光のもとでⅡ+
Side 翠葉 06話
十階に着き、インターホンを前に緊張するのは何度目だろうか。
私は心の中で十を数え、「えいっ」と掛け声をかけてインターホンのボタンを押した。すると、数秒後に玄関ドアが開けられる。
右手でドアを押さえるツカサは、目を見開いて私の格好を見ていた。
唯兄の選んだものなのだから、おかしな格好ではないはず。でも、ツカサの好みではなかった……?
そもそも唯兄からツカサへのプレゼントって、「いいもの」であるかすら怪しいのではないか。もしかして、ツカサが嫌がるものをセレクトしたとかっ!?
不安に思いながら、
「あの……唯兄からのプレゼントって……」
中途半端に事情を説明すると、ツカサの眉間にしわが寄る。
私は慌てて言葉を継ぎ足した。
「おうちに帰ったらこの洋服と一緒に唯兄からのお手紙が置いてあって、『この服を着たリィを司っちにプレゼント』って……。意味わからないよね? 私もわからないのだけど……。第一、洋服をもらったのは私で、ツカサはなんの得もしないし……」
ツカサは左手で額を押さえると、その場にしゃがみこんでしまった。
「つ、ツカサっ!? どうしたの? 頭痛っ?」
突然起こるひどい頭痛の場合、救急車を呼んだほうがいい場合があると聞いたことがある。
スマホに手を伸ばそうとしたそのとき、
「違うし……」
違う……? 頭、痛くない……?
ツカサは座ったまま私を見上げると、
「そんな格好してたら襲いたくなるこっちの身にもなれ……」
ドスの利いた声で凄まれたけれど、
「え……?」
おそいたくなる……襲いたくなる……? 襲う……?
「あっ、そういう意味だったのっ!? やっ、そんなつもりはなくて――」
言い訳に必死になっていると、すくっと立ち上がったツカサに強引に唇を奪われた。
噛み付くようなキスに文句を言いたくなる。
「今回のこれは私が悪いんじゃないものっ!」
どうしたって唯兄一択。唯兄が悪いっ。
なのに、ツカサの目は「翠も共犯」と言わんばかりだ。
こんなことならこの洋服を着てこなければよかった……。
「ま、とりあえず上がって」
「……お邪魔します」
おめでたい日なのに、私は早々にむくれる羽目になってしまった。
リビングへ通されると、珍しくものが散乱していた。
出ているものは弓とそれに付随するあれこれ。
「散らかってて悪い。今片付けるから」
散らかってるというよりは、道具のメンテナンスをしていたのだろう。
私は初めて間近で見るそれらに興味を持ち、
「少しだけっ、少しだけ見せてもらってもいいっ?」
ツカサは少し驚いた顔で、
「別にいいけど……」
私はツカサが持つ弓をまじまじと見て、
「わぁ……本物の弓だぁ……」
秋斗さんの弓と同じ材質の弓。でも、ほかの生徒はこういう弓は持っていなかった気がする。
「弓の材質は何? 木だと思うのだけど……竹、かな?」
ツカサはひとつ頷くと、
「四段に昇格したとき、秋兄に竹弓をプレゼントされて、それからはずっとこの弓を使ってる」
「弦の素材は?」
「ゲンじゃなくてツル。弓道ではツルという」
「つる……」
「弦の素材には麻と合成繊維があるけど、俺のは麻」
「ふーん……」
「翠のハープの弦は?」
ツカサがハープに興味を持ってくれたことが嬉しくて、私は自然と笑顔になっていた。
「低音弦は金属弦だけど、ほとんどの弦はナイロン。羊腸でできたガット弦も使ってみたいのだけど、値段が高いのと、キラキラした音色のほうが好きだから、今はまだナイロン弦でいいかな。矢は?」
話を弓道へ戻すと、ツカサは設計図を入れるアジャスタケースのような筒から矢を取り出し見せてくれた。
「これも竹?」
「そう。羽は黒鷲風切羽」
ほかにはどんな羽があるのだろうか、と思いながら、
「ね、ツカサ。弓道とハープってものすごく密接な関わりがあるのよ?」
ツカサは「どんな関わりが?」といった顔をしている。
食いつき良好なツカサを前に、
「ハープの形、弓の形に似てると思わない?」
「似てると言われれば似てる気がしなくもないけど……」
「ハープの起源は意外と古いの。古代メソポタミアでは紀元前三〇〇〇年にその原型が記録されているのよ!」
あぁ、なんだか懐かしいな……。
ハープを始めたとき、ハープの起源が知りたくて図書館へ足を運んだ。
何冊か借りてきた本を読み終わると、私は得た知識を誰かに教えたくて仕方がなくて、家族相手に何度も話して聞かせたのだ。
そうしてしばらくすると、家族は暗唱できるほどにハープの起源に詳しくなっていたっけ……。
そんな昔を思い出しながらツカサに話すと、ツカサは顎に右手の人差し指を添え、「へぇ……」と感心するように聞いていた。
「ほかにはこんな話もあるのよ。ギリシア神話の太陽神アポロンが、狩りの女神ディアナのピンと張られた弓から出る音色に魅せられて、それに数本の弦を加えてハープを作ったんだって」
ツカサは「あ……」と口を開けてから、
「もしかして、そこからギリシア神話に興味を持った?」
「……それも蒼兄情報?」
「ほかの情報の出所なんてないだろ?」
「それもそうね。でも、うん……当たり。ハープを習い始めたときに図書館でハープの起源を調べたの。そのときにこの一説を知って、ついでにギリシア神話の本まで借りて帰ってきました……」
そして、ハープの起源を話し尽くした私は、ギリシア神話を話して聞かせるようになったのだ。
小さいころってなんであんなに新しく得た知識を人に話したくなるのだろう。でも、思い返してみても、あんなに毎日のように得た知識を話していたのはハープのことやギリシア神話のことくらいだったと思う。
ツカサにもそんな時期があっただろうか。
ツカサの小さいころ……。
想像しようと試みても、どうにもこうにもうまくいかない。
以前支倉のマンションで小さいころの写真を見たから姿形は想像することができるけれど、そのときの性格や性質みたいなものまではなかなかに難しい。
でも、ツカサが饒舌に語るところは小さくても想像できないな……。
今度、真白さんに聞いてみようかな……。
「弓道にも興味ある?」
不意に投げられた質問に、
「あるっ!」
私は飛びつく勢いで返事をした。
「本、読んでみる?」
「あるのっ!?」
「教本みたいな本と弓道の雑学っぽい本がある」
「読んでみたいっ!」
ツカサは弓を片付けると、「こっち」と言って歩き出し、寝室へと向かった。
ドアが開いてベッドが見えただけでもなんだかちょっとそわそわする。
今は本を取りに来ただけであって、そういうことをするわけじゃないのに。
ツカサはベッドの対面に置かれた壁一面の本棚から二冊の本を取り出した。
「こっちが教本みたいな本で、こっちが雑学」
「読むのに少し時間かかっちゃうかもしれないけど、いい?」
「かまわない」
ところどころに付箋がついていたりして、相当読み込まれたことがわかる本に、私は口元が緩むのを感じていた。
春休み中にツカサが使っていた三年次のノートや教科書、参考書をいただいたけれど、こういう本を借りるのは初めて。
いつか、ツカサお気に入りの小説を貸してもらいたいな……。
でも、ツカサが小説を読んでいるところは見たことがない。いつだって医学書であったり論文であったり、何か小難しい内容のもの。それに小説を読んでいるツカサも想像はできない。どちらかと言うなら、故事ことわざ系の漢文とかなら読んでいそう、かな……。
いきなり漢文とか渡されたらどうしよう……。
考えただけでもぞっとするけれど、ツカサの部屋にはそんな本だって置かれてはいない。あるのは医学に関する本と文庫本サイズの「星の王子様」だけ。
いつか、どうして「星の王子様」だけがデスクに置いてあるのか、訊いてみたいな――
私は心の中で十を数え、「えいっ」と掛け声をかけてインターホンのボタンを押した。すると、数秒後に玄関ドアが開けられる。
右手でドアを押さえるツカサは、目を見開いて私の格好を見ていた。
唯兄の選んだものなのだから、おかしな格好ではないはず。でも、ツカサの好みではなかった……?
そもそも唯兄からツカサへのプレゼントって、「いいもの」であるかすら怪しいのではないか。もしかして、ツカサが嫌がるものをセレクトしたとかっ!?
不安に思いながら、
「あの……唯兄からのプレゼントって……」
中途半端に事情を説明すると、ツカサの眉間にしわが寄る。
私は慌てて言葉を継ぎ足した。
「おうちに帰ったらこの洋服と一緒に唯兄からのお手紙が置いてあって、『この服を着たリィを司っちにプレゼント』って……。意味わからないよね? 私もわからないのだけど……。第一、洋服をもらったのは私で、ツカサはなんの得もしないし……」
ツカサは左手で額を押さえると、その場にしゃがみこんでしまった。
「つ、ツカサっ!? どうしたの? 頭痛っ?」
突然起こるひどい頭痛の場合、救急車を呼んだほうがいい場合があると聞いたことがある。
スマホに手を伸ばそうとしたそのとき、
「違うし……」
違う……? 頭、痛くない……?
ツカサは座ったまま私を見上げると、
「そんな格好してたら襲いたくなるこっちの身にもなれ……」
ドスの利いた声で凄まれたけれど、
「え……?」
おそいたくなる……襲いたくなる……? 襲う……?
「あっ、そういう意味だったのっ!? やっ、そんなつもりはなくて――」
言い訳に必死になっていると、すくっと立ち上がったツカサに強引に唇を奪われた。
噛み付くようなキスに文句を言いたくなる。
「今回のこれは私が悪いんじゃないものっ!」
どうしたって唯兄一択。唯兄が悪いっ。
なのに、ツカサの目は「翠も共犯」と言わんばかりだ。
こんなことならこの洋服を着てこなければよかった……。
「ま、とりあえず上がって」
「……お邪魔します」
おめでたい日なのに、私は早々にむくれる羽目になってしまった。
リビングへ通されると、珍しくものが散乱していた。
出ているものは弓とそれに付随するあれこれ。
「散らかってて悪い。今片付けるから」
散らかってるというよりは、道具のメンテナンスをしていたのだろう。
私は初めて間近で見るそれらに興味を持ち、
「少しだけっ、少しだけ見せてもらってもいいっ?」
ツカサは少し驚いた顔で、
「別にいいけど……」
私はツカサが持つ弓をまじまじと見て、
「わぁ……本物の弓だぁ……」
秋斗さんの弓と同じ材質の弓。でも、ほかの生徒はこういう弓は持っていなかった気がする。
「弓の材質は何? 木だと思うのだけど……竹、かな?」
ツカサはひとつ頷くと、
「四段に昇格したとき、秋兄に竹弓をプレゼントされて、それからはずっとこの弓を使ってる」
「弦の素材は?」
「ゲンじゃなくてツル。弓道ではツルという」
「つる……」
「弦の素材には麻と合成繊維があるけど、俺のは麻」
「ふーん……」
「翠のハープの弦は?」
ツカサがハープに興味を持ってくれたことが嬉しくて、私は自然と笑顔になっていた。
「低音弦は金属弦だけど、ほとんどの弦はナイロン。羊腸でできたガット弦も使ってみたいのだけど、値段が高いのと、キラキラした音色のほうが好きだから、今はまだナイロン弦でいいかな。矢は?」
話を弓道へ戻すと、ツカサは設計図を入れるアジャスタケースのような筒から矢を取り出し見せてくれた。
「これも竹?」
「そう。羽は黒鷲風切羽」
ほかにはどんな羽があるのだろうか、と思いながら、
「ね、ツカサ。弓道とハープってものすごく密接な関わりがあるのよ?」
ツカサは「どんな関わりが?」といった顔をしている。
食いつき良好なツカサを前に、
「ハープの形、弓の形に似てると思わない?」
「似てると言われれば似てる気がしなくもないけど……」
「ハープの起源は意外と古いの。古代メソポタミアでは紀元前三〇〇〇年にその原型が記録されているのよ!」
あぁ、なんだか懐かしいな……。
ハープを始めたとき、ハープの起源が知りたくて図書館へ足を運んだ。
何冊か借りてきた本を読み終わると、私は得た知識を誰かに教えたくて仕方がなくて、家族相手に何度も話して聞かせたのだ。
そうしてしばらくすると、家族は暗唱できるほどにハープの起源に詳しくなっていたっけ……。
そんな昔を思い出しながらツカサに話すと、ツカサは顎に右手の人差し指を添え、「へぇ……」と感心するように聞いていた。
「ほかにはこんな話もあるのよ。ギリシア神話の太陽神アポロンが、狩りの女神ディアナのピンと張られた弓から出る音色に魅せられて、それに数本の弦を加えてハープを作ったんだって」
ツカサは「あ……」と口を開けてから、
「もしかして、そこからギリシア神話に興味を持った?」
「……それも蒼兄情報?」
「ほかの情報の出所なんてないだろ?」
「それもそうね。でも、うん……当たり。ハープを習い始めたときに図書館でハープの起源を調べたの。そのときにこの一説を知って、ついでにギリシア神話の本まで借りて帰ってきました……」
そして、ハープの起源を話し尽くした私は、ギリシア神話を話して聞かせるようになったのだ。
小さいころってなんであんなに新しく得た知識を人に話したくなるのだろう。でも、思い返してみても、あんなに毎日のように得た知識を話していたのはハープのことやギリシア神話のことくらいだったと思う。
ツカサにもそんな時期があっただろうか。
ツカサの小さいころ……。
想像しようと試みても、どうにもこうにもうまくいかない。
以前支倉のマンションで小さいころの写真を見たから姿形は想像することができるけれど、そのときの性格や性質みたいなものまではなかなかに難しい。
でも、ツカサが饒舌に語るところは小さくても想像できないな……。
今度、真白さんに聞いてみようかな……。
「弓道にも興味ある?」
不意に投げられた質問に、
「あるっ!」
私は飛びつく勢いで返事をした。
「本、読んでみる?」
「あるのっ!?」
「教本みたいな本と弓道の雑学っぽい本がある」
「読んでみたいっ!」
ツカサは弓を片付けると、「こっち」と言って歩き出し、寝室へと向かった。
ドアが開いてベッドが見えただけでもなんだかちょっとそわそわする。
今は本を取りに来ただけであって、そういうことをするわけじゃないのに。
ツカサはベッドの対面に置かれた壁一面の本棚から二冊の本を取り出した。
「こっちが教本みたいな本で、こっちが雑学」
「読むのに少し時間かかっちゃうかもしれないけど、いい?」
「かまわない」
ところどころに付箋がついていたりして、相当読み込まれたことがわかる本に、私は口元が緩むのを感じていた。
春休み中にツカサが使っていた三年次のノートや教科書、参考書をいただいたけれど、こういう本を借りるのは初めて。
いつか、ツカサお気に入りの小説を貸してもらいたいな……。
でも、ツカサが小説を読んでいるところは見たことがない。いつだって医学書であったり論文であったり、何か小難しい内容のもの。それに小説を読んでいるツカサも想像はできない。どちらかと言うなら、故事ことわざ系の漢文とかなら読んでいそう、かな……。
いきなり漢文とか渡されたらどうしよう……。
考えただけでもぞっとするけれど、ツカサの部屋にはそんな本だって置かれてはいない。あるのは医学に関する本と文庫本サイズの「星の王子様」だけ。
いつか、どうして「星の王子様」だけがデスクに置いてあるのか、訊いてみたいな――