光のもとでⅡ+

Side 翠葉 04話

 八月十一日日曜日――
 泣く子も黙る合格発表の日である。
 私は数日前からキリキリと痛む胃を押さえ、ツカサに支えられるようにして短大へ向かった。
 けれど、短大の入り口から身動きとれずに早十分。
「なんなら俺が見てこようか?」
 呆れたツカサがそう言い出すくらいにはだめだめだった。
 それでもなんとか自分を奮い立たせ、一歩を踏み出す。何度も何度も右左、右左、を唱えながら、まるでロボットのような動作で。
 そうしてたどり着いた合格発表の貼り出しの中に私の番号は――
「ゼロ、ニ、ハチ、キュウ、ゴ、ロク……ゼロ、ニ、ハチ、キュウ、ゴ、ロク――っ!」
「あぁ、間違いなくある」
 ツカサに言われて飛び上がった。
「良かったーーー! これで旅行に行けるっ!」
「そこ……?」
「そうだよっ! だって、せっかく雅さんが帰国するのに会えないなんていやだものっ!」
「何はともあれ、受験勉強もようやく終止符が打てるな」
「うんっ! でも、入学するまで技術は落とせないからレッスンは週一に戻して続行だけどね」
「そうなんだ?」
「うん」
 そんな話をしているとスマホが鳴りだした。
「あ、慧くんだ……。出てもいい?」
「……好きにすれば?」
 ツカサは興味なさそうにそっぽを向く。
 ちょっと機嫌を損ねてしまっただろうか、と思いながら、ツカサの手を取って通話に応じると、ぎゅっと手を握り返された。
 私は通話内容がわかるようにスピーカーの状態で話し出す。
「慧くん? どうしたの?」
『どうしたの、じゃねえよっ! おまえ、こっちじゃなくて短大受けたってっ!?』
「そうなのっ! お目当てのハープの先生がこっちに異動になってたから」
『なんだよそれっ! 俺、絶対こっちに来ると思ってたのにっ!』
「でも、短大が終わったら大学を受けなおすか編入するかは考えてるよ」
『そうなのっ!?』
「うん。今日、合格発表で今短大にいるの」
『結果はっ!?』
「一発合格っ!」
『ま、こっちを目指して練習してきたんだ。当然の結果って言ったら当然の結果だな。俺も今大学にいるから、これからお祝いしに行かねっ? 俺奢るし!』
「ごめんっ! ツカサも一緒なの。だから、また今度ね」
『ちぇー、わかった。今度仕切り直しなっ!』
「ありがとう。じゃあね」
 通話を切ると、
「ふーん……音大男に祝ってもらうんだ?」
「たぶんリップサービスだよ」
「どうだか……。このあとは?」
「えぇと……まずは必要各所に連絡を入れて――帰りに天川ミュージックスクールで仙波先生に合格の報告をして、レッスンの日取りを決めたら帰れる!」
「じゃ、昼はウィステリアホテルでランチ、お祝いにしよう」
「えっ?」
「合格発表まで付き合ったんだ。一番に祝わせてもらえるんだろうな?」
 まるで脅すような物言いに、私は思わず苦笑してしまう。
 でも、
「嬉しいっ! ……でも、今日私制服……」
「なんのためのマリアージュ?」
「あっ!」
 そうだった。貸衣装店マリアージュへ行けば、静さんたちからプレゼントされたドレスがあるのだ。そのドレスに着替えれば問題はないだろう。
 ツカサはというと、この暑い日にも関わらずサマージャケットを着ているところを見ると、受かった暁にはウィステリアホテルと最初から決めていたのかもしれない。

 天川ミュージックスクールに着くと、ひとり車を降り先生のもとへと急ぐ。
 スキップしだしそうな勢いを抑えてドアを開けると、ちょうどレッスンの合間で事務所に出てきていた仙波先生と目が合った。
「先生っ!」
「どうやら良いご報告のようですね」
「はいっ! 受かりました! これも先生のおかげですっ!」
「そんなことはありません。私は少しばかりお手伝いをしたに過ぎず、すべては練習と勉強をがんばった御園生さんの努力の賜物ですよ。では、今日のレッスンはなしですね?」
「はいっ! また来週から週一のレッスンに戻そうと思うのですが、先生のご都合はいかがですか?」
「問題ありませんよ。レッスンの場はどうしますか? こちらに戻しますか?」
「あ……えと、二学期に入ったら文化祭準備でまた忙しくなるので、今のままマンションでのレッスンでもいいでしょうか……」
「かまいません。できれば日曜日の夜間レッスンにしていただけると助かるのですが、御園生さんのご都合はいかがでしょう?」
「大丈夫です!」
「では、明日……」
 先生は少し考えてから、
「来週からにしましょうか?」
 きっと、明日はお祝いになるだろうと予想してくれたのだろう。そんな気遣いが嬉しくて、私は元気よく「はいっ!」と返事をした。
「外で司くんが待っているのでしょう? なら、今日はもうお帰りなさい」
 そう言われて私はペコリとお辞儀をしてミュージックスクールをあとにした。

 私が乗り込むと、警護班の車は何を言わずともウィステリアホテルへと向かって走り出す。そこから察するに、私がいない間にツカサが行き先を指定していたのだろう。
 ホテルへ行くと、園田さんが出迎えてくれた。
「個室になさいますか? それとも、花盛りの温室でアフタヌーンティーになさいますか?」
「その場合、制服でも大丈夫ですか?」
「もちろんです」
「ツカサ、お昼だし、アフタヌーンティーにしない? 私、アンダンテのケーキ食べたいな! ……それとも、もっとちゃんと食べたい感じ?」
「いや、翠がそれでいいなら俺はなんでもかまわない」
「それでは温室にご案内いたします」
 私たちが案内されたのは婚約したときに案内されたテーブルだった。
 温室中にブーゲンビレアとフクシアが咲き乱れていてとても華やかな印象を受ける。
 このテーブルが一番良い席で、どこに座ってもきれいなお花を見ることができるのだ。
 そんな気遣いが嬉しくて笑顔になると、
「いつもはなかなかご利用くださらないのに、今日は珍しいですね?」
 そんな言葉と共にメニューを開いた状態で渡される。
「実は、今日が短大の合格発表の日だったんです」
 園田さんはびっくりしたように目を見開き、
「ということは、合格されたんですねっ?」
「はいっ! それでツカサがお祝いしてくれることになって……」
「おめでとうございます! それではパティシエにうんと腕を揮ってもらうので、メニューはお任せにさせてくださいね!」
 園田さんは今まで見てきた中で一番ウキウキした様子で、メニューを持って慌しく立ち去った。
「園田さん、珍しく浮かれてたね?」
 クスクスと笑いながら口にすると、
「それだけ翠の合格を喜んでくれてるってことだろ?」
「そっか、嬉しいね?」
「あぁ、これでレッスンの拘束時間がだいぶ緩和されるな」
「なんだかんだ、ツカサは毎回付き合ってくれてたものね? 大学のほうは大丈夫だったの?」
「問題ない」
「いつも付き合ってくれてありがとう」
「自分の都合で同席していただけだ。それは今後も変わらない」
 そう言うと、ツカサはツンとそっぽを向いてしまった。
 私はこっちを向いて欲しくて、
「この席に座ると婚約した日のことを思い出すね?」
「そんな前の話でもないけどな」
「でも、まだ婚約したなんて思えなくて不思議な気分」
「まだ……?」
「だって、まだ高校生だし、結婚だって六年先のことだし、ふわふわしてて実感はなかなか伴わないよ」
「それじゃ困るんだけど。なんのためにマリッジリングまで買ったと思ってるの?」
 そう言って、ツカサは首にぶら下げていたリングをシャツの上に出して見せる。
 私も今日は制服の下に着けているけれど、それと意識の問題は別なのだ。
「そうなんだけどね……。そうなんだけど、こんなに大好きな人が自分の婚約者であることがまだ少し信じられないの」
 そう説明すると、
「そういう殺し文句、面と向かって言うなよ」
 ツカサは顔を少し赤らめて、またそっぽを向いてしまった。
 色々と失敗したな、と思っていると、
「今年のクリスマス……」
「え?」
「今年のじーさんの誕生パーティーでは婚約者として触れて回るから」
 宣言されて絶句してしまったけれど、婚約して初めての公の場は藤の会だった。しかし、そこへ来られない人も多数いるのだろう。そこからすると、本当の意味での公の場は元おじい様の誕生パーティーになるのかもしれなくて、ツカサに来る見合い話を一蹴するのには好都合なのかもしれなくて――
「そのころまでにはきちんと自覚して」
「……はい」
 私は心して返事をした。

 とってもかわいくてゴージャスなアフタヌーンティーセットが運ばれてきて、二時間かけてそれを食べ尽くすと、私は軽い貧血を起こした。
 数日前からあまりものを食べられていなかったし、合格発表が近づくに連れて不眠が続いていたからだろう。
 合格したことに安心し、急に食べ物を胃に入れたことで貧血を起こしたのだ。
 駆け寄る園田さんにツカサは一言部屋を提供してくれるよう話し、私を抱え上げるとホテルの一室へ場所を移した。
「ごめん……」
「本調子じゃないことはわかってたから、こうなることも想定済み」
「それはなんだか悔しいな……」
「どうせ眠れてなかったんだろうし、食欲だって落ちてたんだろ? そこへきて、消化に時間のかかりそうなものを食べたんだ。こうなってしかるべき」
「返す言葉もございません」
「少し休んだらマンションへ戻ろう。今日家族は?」
「みんな仕事」
「じゃ、俺の部屋でいいな」
「でも、おうちで横になってれば大丈夫だと思う」
「それならうちでも問題ないだろ?」
 そう言われ、一時間ほど休んだ末、ツカサの家へと連れ帰られた。
 主寝室に寝かされて少しかまえてしまう。
 この部屋に入るときはいつもえっちをするときだからだ。
 そんな緊張が伝わったからか、ツカサはものすごく呆れた顔で、
「具合の悪い翠を襲ったりはしない」
 そう言うとベッドに腰を下ろし、私の額を軽く撫でた。
「休めるなら眠ればいい。夕方には起こすから」
 今にも腰を上げそうなツカサの手を掴み、
「何?」
「……キス、して?」
「……誘ってるの?」
「違う……でも、キス、してほしい……」
「翠はもう少し男の生態について詳しくなるべきだと思う。キスしたらその先にだって進みたくなるだろ?」
 じろりと睨まれ、私はキスを諦めることにした。
 すると、盛大なため息が降ってきて、「ちゅ」と軽く額にキスをされた。
「これが限度」
 ただそれだけでも嬉しくて、私は口元までタオルケットを引き上げ、「ありがとう」と小さくお礼を口にした。
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