいという思いがこみ上げる。
翠の「私も!」という言葉にも、その片鱗が見えた気がして、それも嬉しかった。
翠と付き合い始めてから気づいたことがひとつ。翠と一緒にいると、今まであまり感じることのなかった感情、「嬉しい」が増える。
翠も同じだったら嬉しいけど、翠はもともと感情が豊かだし、いろんなことに喜びを見出せる素直な性格だ。そこからすると、俺と一緒にいるからといって「嬉しい」がそこまで増えるとは思えないけど、それでも翠の「嬉しい」を俺が増やすことができたなら、それはものすごく嬉しい。
そんなことを考えながら、
「あとはドラッグストアとメガネの受け取り。それから食材の買出しだっけ?」
いつかこんな会話が日常になればいいと思いながら、言葉ひとつひとつを噛み締める俺に対し、翠が「うん」と微笑み返してくれるだけで「嬉しい」が生まれるからちょっと困る。
俺は今すぐにでも緩みそうな表情を必死に引き締め、
「じゃ、そろそろ出よう」
さも何気ない振りをしてトレイを持って立ち上がった。
巨大スクランブル交差点を前に、翠は少しそわそわしていた。
そして信号が青になると、俺の腕を掴み、俺の影に隠れるようにして歩き出す。
たぶんだけど、人と対面したときにどちら側に避けたらいいのかわからなくて立ち往生することがあるのだろう。これはそんな怖がり方。
人ごみを歩けないとか、いったいどんなお嬢様だよ、とは思うけど、これは御園生家で大事にされてきた箱入り娘だ。こんな調子でも仕方がないというもの。
そんな翠を誘導するように交差点を斜めに突っ切り、ドラッグストア前にたどり着いた。
俺の影から出てきた翠は、ドラッグストアを前に目をしばたたかせる。
おそらくは、店構えに目を瞠ったのだろう。
駅前という立地に出店するのは簡単なことではない。郊外に出店する以上の金が必要になるうえ、郊外の店舗と比べると狭い箱に相応のものを詰め込む必要が出てくる。
結果、店内に並べきれなかったものが公道へ溢れんばかりに陳列されるわけで、一歩間違えれば道路交通法違反だ。
翠は恐る恐るといったふうに店内に足を踏み入れ、数歩歩いて足を止めた。
その理由はわからなくもない。
店内は入り口以上に雑然としたものだった。
狭い店内にこれでもかというほど背の高い什器が配列されており、什器と什器の間は一メートルにも満たない。
これ、店内にいるときに地震がきたら一発アウトじゃないか?
翠は驚きに声をあげる。
「雑然とした店だな」
俺が一言追加すると、翠はコクリと頷いた。
そして、決心したように足を繰り出す。
案内プレートも出ていない店内を翠はひとつひとつ確認しながら歩いていく。
そのあとをついていくと、数分後に目的のものを見つけたらしく、そびえ立つ什器の間を歩き始めた。そして、洗顔フォームと化粧水を手に取ると、レジ方面へと向かって店内をショートカットし始めた。
テンポよく歩いていた翠が、何かに気を取られて足を止める。そして、ひとつの商品に手を伸ばした。
パッと見、生理用品を扱う売り場のようだが……。
じっと商品説明を見比べている翠に声をかけると、ひどく驚いた顔がこちらを向く。そして、
「ご、ごめんっ――」
「何を謝られたのかわからないんだけど……」
「えぇと……ごめん、本当にごめん。ツカサが一緒だったこと少し忘れてた」
「……そんな気はしてたけど、それ何?」
単なる生理用品だと思っていたが、
「女の子のエチケットアイテム……かな?」
翠はなんとなしに言葉を濁す。
パッケージをよくよく見てみると、
「おりものシート?」
「うん……こんなものがあるのね? 私、知らなくて……」
翠は感心するように商品に視線を戻す。
「……それをつけてれば、気にしなくて済むってこと?」
翠は俺に視線を戻してから恥ずかしそうに視線を逸らした。
「うん……これを当てていたら、ワンピースが汚れることもないし……」
「……だからさ、そうなったらそうなったでいいんじゃないの?」
「え……?」
「……そういう行為をすればいいだけだろ」
それとも翠は、もうしたくないと思っているのだろうか……。
不安に思いながら翠を見ていると、
「そうなんだけど、でも――恥ずかしい思いをするのはもういやだし……」
そう言うと、手に持っていたひとつの商品を棚に戻し、翠は足早にレジへ向かって歩き出した。
「恥ずかしい思いをするのはもういやって――」
つまり、もうしたくないってことか……。
俺は動揺を隠すこともできず、圧迫感を覚える不快なドラッグストアを早々にあとにした。