光のもとでⅡ+
Side 翠葉 02話
バス停までの道のりを歩きながら、
「……まだ機嫌悪い?」
「わかってるなら唯さん連れてこなければいいものを」
「だって……」
格好いいツカサを見せたくなっちゃったんだもの……とは言いづらい。
でもツカサは、迷惑そうな顔で「だって何?」と目で訊いてくる。
「今日のツカサ見たとき、本当に格好いいなって思って、誰かに伝えたいって思っていたら、お昼休憩で唯兄が帰宅してて、我慢できなくて話しちゃったんだもの……」
結局全部話す羽目になって、恥ずかしい思いをするのは私なのだから、ちょっと悔しい……。
俯く私の隣で、ツカサは自分の服装を吟味しているようだった。
「そんなにいつもと違う……?」
「基本的にいつも黒っぽい格好だから、甚だしく違う、というわけじゃないのだけど、強いて言うなら、そういう柔らかい印象の羽織物を着てたこと、ないでしょう?」
「あぁ、これ……。先日秋兄が買ってきた服」
ん……? 秋斗さんが買ってきた、服……?
「どういう意味……?」
ツカサは話したくなさそうな面持ちで、
「俺と秋兄、服の趣味が似てるんだ」
「そうなの? でも、印象は全然違う気がするのだけど……」
「好きなブランドが同じで、まったく同じものを買わないように、秋兄は白っぽいものを買うし、俺は黒っぽいものを買うってことで落ち着いてる」
それはつまり……。
「同じデザインでも色が違えばまあいいか、ってこと?」
「そんなところ。で、一月だか二月にこのブランドの新作発表会があったらしくて、それに行った秋兄が、そこで色々買い込んできたんだ」
「……つまり、ついでにツカサの分も、っていうこと?」
「いや、服がかぶらないように、ってあらかじめ俺に似合いそうなものを選んでから、自分の分を買ったらしい」
なるほど……。
「なんか仲のいい兄弟みたいね?」
「そう? ただ合理的なだけだと思うけど」
ツカサはそう言うけれど、すべてのことに「合理性」を求めるツカサに、うまいこと秋斗さんが理由をつけてプレゼントしているようにしか見えない。
少しおかしくなってクスクス笑うと、
「翠は唯さんたちが勝手に服を買ってきたりすることないの? うちは姉さんにしても兄さんにしても、本人の意向考えずにあれこれ買ってくることが多いんだけど……」
「んー……誕生日とかクリスマスのプレゼントには、蒼兄や唯兄が選んだ洋服をプレゼントしてくれることもあるかな? でも、三人でお買い物に出かけるときは、一緒に選んでくれる感じだよ」
「へー……」
「逆に、ツカサは湊先生や楓先生、秋斗さんや海斗くんと一緒にお買い物に行くことはないの?」
「……一緒になんて行ったら、誰があの珍獣どもをまとめる羽目になると思う? 絶対面倒が俺に回ってくるだろ……。そんなの御免こうむる」
「じゃ、ツカサはいつもひとりでお買い物へ行くの?」
「服を買いに出かけることはあまりない」
……えぇと、それはつまり――
「湊先生や楓先生、秋斗さんが勝手に買ってきちゃうから、自分で買う必要がないほどに服がある、っていうこと?」
「それもあるけど、うちはデパートの外商だったりブランドの外商がシーズンごとに家に来るから、そのときに選ぶことがほとんど」
が、外商って――富裕層のステータスの一種でもある、アレですか……?
城井のおじいちゃんやおばあちゃんがそういうお買い物をする人だけど、まさかこんな身近な同年代の人までそんなショッピングをしているだなんて……。
あ、でも――桃華さんも着物に関しては外商が家に来るって言ってたし、静音先輩もそんなようなことを話していた。
藤宮という学校へ通っていても、普段はあまり御曹司だの令嬢だの、と意識することはないけれど、こういう話を聞いてしまうと、「あぁ……」と思い知る。
「でも、好きなブランドは秋斗さんが――」
私が何を訊こうとしているのか悟ったツカサは、
「秋兄が新作発表会で買ったものはきちんとチェックして持ってきてくれるから、基本的にかぶることはない」
「なるほど……」
本当に至れり尽くせりだ。
スケールの違う話に呆気に取られていると、
「翠は簾条たちと買い物に行ったりしないの?」
「……考えてみると、あまり学校外で会うことがない、かな? 夏休みに一度だけ藤倉の駅ビルへ出かけたことがあるけれど、それっきり。そのときはね、紫苑祭の後夜祭のドレスに合わせるアクセサリーを買いに行ったの。あのときのネックレスとイヤリング、バックカチューシャは桃華さんと色違いで買ったものだったのよ」
「へぇ……」
反応が薄いなぁ、と思っていたら、
「今日のデートも買い物だけど、これからのデートに買い物も加える?」
「え……?」
「ハープの弦とか楽譜を買いに行くでもいいけど、たまには洋服を買いに行ったり……」
話している途中でツカサは顔を背けてしまった。
どうして――とは思ったけれど、すぐにその理由がわかる。耳や首筋がほんのりとピンクに染まっていた。
たぶん、今赤面しているのだろう。それを見られたくなくて顔を背けてる。
それはわかるのに、どうして赤面しちゃったのかはちょっと理解できなかった。
「……嬉しいな。お買い物デート……嬉しい。今度、今度行こうっ?」
こっちを向いて欲しくてつないでいた手を引っ張る。と、
「……行こう」
ツカサがこっちを見てくれることはなかったけれど、前方を向いたツカサは素っ気無く同意してくれた。
バス停に着いて数分もすると、誰も乗せていないバスがやってきた。
私たちはふたりがけの席に座り、藤倉で回るお店の話を始めた。
「俺の誕生日プレゼント、何を探そうとしてたの?」
「あー……ものは決まっていたのだけど、どうしよう……?」
本当はメガネをプレゼントしようと思っていたのだ。
その場合、視力がわからないと難しいかな、と蒼兄に相談したら、「プレゼントの場合、レンズの度数がわからなければ、フレームとレンズの金額を支払って、後日本人がレンズの交換できる引換券を同封してくれるところもあるよ」と教えてくれ、よし、その線で行こうと思っていた。
でも、昨日知った事実として、ツカサのメガネは伊達メガネ……。
これ、どうしたらいいんだろう?
ほかにツカサにプレゼントできそうなものってなんだろう……。
「翠?」
声をかけられてはっとする。
「あ、あのね……本当はメガネをプレゼントするつもりでいたの」
「メガネ……?」
「うん。そのフレームなしのメガネはとってもよく似合っていて好きだけど、スクエアタイプの黒縁メガネとか鼈甲フレームなんかでも似合うだろうなぁ、と思っていて……。でも、伊達なのよね……? 換えのメガネはいらない?」
「……いや、別に……あっても困らないけど……」
あっても困らないということは、なくても困らないという意味で――
そもそも、なんで視力二・〇もあるのに伊達メガネなどかけているのか……。
ちょっと腹立たしくなってきて、その部分をたずねることにした。
「どうして伊達メガネなんてかけてるのっ?」
少し驚いたふうのツカサは口を開けては言いよどむ。
「言いづらい理由でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
そういうわけじゃないけど、言いづらい理由ではある……?
じっとツカサを見ていると、観念したように話しだした。
「まだ幼稚舎に通ってたころ――人の視線が苦手だったんだ」
「え……?」
意外すぎるカミングアウトにちょっとびっくりする。
「どうして……って訊いてもいい?」
「……うちの人間はみんな幼稚舎から藤宮なわけだけど、周りが向けてくる視線は今とさほど変わらない。どんなに小さい子どもだろうと『藤宮の人間』として見られる。それが煩わしくて、登園を拒否したことがある」
幼稚舎でツカサがどんな目で見られていたのかは、今までのツカサや海斗くんを見ていればある程度察することができた。でも、それで登園を拒否するところまでは想像が追いつかない。
私の中では小さくてもツカサはツカサなんだろうな、と思っていたから。でも、考えてみれば、小さい子であればあるほど、そういった邪な視線には免疫がなく、また敏感に察知してしまうものなのかもしれなくて――
「初めて登園を拒否した日、父さんが仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれたんだ」
ツカサ曰く、そんなことは後にも先にもこの日だけだったという。
「で、渡されたのが父さんがかけていたメガネ」
「メガネ……?」
「そう。ほんの少し度が入っただけのメガネ」
「え……もしかして、涼先生もそんなに視力が悪いわけじゃないの?」
「基本的には、車の免許を更新するのにぎりぎり視力検査をクリアできる程度には悪くない。ただ、暗くなると見づらくなるっていう理由で度入りメガネをしてはいるけど……」
麗しき顔をしたなんて親子だ、と思ったのは内緒……。
この顔にメガネって、ものすごい破壊力を持っていると思うのだけど、きっとこの親子はそんなこと気にも留めていないに違いない。
「じゃ、どうして――」
思わず先を急かしてしまうと、ツカサは一拍置いてから話し始めた。
「父さんの場合は生い立ちが少し特殊で、周りからの視線に耐えられなくて、そのとき、祖父母に勧められて伊達メガネをかけ始めたらしい。自分と他人の間に一枚隔たりがあるだけで、気分はずいぶんと軽くなったって」
メガネをかけたことのない私には理解しづらい理屈だけど、きっと気休めでもその「隔たり」が必要なほど、当の本人は追い詰められていたのかもしれなくて――
「そういう経緯があった父さんに、メガネを勧められた」
「……どうだった?」
「単なるプラスチック一枚なんだけど、防御壁ができた気分ってわかる?」
うーん……。
「正直に答えるなら、あまりよくわからない。でも、そういうものが必要なほど追い込まれていたことはなんとなく想像できる」
「……たぶん、翠の意見が正しい。たった一枚、透明なガラスの隔たりで、何を遮断できるわけじゃないと思う。でも、小さかった俺にはものすごく画期的なアイテムに思えた」
「……じゃ、そのときからかけてるの?」
「そう。その日のうちに父さんがメガネショップに連れて行ってくれて、子供用の伊達メガネを買ってくれた」
なるほど……それをかけ続けて今に至るわけか。
「たぶん、今ならもうメガネなんてかける必要はないんだけど――」
それもわかる。今のツカサは人の視線なんてものともしないだろう。それでもかけ続けているのはどうしてなのか――
「……ずっとかけていたから外すきっかけがない?」
たずねてみると、ツカサは少し考えてから口を開いた。
「それもあるけど――……たぶん、翠のスマホと同じ」
「え……?」
「柄じゃないけど、お守りみたいな感じっていうか……ないと落ち着かないものっていうか……」
それはとても腑に落ちる意見だった。
「じゃあ、もうひとつメガネが増えても迷惑じゃない?」
ツカサははっとしたように、
「俺、別に迷惑とは言ってないんだけど?」
少し前の会話を巻き戻してみると、確かに「迷惑」とは言われていなかった。「あっても困らない」と言われたのだ。
「じゃ、メガネをプレゼントしてもいい?」
「問題ない」
「よかった」
そんな会話をしているうちにバスは藤倉の駅に着いていた。
「……まだ機嫌悪い?」
「わかってるなら唯さん連れてこなければいいものを」
「だって……」
格好いいツカサを見せたくなっちゃったんだもの……とは言いづらい。
でもツカサは、迷惑そうな顔で「だって何?」と目で訊いてくる。
「今日のツカサ見たとき、本当に格好いいなって思って、誰かに伝えたいって思っていたら、お昼休憩で唯兄が帰宅してて、我慢できなくて話しちゃったんだもの……」
結局全部話す羽目になって、恥ずかしい思いをするのは私なのだから、ちょっと悔しい……。
俯く私の隣で、ツカサは自分の服装を吟味しているようだった。
「そんなにいつもと違う……?」
「基本的にいつも黒っぽい格好だから、甚だしく違う、というわけじゃないのだけど、強いて言うなら、そういう柔らかい印象の羽織物を着てたこと、ないでしょう?」
「あぁ、これ……。先日秋兄が買ってきた服」
ん……? 秋斗さんが買ってきた、服……?
「どういう意味……?」
ツカサは話したくなさそうな面持ちで、
「俺と秋兄、服の趣味が似てるんだ」
「そうなの? でも、印象は全然違う気がするのだけど……」
「好きなブランドが同じで、まったく同じものを買わないように、秋兄は白っぽいものを買うし、俺は黒っぽいものを買うってことで落ち着いてる」
それはつまり……。
「同じデザインでも色が違えばまあいいか、ってこと?」
「そんなところ。で、一月だか二月にこのブランドの新作発表会があったらしくて、それに行った秋兄が、そこで色々買い込んできたんだ」
「……つまり、ついでにツカサの分も、っていうこと?」
「いや、服がかぶらないように、ってあらかじめ俺に似合いそうなものを選んでから、自分の分を買ったらしい」
なるほど……。
「なんか仲のいい兄弟みたいね?」
「そう? ただ合理的なだけだと思うけど」
ツカサはそう言うけれど、すべてのことに「合理性」を求めるツカサに、うまいこと秋斗さんが理由をつけてプレゼントしているようにしか見えない。
少しおかしくなってクスクス笑うと、
「翠は唯さんたちが勝手に服を買ってきたりすることないの? うちは姉さんにしても兄さんにしても、本人の意向考えずにあれこれ買ってくることが多いんだけど……」
「んー……誕生日とかクリスマスのプレゼントには、蒼兄や唯兄が選んだ洋服をプレゼントしてくれることもあるかな? でも、三人でお買い物に出かけるときは、一緒に選んでくれる感じだよ」
「へー……」
「逆に、ツカサは湊先生や楓先生、秋斗さんや海斗くんと一緒にお買い物に行くことはないの?」
「……一緒になんて行ったら、誰があの珍獣どもをまとめる羽目になると思う? 絶対面倒が俺に回ってくるだろ……。そんなの御免こうむる」
「じゃ、ツカサはいつもひとりでお買い物へ行くの?」
「服を買いに出かけることはあまりない」
……えぇと、それはつまり――
「湊先生や楓先生、秋斗さんが勝手に買ってきちゃうから、自分で買う必要がないほどに服がある、っていうこと?」
「それもあるけど、うちはデパートの外商だったりブランドの外商がシーズンごとに家に来るから、そのときに選ぶことがほとんど」
が、外商って――富裕層のステータスの一種でもある、アレですか……?
城井のおじいちゃんやおばあちゃんがそういうお買い物をする人だけど、まさかこんな身近な同年代の人までそんなショッピングをしているだなんて……。
あ、でも――桃華さんも着物に関しては外商が家に来るって言ってたし、静音先輩もそんなようなことを話していた。
藤宮という学校へ通っていても、普段はあまり御曹司だの令嬢だの、と意識することはないけれど、こういう話を聞いてしまうと、「あぁ……」と思い知る。
「でも、好きなブランドは秋斗さんが――」
私が何を訊こうとしているのか悟ったツカサは、
「秋兄が新作発表会で買ったものはきちんとチェックして持ってきてくれるから、基本的にかぶることはない」
「なるほど……」
本当に至れり尽くせりだ。
スケールの違う話に呆気に取られていると、
「翠は簾条たちと買い物に行ったりしないの?」
「……考えてみると、あまり学校外で会うことがない、かな? 夏休みに一度だけ藤倉の駅ビルへ出かけたことがあるけれど、それっきり。そのときはね、紫苑祭の後夜祭のドレスに合わせるアクセサリーを買いに行ったの。あのときのネックレスとイヤリング、バックカチューシャは桃華さんと色違いで買ったものだったのよ」
「へぇ……」
反応が薄いなぁ、と思っていたら、
「今日のデートも買い物だけど、これからのデートに買い物も加える?」
「え……?」
「ハープの弦とか楽譜を買いに行くでもいいけど、たまには洋服を買いに行ったり……」
話している途中でツカサは顔を背けてしまった。
どうして――とは思ったけれど、すぐにその理由がわかる。耳や首筋がほんのりとピンクに染まっていた。
たぶん、今赤面しているのだろう。それを見られたくなくて顔を背けてる。
それはわかるのに、どうして赤面しちゃったのかはちょっと理解できなかった。
「……嬉しいな。お買い物デート……嬉しい。今度、今度行こうっ?」
こっちを向いて欲しくてつないでいた手を引っ張る。と、
「……行こう」
ツカサがこっちを見てくれることはなかったけれど、前方を向いたツカサは素っ気無く同意してくれた。
バス停に着いて数分もすると、誰も乗せていないバスがやってきた。
私たちはふたりがけの席に座り、藤倉で回るお店の話を始めた。
「俺の誕生日プレゼント、何を探そうとしてたの?」
「あー……ものは決まっていたのだけど、どうしよう……?」
本当はメガネをプレゼントしようと思っていたのだ。
その場合、視力がわからないと難しいかな、と蒼兄に相談したら、「プレゼントの場合、レンズの度数がわからなければ、フレームとレンズの金額を支払って、後日本人がレンズの交換できる引換券を同封してくれるところもあるよ」と教えてくれ、よし、その線で行こうと思っていた。
でも、昨日知った事実として、ツカサのメガネは伊達メガネ……。
これ、どうしたらいいんだろう?
ほかにツカサにプレゼントできそうなものってなんだろう……。
「翠?」
声をかけられてはっとする。
「あ、あのね……本当はメガネをプレゼントするつもりでいたの」
「メガネ……?」
「うん。そのフレームなしのメガネはとってもよく似合っていて好きだけど、スクエアタイプの黒縁メガネとか鼈甲フレームなんかでも似合うだろうなぁ、と思っていて……。でも、伊達なのよね……? 換えのメガネはいらない?」
「……いや、別に……あっても困らないけど……」
あっても困らないということは、なくても困らないという意味で――
そもそも、なんで視力二・〇もあるのに伊達メガネなどかけているのか……。
ちょっと腹立たしくなってきて、その部分をたずねることにした。
「どうして伊達メガネなんてかけてるのっ?」
少し驚いたふうのツカサは口を開けては言いよどむ。
「言いづらい理由でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
そういうわけじゃないけど、言いづらい理由ではある……?
じっとツカサを見ていると、観念したように話しだした。
「まだ幼稚舎に通ってたころ――人の視線が苦手だったんだ」
「え……?」
意外すぎるカミングアウトにちょっとびっくりする。
「どうして……って訊いてもいい?」
「……うちの人間はみんな幼稚舎から藤宮なわけだけど、周りが向けてくる視線は今とさほど変わらない。どんなに小さい子どもだろうと『藤宮の人間』として見られる。それが煩わしくて、登園を拒否したことがある」
幼稚舎でツカサがどんな目で見られていたのかは、今までのツカサや海斗くんを見ていればある程度察することができた。でも、それで登園を拒否するところまでは想像が追いつかない。
私の中では小さくてもツカサはツカサなんだろうな、と思っていたから。でも、考えてみれば、小さい子であればあるほど、そういった邪な視線には免疫がなく、また敏感に察知してしまうものなのかもしれなくて――
「初めて登園を拒否した日、父さんが仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれたんだ」
ツカサ曰く、そんなことは後にも先にもこの日だけだったという。
「で、渡されたのが父さんがかけていたメガネ」
「メガネ……?」
「そう。ほんの少し度が入っただけのメガネ」
「え……もしかして、涼先生もそんなに視力が悪いわけじゃないの?」
「基本的には、車の免許を更新するのにぎりぎり視力検査をクリアできる程度には悪くない。ただ、暗くなると見づらくなるっていう理由で度入りメガネをしてはいるけど……」
麗しき顔をしたなんて親子だ、と思ったのは内緒……。
この顔にメガネって、ものすごい破壊力を持っていると思うのだけど、きっとこの親子はそんなこと気にも留めていないに違いない。
「じゃ、どうして――」
思わず先を急かしてしまうと、ツカサは一拍置いてから話し始めた。
「父さんの場合は生い立ちが少し特殊で、周りからの視線に耐えられなくて、そのとき、祖父母に勧められて伊達メガネをかけ始めたらしい。自分と他人の間に一枚隔たりがあるだけで、気分はずいぶんと軽くなったって」
メガネをかけたことのない私には理解しづらい理屈だけど、きっと気休めでもその「隔たり」が必要なほど、当の本人は追い詰められていたのかもしれなくて――
「そういう経緯があった父さんに、メガネを勧められた」
「……どうだった?」
「単なるプラスチック一枚なんだけど、防御壁ができた気分ってわかる?」
うーん……。
「正直に答えるなら、あまりよくわからない。でも、そういうものが必要なほど追い込まれていたことはなんとなく想像できる」
「……たぶん、翠の意見が正しい。たった一枚、透明なガラスの隔たりで、何を遮断できるわけじゃないと思う。でも、小さかった俺にはものすごく画期的なアイテムに思えた」
「……じゃ、そのときからかけてるの?」
「そう。その日のうちに父さんがメガネショップに連れて行ってくれて、子供用の伊達メガネを買ってくれた」
なるほど……それをかけ続けて今に至るわけか。
「たぶん、今ならもうメガネなんてかける必要はないんだけど――」
それもわかる。今のツカサは人の視線なんてものともしないだろう。それでもかけ続けているのはどうしてなのか――
「……ずっとかけていたから外すきっかけがない?」
たずねてみると、ツカサは少し考えてから口を開いた。
「それもあるけど――……たぶん、翠のスマホと同じ」
「え……?」
「柄じゃないけど、お守りみたいな感じっていうか……ないと落ち着かないものっていうか……」
それはとても腑に落ちる意見だった。
「じゃあ、もうひとつメガネが増えても迷惑じゃない?」
ツカサははっとしたように、
「俺、別に迷惑とは言ってないんだけど?」
少し前の会話を巻き戻してみると、確かに「迷惑」とは言われていなかった。「あっても困らない」と言われたのだ。
「じゃ、メガネをプレゼントしてもいい?」
「問題ない」
「よかった」
そんな会話をしているうちにバスは藤倉の駅に着いていた。