光のもとでⅡ+

Side 司 02話

 デザートを食べ終えコーヒーを飲んでいるところに園田さんがやってきた。
「ランチはいかがでしたか? デザートは須藤の自信作だったんですよ」
 にこやかに感想を求めてくる。
 ホテルマンとしての普段の対応とはまったく異なる。おそらくは、翠がそれだけこのホテルの人間に好かれているということなのだろうし、「特別な客」ということなのだろう。
 翠は満足げに、
「とーってもおいしかったです! デザートはいつかいただいた桃のシャーベットがベースになっていて、本当においしかったです」
「それはよろしゅうございました。このあとマリッジリングをご覧になりたいと静様からうかがってきたのですが……」
 どこか腑に落ちない表情で訊かれ、
「それで間違いありません」
 俺が応えると、
「六年後のご予約、ということでよろしかったですか?」
「いえ、できるだけ早くに欲しいのですが……」
 園田さんは表情を改め、
「失礼いたしました。それではご案内いたします」
 と、先導し始めた。
 連れて行かれたのは二階にあるマリアージュ。
 ドレスがずら、と並ぶその奥に、ショーケースが並ぶ一画があった。
 壁際にはパンフレットがこれでもか、というほど並んでいる。
「エンゲージリングと一緒につけられるタイプと別々に着けるタイプがございますが、どういったものをお探しですか?」
 さすがに事前情報がないだけに、何かを見て決めたいところだ。
 困り果てた翠の視線を感じ、手近にあるパンフレットを手に取る。
「翠はどんなエンゲージリングがいい? 一粒タイプのもの? それとも、中央に大き目のがあって、サイドに小さな石がついているのとか……」
 パンフレットにある指輪を見ながら訊ねると、翠も食い入るようにパンフレットを見始めた。
 やっぱり女子はこういうものが好きなのだろうか。……「好き」よりは「憧れ」っぽい表情に見えなくもないけれど……。
「お好みもあるかとは思いますが、曲線になっているこういったタイプはとても指をきれいに見せてくれますよ」
 ただパンフレットをめくっていた俺たちに、園田さんは指針となるようなパンフレットやページを開いて見せてくれる。
 すると、その中のひとつがヒットしたらしい。
 翠が目をキラキラと輝かせてエンゲージリングを見ていた。
 それは曲線が美しく、一粒のダイヤの両脇に小さなダイヤがついたリング。
 へぇ……シンプルだけど、こういうものが好きなんだ……。
「お気に召したようですね。こういったデザインをお選びの場合、マリッジリングはそれに合った形状を選ぶのがよろしいかと思います。たとえばこういったものですとか――」
 それはエンゲージリングの形とピタリと一致するようなリングデザイン。
 確かに、ふたつを一緒につけたらしっくりくるだろうし、華やかだろうな、と思えるそれだった。
「ダイヤが入っているものと入っていないものとございますが、どちらがお好みですか?」
 翠は悩みに悩んで、大部分がプラチナで、両端に細くゴールドのラインが入ったシンプルなリングを指差した。
「ツカサは? ツカサの好みは?」
「男なんてなんでもいいに決まってる」
「……そういうもの?」
「そうですねぇ……。エンゲージリングやマリッジリングは男性よりも女性主体で選ばれるカップルが多いですよ」
「でも、ツカサが着けてるところを見て決めたい……」
 子犬のような目で見られ、若干サイズの合わないリングを着けると、翠が目を輝かせていた。
「似合うっ! ツカサはプラチナしか似合わないかと思っていたけれど、ゴールドが入ってても大丈夫そうね? 良かったーーー! それに、このデザインなら、今つけているペリドットのリングとの相性も良さそう!」
「じゃ、翠も着けて見せて」
 園田さんが出してきたエンゲージリングとマリッジリングを二連で着けた翠は、
「どう……?」
 少し不安げに訊いてきた。
「問題なく似合ってる」
「じゃ、これがいいな……」
 そこまで言うと、ようやく値段というものが提示された。
 マリッジリングのみで二十二万。まあ、一生ものと思えば妥当な値段だな。
「クレジットで一括で」
「ツカサっ! 私も払うっ!」
 カードを差し出した右手を両手で掴んで引き止められた。
「マリッジリングくらい払わせろ」
 今日のランチは払えなかったのだから。
「でもっ――」
 まあ確かに……。ここまで高価なものを贈るのは初めてだし、未成年という年を加味すれば気が引けるのも頷ける。
 それでも、これは未来に必要となるもので、生涯身に着けるものになるのだから、余計に持たせてもらいたいわけで……。
「お嬢様、この場合、司様の意向を汲んで差し上げるのが女性のたしなみというものですよ」
 園田さんの助言に感謝する。翠は渋々了承し、表情を改めはにかみ嬉しそうに「ありがとう」と口にしてくれた。
「刻印はいかがなさいますか? 日付と名前を刻むことができますが」
「でしたら、婚約した日とそれぞれの名前を『T to S』と『S to T』でお願いします」
「それはまた、思い入れのある刻印ですね」
「まだ入籍する日はわかっていませんし、それなら婚約した日でいいのかと思って。……おかしいですか?」
「いえ、とてもすてきだと思います。未来への約束のリングですね」
 リングの引渡しは一週間後。
 取りに来る方法と配送を選ぶことができ、俺たちは配送を選んだ。

 マリアージュを出て地下駐車場へ向かう途中、
「受験はAO入試に決めたんだろ?」
 確認のように訊ねると、
「うん。まずは夏休み中に受ける。最高三回までは受けられるから、気負わずにがんばろうかな、って」
 俺からは想像もつかないが、本番に弱いらしい翠にとってはその「三回」がとても重要なのだと言う。
「じゃ、受験が一発で終わったら何かしたいことある?」
「え……?」
 そんなに驚くことじゃないと思うんだけど……。
「これだけがんばってるんだから、何かご褒美があってもいいだろ?」
「ご褒美っ!? じゃ、お祝いしてほしいっ!」
 をぃ……。
「それは決定事項だから、翠がしたいこととか……」
「したいこと、か……。そうだなぁ……」
 翠は首を傾げて考え込む。そして、
「あっ! じゃ、浴衣を着て花火見たい!」
「それなら七夕にまたうちで花火やるだろ?」
「それとは別で、藤川で上げる八月末の花火大会のっ!」
 あぁ、高一の夏休みに見たあの花火のことか……。
「また病院の屋上から見る?」
 それなら父さんの許可が必要になるな……。
 帰宅したら打診しようと考えている傍らで、
「マンションの屋上からじゃ見られないの?」
「見られるけど、病院の屋上ほど近くには見られない」
「それでも全然いい! マンションの屋上から見よう? ツカサも浴衣着て、花火が始まる前にお部屋でお好み焼き焼いて、屋上で食べるの! 人ごみじゃないし、おいしいお好み焼きをゆっくり食べながら花火を見られるの、最高に幸せ!」
 本当に嬉しそうに話すけど……。
「翠の幸せって本当にそういうのばっかだな」
「そういうの……?」
 翠はいつものように首を右に傾げる。
「ものすごく特別ってものじゃないってこと」
「えー……? そうかな? 私にとってはツカサと一緒に過ごせたらなんでも幸せなことになっちゃうんだけどな……。だめ?」
「だめじゃない。だめじゃないけど――」
 くそっ……なんでここがエレベーターの中なんだ。
 防犯カメラがある都合上、抱き寄せることもキスすることもできないじゃないか。
 俺は欲望を我慢するために拳に力をこめる。と、それに気づいた翠が、
「……どうしたの……?」
「かわいいこと言うから抱きしめたいのに、ここじゃ人目があってできないだろ」
 思わず本音を零すと、クスと翠が笑った。
「じゃ、あとでぎゅってしてね?」
 言いながら、俺の手の力を解すように手をつないできた。
 さらには反則級の上目遣い。
「上目遣い禁止……」
「だって、どうしたってツカサのほうが背が高いんだもの」
「それもそうか……。じゃ、花火の前の日には食材を買出しに行くなり、コンシェルジュにオーダーするなりしよう」
「わー! 楽しみ! 受験、がんばろう! がんばろうっ! 今日も帰ったら練習しなくちゃ!」
「……今日くらいよくない?」
「……そうかなぁ。でも、明日レッスンだし……」
 こういうとき、翠が非常に真面目で努力家な人間だと思い知る。
 でも、今日くらいは――
「今日は思いきり翠を甘やかしたいっていうか、抱きたいんだけど……」
 ストレートに翠を求めると、翠はそっと俺に寄り添った。
「それ、いいように解釈するけど……?」
 翠は恥ずかしそうにコクリと頷いた。
 身体の関係を持つようになってから今まで、一度も行為を拒まれたことはない。
 線維筋痛症の症状のひとつとして、性行痛が生じることも少なくはない。けれど、きちんと気持ちよさも感じてくれているし、痛みが生じるからといって拒まれたことはないのだ。
 それにどれほど俺が救われているかなど、翠はわからないんだろうな。
 翠を抱けば抱くほど愛しさが溢れてきて、自分という人間がこんなにも愛情を感じられる生き物だとは思いもしなかった。
 自分に欠けていたものをひとつひとつ翠が補ってくれているような感覚が常にある。
 朝陽たちに「人間らしくなった」と何度となく言われるが、それは間違いなく翠に出逢ったからほかならない。
 そういう意味でも、感謝してもしきれない。
 きっとこれは医者になるのに必要な感情だったと思うから。
 不意につないでいた手に力をこめられ、
「どうかした?」
「ううん。好き、って思っただけ」
 満面の笑みでそれとかどうなの……。
 俺は我慢ができず、車の陰に翠を引き込み、腰を引き寄せキスをした。
 翠は恥ずかしそうに頬を染め、反論してくる。
「人目があるからしないんじゃなかったの?」
「男の思春期舐めるなよ?」
「何それ……」
 翠はクスクスと笑う。
 こっちは笑いごとではないと言うのに。
「家に帰ったら覚悟してろよ? 別の意味で啼かせてやる」
 翠がもう無理だと言おうがなんと言おうが、快楽攻めにしてやる――
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