光のもとでⅡ+
Side 司 09話
なんとなしに空を仰ぎ見て、意識して息を深く吸い込む。
そうすることで動揺を落ち着けていると、数分としないうちに翠は出てきた。
手をつなぐこともできずに歩き始めると、翠は不安そうな表情で俺のあとをついてきていて、それが俺に対するものなのか、人ごみにおけるものなのかに悩む。悩んだ末、翠の手を取ることにした。
翠の手はいつだって少しひんやりとしていて気持ちがいい。でも今の手は、いつもよりも冷たい気がする。
緊張からくるもの……? だとしたら、それは何に対する緊張なのか――
自分の不安を拭うことができずに、
「やっぱり後悔してたりする?」
間接的に問いかける。と、翠は一拍置いてから反応を示した。
「えっ!? どうして? なんで? 後悔はしてないって話したでしょう?」
でも――
「さっき、もう恥ずかしい思いはしたくないって言った」
「それはワンピースを汚して恥ずかしい思いはしたくないっていう意味で――」
ほっとしたのは束の間。ならば――という思いを胸の内に留めることができず、
「なら、そんなの買わなくてもほかに対策はできるだろ?」
俺が言う意味を理解できないのか、翠はきょとんとしている。だから俺は、最後まで説明しなくちゃいけなくなるわけで――
「翠の身体がそういう反応をしたなら、すればいいだけのことじゃない?」
意味がわかった翠は、慌てて反論してくる。
「で、でもっ、毎回ってわけにはいかないでしょうっ!?」
「なんで? うちで会ってるときならいつであっても問題ないと思うけど」
「でも、毎回はちょっと――」
そう言うと、翠は俯いてしまった。
「……痛かったから、本当はもうしたくない?」
そのあたり、女子がどう考えるものなのかなんて知らなくて、でも普通に考えたら、痛いことなんて進んでやりたいと思うわけがなく……。
不安は膨らむ一方で、俺は話す口が止まらなくなっていた。そんな俺を引き止めるように翠が手に力をこめた。
「ツカサ、誤解」
きちんと私を見て――
そんな目で見られる。
「そんなこと、思ってない」
声はとても小さかった。けれど、唇ははっきりと文字をかたどっていて――
「ならいいけど……」
なんて、そんな強がりしか言えない自分がいやになる。しかも、追い討ちをかけるように、
「俺は毎日でもいいけど?」
決して翠を困らせたいわけじゃないのに何をしてるんだか……。
翠は困った顔で、
「ツカサ……ここ、外……こういうお話はおうちでしよう? 私、恥ずかしくて死んじゃいそう……」
顔を赤く染める翠は、改めて俯いた。
駅ビルに戻りメガネショップでメガネを受け取ると、翠は嬉しそうに頬を緩めた。その瞬間に、スクランブル交差点での空気が払拭された気がした。
地下の食品売り場へ下りると、翠は水を得た魚のように生き生きと売り場を回る。まるで何度か来たことのある場所のように。
「ここ、来たことあるの?」
「え? ないよ?」
その返答には「どうして?」が含まれている気がした。
「なんか、売り場に詳しい人みたいに見えたから」
「あー……スーパーって、どこも似たつくりだから? 最初に野菜売り場があって、次に鮮魚売り場かお肉売り場、最後に乳製品関連。その内側に乾物や加工品売り場がある感じ?」
「へぇ……」
うちは母さんがスーパーへ行くことはなく、いつもじーさんとこの料理長に食材のオーダーをする都合上、こういう場に来るのは初めてのことだった。
新鮮な思いで売り場を眺めていると、翠は実に手際よく材料をカゴへ入れていく。
その途中、「お好み焼き粉」なるものが目に入り、パッケージ裏に書かれている作り方を読み進める。
「あとは、卵とお肉とイカ素麺!」
「翠、この粉の中に山芋も入ってるらしい。山芋は不要って書いてある」
翠はにこりと笑って、
「それでもっ! 山芋は入れたほうが断然おいしいのよ!」
「そうなの?」
「そうなのっ!」
本当にお好み焼きが好きなんだな、と思いながら、翠について回る。
鮮魚コーナーに来て、翠は不意に俺を振り返った。
「ね、ツカサ。うちではいつもイカ素麺を入れるのだけど、ツカサのお誕生日だからシーフードミックスにする?」
「そんなこともできるの?」
「できると思う。ただ、解凍したシーフードミックスを入れたら水分がどう影響するか――」
翠は首を傾げて考え始めた。
「それなら、今回はイカ素麺で。追々シーフードミックスでも作れるか試してみよう」
「うん!」
翠はちょろいと思う。
これで次は、「誕生日」なんて大義名分がなくても翠の料理を食べられる。
レジでかばんから財布を出そうとしたそのとき、翠の手と声がその動作にストップをかけた。
「これ、私からの誕生日プレゼントなのだから、私が払うに決まっているでしょう?」
……決まってるんだ?
胸を張って主張する翠がおかしくて、
「じゃ、ごちそうさま」
「それは食べたあとに言ってね?」
にこりと笑う翠に「了解」と告げ、俺はレジの先へ逃れた。
財布を出す代わりにスマホを取り出し、高遠さんに連絡を入れる。
『どうかなさいましたか?』
「今駅ビルの食料品売り場にいます。このあとピックアップをお願いしても?」
『かしこまりました。すぐに駅の一般車レーンへ向かいます』
「お願いします」
通話を切ってレジを振り返ると、翠が会計を済ませたところだった。
ふたりで食材をビニール袋へ移し変えると、地上階へ上がりビルを出る。
駅前であるそこは、学生や社会人が入り乱れる人ごみに変貌していた。
これは警護班に合流するのが正解。
バスはちょうど込み合う時間帯で、一本か二本待たないことには席の確保は難しいだろう。
左へ行けばバス停、右へ行けば一般車レーン。そんな分岐にさしかかり、迷わず右へ足を向けると、
「え? ツカサ、バス停はこっち」
「一般車レーンに俺の警護班を待たせてある」
「そうなの……?」
俺はひとつ頷き、
「翠が会計している間に連絡を入れた。この時間だと、バスは一、二本待たないと座れない。それに、結構な荷物だろ?」
翠は自分の荷物と俺の荷物に視線をやって、クスリと笑みを零す。
「本当だ……。じゃ、今日は警護班の人に甘えちゃおう」
翠は警護班をそういうふうに使ったことはないのだろう。ただでさえうざい人間に付きまとわれているのだから、そういう使い方をしてもいいものを。
「あの人たちも近接警護のほうが護りやすいはずだから、大歓迎だと思う」
「だから、今後はそういう使い方もしてみれば?」的なことを言ったつもりだったけど、翠は軽々とスルーして、「そうなのね」と答えた。
一般車レーンでは、数台の車がライトを点けて停車していた。そのひとつの車の前に高遠さんが立って待機している。
俺たちの姿を見つけると小走りでやってきて、
「お帰りなさいませ。たくさんお買い物なさいましたね」
言ってすぐ、翠の荷物を引き受ける。
トランクに荷物を積み込み車内に収まると、
「まださほど渋滞しておりませんので、三十分過ぎにはマンションに着くでしょう」
そう言うと、高遠さんは車を出すよう運転席に座る久世さんに声をかけた。
車はゆっくりと走り始め、数分後には隣から小さな寝息が聞こえてくる。
ふとそちらへ視線を向けると、翠が俺の腕にもたれかかるようにして眠っていた。
どうやら、ゆったりとした乗り心地の車はゆりかごと化したらしい。
左手から伝ってくる翠の体温はいつもより少し熱く感じる。
これは眠いから体温が上がっているのか、疲れから発熱しているのか……。
少し考えた俺は高遠さん経由で翠の警護班に連絡を入れ、翠の体温を聞き出した。
知らされた体温は三十七度三分――
「お疲れになられたんでしょうね」
高遠さんの言葉に頷き、隣で眠る翠の額に右手を伸ばす。と、やはり若干熱いと感じる体温が伝ってきた。
午前は全力でピアノの練習。そして休憩を挟むことなく藤倉へ買い物に出かけたんだ。体力のない翠の身体なら、疲れて発熱してもおかしくはない。
問題はこれが数日続くものなのか、一晩で下るものなのか、ということ。
こんなことならジュエリーショップへ行くのは別の日にするべきだった。
そんな後悔をしているうちにマンションに着く。
「翠、マンションに着いた」
「ん……」
少しの反応を見せるものの、翠はまだ目を開けない。
「起きて。起きなかったら横抱きでゲストルームに帰還することになるけど?」
そこまで言うと、三秒後に翠が目を開けた。
そんなやり取りを見守っていた高遠さんがクスクスと笑い、
「よくお休みでしたね」
翠は俺に寄りかかって寝ていたことに気づき、
「きゃっ、ごめんなさいっ」
声をあげ、慌てて周囲を確認しては立ち上がろうとして天井に頭をぶつける。
なんで周囲の確認したのにここで立ち上がるかな……。
「問題ないから、とりあえず落ち着け」
「あっ、はい……」
翠はちんまりと座りなおす。
「俺の誕生日プレゼントのメガネもうちに置いておいていいんだろ?」
「え? あ、うん……」
「高遠さん、荷物は全部うちへ運んでください」
「かしこまりました」
翠は不思議そうな顔で俺を見て、
「自分たちで運べばいいんじゃないの?」
「翠はまっすぐゲストルームへ帰るべき」
「……どうして?」
「手が熱い」
「手……?」
あんな便利なものがあるというのに、翠はスマホに手を伸ばそうとはしない。
痺れを切らした俺は、
「スマホ出して」
翠は従順にポシェットからスマホを取り出す。
「あ……」
その、「しまった」という顔をどうしてやろうかと思いつつ、
「なんのためのバングルなんだか……」
若干、開発者の秋兄に同情心が芽生えなくもない。
「自分の発熱くらい気づけるようになれ」
「ごめんなさい……」
「別に謝る必要はないけど、明日になっても熱が下らないようなら、一日ゆっくり休養をとること」
「はい……。じゃ、明日はどちらにしても一度連絡入れるね?」
「そうして」
そんな会話をすると俺と翠は車を降りて、まっすぐゲストルームへ向かった。
ゲストルームに翠を押し込めてため息ひとつ。
翠のバイタルが表示されるあのアプリ――
「また俺のスマホにインストールしてもらえないかなぁ……」
無理だろうな……。
何より翠がいやがるし、秋兄や唯さんは面白がって入れてはくれない。
そうなるとやっぱり――
「一年後には同棲に持ち込む」
そう決意を固めると、俺は十階の家へ向かった。
そうすることで動揺を落ち着けていると、数分としないうちに翠は出てきた。
手をつなぐこともできずに歩き始めると、翠は不安そうな表情で俺のあとをついてきていて、それが俺に対するものなのか、人ごみにおけるものなのかに悩む。悩んだ末、翠の手を取ることにした。
翠の手はいつだって少しひんやりとしていて気持ちがいい。でも今の手は、いつもよりも冷たい気がする。
緊張からくるもの……? だとしたら、それは何に対する緊張なのか――
自分の不安を拭うことができずに、
「やっぱり後悔してたりする?」
間接的に問いかける。と、翠は一拍置いてから反応を示した。
「えっ!? どうして? なんで? 後悔はしてないって話したでしょう?」
でも――
「さっき、もう恥ずかしい思いはしたくないって言った」
「それはワンピースを汚して恥ずかしい思いはしたくないっていう意味で――」
ほっとしたのは束の間。ならば――という思いを胸の内に留めることができず、
「なら、そんなの買わなくてもほかに対策はできるだろ?」
俺が言う意味を理解できないのか、翠はきょとんとしている。だから俺は、最後まで説明しなくちゃいけなくなるわけで――
「翠の身体がそういう反応をしたなら、すればいいだけのことじゃない?」
意味がわかった翠は、慌てて反論してくる。
「で、でもっ、毎回ってわけにはいかないでしょうっ!?」
「なんで? うちで会ってるときならいつであっても問題ないと思うけど」
「でも、毎回はちょっと――」
そう言うと、翠は俯いてしまった。
「……痛かったから、本当はもうしたくない?」
そのあたり、女子がどう考えるものなのかなんて知らなくて、でも普通に考えたら、痛いことなんて進んでやりたいと思うわけがなく……。
不安は膨らむ一方で、俺は話す口が止まらなくなっていた。そんな俺を引き止めるように翠が手に力をこめた。
「ツカサ、誤解」
きちんと私を見て――
そんな目で見られる。
「そんなこと、思ってない」
声はとても小さかった。けれど、唇ははっきりと文字をかたどっていて――
「ならいいけど……」
なんて、そんな強がりしか言えない自分がいやになる。しかも、追い討ちをかけるように、
「俺は毎日でもいいけど?」
決して翠を困らせたいわけじゃないのに何をしてるんだか……。
翠は困った顔で、
「ツカサ……ここ、外……こういうお話はおうちでしよう? 私、恥ずかしくて死んじゃいそう……」
顔を赤く染める翠は、改めて俯いた。
駅ビルに戻りメガネショップでメガネを受け取ると、翠は嬉しそうに頬を緩めた。その瞬間に、スクランブル交差点での空気が払拭された気がした。
地下の食品売り場へ下りると、翠は水を得た魚のように生き生きと売り場を回る。まるで何度か来たことのある場所のように。
「ここ、来たことあるの?」
「え? ないよ?」
その返答には「どうして?」が含まれている気がした。
「なんか、売り場に詳しい人みたいに見えたから」
「あー……スーパーって、どこも似たつくりだから? 最初に野菜売り場があって、次に鮮魚売り場かお肉売り場、最後に乳製品関連。その内側に乾物や加工品売り場がある感じ?」
「へぇ……」
うちは母さんがスーパーへ行くことはなく、いつもじーさんとこの料理長に食材のオーダーをする都合上、こういう場に来るのは初めてのことだった。
新鮮な思いで売り場を眺めていると、翠は実に手際よく材料をカゴへ入れていく。
その途中、「お好み焼き粉」なるものが目に入り、パッケージ裏に書かれている作り方を読み進める。
「あとは、卵とお肉とイカ素麺!」
「翠、この粉の中に山芋も入ってるらしい。山芋は不要って書いてある」
翠はにこりと笑って、
「それでもっ! 山芋は入れたほうが断然おいしいのよ!」
「そうなの?」
「そうなのっ!」
本当にお好み焼きが好きなんだな、と思いながら、翠について回る。
鮮魚コーナーに来て、翠は不意に俺を振り返った。
「ね、ツカサ。うちではいつもイカ素麺を入れるのだけど、ツカサのお誕生日だからシーフードミックスにする?」
「そんなこともできるの?」
「できると思う。ただ、解凍したシーフードミックスを入れたら水分がどう影響するか――」
翠は首を傾げて考え始めた。
「それなら、今回はイカ素麺で。追々シーフードミックスでも作れるか試してみよう」
「うん!」
翠はちょろいと思う。
これで次は、「誕生日」なんて大義名分がなくても翠の料理を食べられる。
レジでかばんから財布を出そうとしたそのとき、翠の手と声がその動作にストップをかけた。
「これ、私からの誕生日プレゼントなのだから、私が払うに決まっているでしょう?」
……決まってるんだ?
胸を張って主張する翠がおかしくて、
「じゃ、ごちそうさま」
「それは食べたあとに言ってね?」
にこりと笑う翠に「了解」と告げ、俺はレジの先へ逃れた。
財布を出す代わりにスマホを取り出し、高遠さんに連絡を入れる。
『どうかなさいましたか?』
「今駅ビルの食料品売り場にいます。このあとピックアップをお願いしても?」
『かしこまりました。すぐに駅の一般車レーンへ向かいます』
「お願いします」
通話を切ってレジを振り返ると、翠が会計を済ませたところだった。
ふたりで食材をビニール袋へ移し変えると、地上階へ上がりビルを出る。
駅前であるそこは、学生や社会人が入り乱れる人ごみに変貌していた。
これは警護班に合流するのが正解。
バスはちょうど込み合う時間帯で、一本か二本待たないことには席の確保は難しいだろう。
左へ行けばバス停、右へ行けば一般車レーン。そんな分岐にさしかかり、迷わず右へ足を向けると、
「え? ツカサ、バス停はこっち」
「一般車レーンに俺の警護班を待たせてある」
「そうなの……?」
俺はひとつ頷き、
「翠が会計している間に連絡を入れた。この時間だと、バスは一、二本待たないと座れない。それに、結構な荷物だろ?」
翠は自分の荷物と俺の荷物に視線をやって、クスリと笑みを零す。
「本当だ……。じゃ、今日は警護班の人に甘えちゃおう」
翠は警護班をそういうふうに使ったことはないのだろう。ただでさえうざい人間に付きまとわれているのだから、そういう使い方をしてもいいものを。
「あの人たちも近接警護のほうが護りやすいはずだから、大歓迎だと思う」
「だから、今後はそういう使い方もしてみれば?」的なことを言ったつもりだったけど、翠は軽々とスルーして、「そうなのね」と答えた。
一般車レーンでは、数台の車がライトを点けて停車していた。そのひとつの車の前に高遠さんが立って待機している。
俺たちの姿を見つけると小走りでやってきて、
「お帰りなさいませ。たくさんお買い物なさいましたね」
言ってすぐ、翠の荷物を引き受ける。
トランクに荷物を積み込み車内に収まると、
「まださほど渋滞しておりませんので、三十分過ぎにはマンションに着くでしょう」
そう言うと、高遠さんは車を出すよう運転席に座る久世さんに声をかけた。
車はゆっくりと走り始め、数分後には隣から小さな寝息が聞こえてくる。
ふとそちらへ視線を向けると、翠が俺の腕にもたれかかるようにして眠っていた。
どうやら、ゆったりとした乗り心地の車はゆりかごと化したらしい。
左手から伝ってくる翠の体温はいつもより少し熱く感じる。
これは眠いから体温が上がっているのか、疲れから発熱しているのか……。
少し考えた俺は高遠さん経由で翠の警護班に連絡を入れ、翠の体温を聞き出した。
知らされた体温は三十七度三分――
「お疲れになられたんでしょうね」
高遠さんの言葉に頷き、隣で眠る翠の額に右手を伸ばす。と、やはり若干熱いと感じる体温が伝ってきた。
午前は全力でピアノの練習。そして休憩を挟むことなく藤倉へ買い物に出かけたんだ。体力のない翠の身体なら、疲れて発熱してもおかしくはない。
問題はこれが数日続くものなのか、一晩で下るものなのか、ということ。
こんなことならジュエリーショップへ行くのは別の日にするべきだった。
そんな後悔をしているうちにマンションに着く。
「翠、マンションに着いた」
「ん……」
少しの反応を見せるものの、翠はまだ目を開けない。
「起きて。起きなかったら横抱きでゲストルームに帰還することになるけど?」
そこまで言うと、三秒後に翠が目を開けた。
そんなやり取りを見守っていた高遠さんがクスクスと笑い、
「よくお休みでしたね」
翠は俺に寄りかかって寝ていたことに気づき、
「きゃっ、ごめんなさいっ」
声をあげ、慌てて周囲を確認しては立ち上がろうとして天井に頭をぶつける。
なんで周囲の確認したのにここで立ち上がるかな……。
「問題ないから、とりあえず落ち着け」
「あっ、はい……」
翠はちんまりと座りなおす。
「俺の誕生日プレゼントのメガネもうちに置いておいていいんだろ?」
「え? あ、うん……」
「高遠さん、荷物は全部うちへ運んでください」
「かしこまりました」
翠は不思議そうな顔で俺を見て、
「自分たちで運べばいいんじゃないの?」
「翠はまっすぐゲストルームへ帰るべき」
「……どうして?」
「手が熱い」
「手……?」
あんな便利なものがあるというのに、翠はスマホに手を伸ばそうとはしない。
痺れを切らした俺は、
「スマホ出して」
翠は従順にポシェットからスマホを取り出す。
「あ……」
その、「しまった」という顔をどうしてやろうかと思いつつ、
「なんのためのバングルなんだか……」
若干、開発者の秋兄に同情心が芽生えなくもない。
「自分の発熱くらい気づけるようになれ」
「ごめんなさい……」
「別に謝る必要はないけど、明日になっても熱が下らないようなら、一日ゆっくり休養をとること」
「はい……。じゃ、明日はどちらにしても一度連絡入れるね?」
「そうして」
そんな会話をすると俺と翠は車を降りて、まっすぐゲストルームへ向かった。
ゲストルームに翠を押し込めてため息ひとつ。
翠のバイタルが表示されるあのアプリ――
「また俺のスマホにインストールしてもらえないかなぁ……」
無理だろうな……。
何より翠がいやがるし、秋兄や唯さんは面白がって入れてはくれない。
そうなるとやっぱり――
「一年後には同棲に持ち込む」
そう決意を固めると、俺は十階の家へ向かった。