光のもとでⅡ+

Side 翠葉 16話

 寝室で着替えの準備をしていると、気づけばツカサがすぐ近くに立っていた。
 不思議に思って顔を上げると、
「ある程度冷たいシャワーを浴びろよ? 髪ならあとで俺が乾かすから、ちゃんと頭からシャワーを浴びてくること」
 まるで小さい子に諭して聞かせるお父さんのようなそれに、クスリと笑みが漏れる。
「何……」
「心配性だな、と思って。というよりは、世話焼き……?」
「そういうのはこれを見てから言ってくれない?」
 ずい、と目の前に差し出されたのはツカサのスマホ。
 そこには私のバイタルが表示されていた。
「わー……三十七度四分か。これは強制冷却必須ですね……」
「そういうこと。せっかく熱中症にならず旅行へ来られたのに、旅先で熱中症になってたら意味がないだろ」
 それは言えてる……。
「わかったなら早くシャワー浴びてきて」
「ハイ、イッテキマス……」
 私は急かされるままにバスルームへ向かった。
 肌が露出している部分には割と強い日焼け止めを塗っていたから、シャワーを浴びてきっちり落とせるのはそれはそれでよかったのかも?
 そんなことを思いながら身体を洗い、朝入ったバスタブもきれいに洗って出てくると、ツカサがキッチンに立っていた。
「何か手伝うことある?」
 背後からそっと声をかけると、
「いや、もうできるから座っててくれてかまわない」
 言ったそばからキッチンタイマーが鳴り出して、ツカサはお鍋を流しへ持って行くと、ザルに素麺を流し込み、流水で洗ったあとは氷水を張ったボウルに麺を移す。
 手慣れてるなぁ……。
 感心しながら見ていると、ツカサはキッチンから出てきて私の背後に立った。そして、頭上で留めてあるクリップを取られてびっくりする。
「髪の毛――」
「麺が伸びるから乾かすのはあとで。でも、ひとまず櫛は通したほうがいいだろ」
 そう言うと、乱雑にまとめてあった髪を下ろすと目の粗いコームで丁寧に梳かしてくれ、きれいに纏め上げてはまたクリップで留める。
 あまりの器用さに「ありがとう」を言うのが精一杯だった。
 どうしたことか、星見荘へ来てからツカサの世話焼きが止まらない。
 それを煩わしいと思うことはないし、世話を焼かれるとふわふわとした幸福感に包まれる。
 そのふわふわした感覚のまま、ツカサの動作を目で追っていた。
 キッチンテーブルにはすでにガラスの器が待機していて、トレイには箸置きとお箸もセットされている。
 ツカサはお素麺その他諸々を器によそうとそれらをトレイに載せ、
「外のパラソル広げたからそっちで食べよう。泉に近いほうが風も涼しい」
 ツカサのあとを追ってウッドデッキへ出ると、パラソルの影になる席を譲ってくれた。
 すべてが整って、
「で、変温動物は熱が下ったわけ?」
 へ、変温動物っ!?
「それはひどいっ!」
「だって、変温動物そのものだろ?」
 ツカサは笑いながらスマホを取り出しバイタルを確認する。
「三十七度か……素麺食べたら今度は水風呂に浸かってくれば? もしくはこの泉とか」
 と、水深何メートルなのかもわからない泉を指差す。
「もうっ、意地悪っ」
「本気に取るなよ」
 普段冗談を言わない人の何を冗談と思えばいいのか……。
 私が唸ると、
「あとで冷却シートを額に貼ればいい。じゃ、とりあえず食べよう」
 言われてお素麺に視線を落としたとき、あまりにも美しく盛られたそれに目を奪われた。
「ストップっ! ツカサ、食べちゃだめっ!」
「は……?」
「写真撮りたいっ! カメラ持ってくるからまだ食べないでねっ?」
 私は部屋へ戻り、リビングのテーブルに出したままだったカメラと三脚を持ってツカサのもとへ戻る。
「まずは、ツカサが作ったお素麺!」
 見た目がとっても涼やかな器によそわれたお素麺は、唯兄直伝の麺つゆの中を泳いでいる。そして、稲荷さんが気を利かせて持ってきてくれたたくさんの薬味が千切りにされ、お素麺の上にこんもりと盛り付けられているのだ。
「おいしそうに撮れるかな?」
 不安を抱きつつ、ホワイトバランスや露出補正を行い写真を撮る。
「うん、上出来っ! あとは、ふたりでいただきます、してる写真撮ろう?」
「かまわないけど、麺が伸びるからとっととセッティングして」
「了解っ!」
 私は手早く三脚にカメラをセットして、十秒のセルフタイマーをセットする。
 数をカウントダウンしては、一緒に「いただきます」のポーズをしている写真を撮った。
 そのあとは、ツカサが作ってくれたお素麺をおいしくいただく。
「おいしい!」
「唯さんのレシピだから当然じゃない?」
「唯兄はそこら辺のコックさんより研究熱心なのよ!」
「知ってる……。ものすごく粘着質で、その道のプロでもないくせに、味に求めるハードルは異様に高くて、ものすっごく面倒くさい人であることも」
 ひどくいやそうに話す様がおかしい。
「でも、何かを極めようとする姿には好感が持てる。たぶん、秋兄や蔵元さんも唯さんのそういうところを買ってるんだと思う」
 ツカサが唯兄のことを褒めるのはものすごく珍しくて、気づけば咀嚼する口が止まっていた。それに気づいたツカサが、
「俺、別に唯さんそのものが嫌いなわけじゃないから」
「え……?」
「面白がって俺に絡んでくる厄介な部分がものすごく嫌いなだけであって、あの人自身が嫌いなわけじゃない」
「……そっか。そっか……そうなのね」
 唯兄を否定されたり拒絶されないことがこんなにも嬉しいこととは思いもせず、私の口元はにまにまと緩んでいく。すると、
「麺が伸びる前に全部食べ終えてもらえると嬉しいんだけど」
 チクリと釘を刺され、私は慌てて咀嚼を再開した。

 お素麺を食べ終わって髪の毛を乾かしてもらったら四時半だった。
 六時になったらみんなが来るというのに、強烈な睡魔に襲われる。
 そんな私に気づいたのか、
「一時間半は休める。寝室で寝てくればいい」
「ん……」
 でも、眠い気持ちとツカサと一緒にいたい気持ちが折り合わない。
 眠いときというのは自我が全開になってしまうものなのだろうか。 
 そう思わずにはいられないほど、自我を抑制することができない。
 どうしてもツカサの側を離れたくなくて、ソファに座ったまま背もたれに身体を預けていた。すると、ふわっと身体が浮き上がる。
 びっくりして目を開ける。と、ツカサに抱え上げられていた。
「ごめんっ、自分で行くっ」
 口にした瞬間には寝室のベッドに下ろされていた。でも、不意に掴んだツカサのシャツを離すことができなくて困っていると、
「この場合、困った顔をするのは俺のほうじゃない?」
 言われてさらに困ってしまう。
「眠いんだろ?」
「うん」
「じゃ、寝ればいい。みんなが来たら起こす」
「そうじゃなくて……」
 幼稚すぎる自分が恥ずかしくて視線も合わせられずにいると、ツカサがしゃがみこみ、私と目線を合わせてきた。
「何、言葉にしてくれないとわからない」
「……眠いのだけど……でも、ツカサとも離れたくないんだもの……」
「なんだそんなこと……」
 ツカサは心底呆れた顔になる。でも、すぐにうんと優しい表情になって、
「ちょっと待ってて」
「っ……」
 手から離れたシャツがすぐにも恋しくなるのだから、どうしたものか……。
 ツカサは三十秒と経たないうちに戻ってきた。
「俺がここにいればいいんだろ?」
「いてくれるの……?」
「翠の隣でスマホ見てる」
「ありがとう」
「だから、安心して休めばいい」
 そう言われて身体を横にすると、ツカサは私の額に冷却シートを貼ってから隣に横になってくれた。さらには腕枕つき。
「すごいVIP待遇」
「翠にしかしない」
「でも、いいの……? これじゃスマホ見られないでしょう?」
「翠が寝たら外すから問題ない」
「……なんかものすごくわがまま言ってる子みたい」
「たまにはいいんじゃない?」
「じゃ、甘えちゃおうかな……」
 私はコロンと身体の向きを変え、ツカサの胸に顔を埋めた。すると、反射的にツカサが身を引く。
「……汗臭くない?」
「ぜんぜん、すき……」
 その言葉を最後に、私の意識は途切れた。


「あら、本当に良く眠ってる」
「今日は一日ゆっくり過ごしたんでしょう?」
「日中、二時間くらい陽に当たってたから疲れたんだろ。……翠、みんな来たけど?」
 会話は聞こえてくるのに、なかなか目が開けられないでいた。すると、ベッドがぎしっと鈍い音を立て沈んだ直後、愛しい人の手が額に触れ、額際の髪の毛を梳いていく。
「翠、みんな来た。夕飯の準備、するんだろ?」
「ん……」
「起きないとみんなの前でキスするけど?」
 みんなのまえで……きす? ――キスっ!?
 耳元で囁かれた言葉にびっくりして目を開ける。と、
「これ、起きない翠には有効だな」
 実に満足そうなツカサが視界に入った。
「もうっ、ツカサの意地悪っっっ!」
 ツカサはクスクスと笑いながら寝室を出て行き、その場に残った雅さんと桃華さんに顔を覗き込まれる。
「司さんにいったい何を言われたの?」
「ヒミツデス……」
「日中、少し熱が上がっていたみたいだけど大丈夫? 秋斗さんがとっても心配してたわ」
 日中――あ……。
「お昼過ぎからボートで過ごしてたんです。ちゃんと帽子は被っていたんですけど、陽に当たることで体温上昇しちゃったみたいで……」
「そうだったのね。今は?」
「ボートから降りてすぐ冷水シャワーを浴びたし、このとおり、冷却シートを貼って休んでいたのでもう大丈夫です」
「藤宮司にバイタルが転送されるようになったのがいささか不満ではあるけれど、それによって翠葉の体調がいい状態をキープできるのなら、それはそれでいいのかもしれないわね」
「本当に。これ以上ない監視役よ?」
 私がクスリと笑うと、雅さんと桃華さんも同じ様に笑った。
< 73 / 107 >

この作品をシェア

pagetop