光のもとでⅡ+

Side 翠葉 23話

 バスルームを出て身体を拭きバスローブを羽織る。悩みに悩んでバスローブの中は何も着けていない。「する」とは言われていないけれど、「するんだろうな」とは思っていて――
 でも、「する」ことを前提とした格好はどうにもこうにも落ち着かない。
「する気満々」みたいに思われたらちょっといやだし、はしたないと思われることにも抵抗がある。でも、下着を着けていて「昨日言ったと思うんだけど」的なお小言を食らうのも微妙すぎる……。
 結果、そわそわしながらリビングへ向かうと、洗面所を出たところ――つまりはソファの前で、ツカサが待ち構えていた。
 それはまるで、逃げだそうとしている何かを捕らえようとしているかのごとく。
 思わず、
「さすがに逃げたりしないよ?」
「そのあたり、いまいち信用できなくて?」
 確かに、こういうことにおいては全幅の信頼を寄せてもらえるほどの何をしたこともないだけに、仕方がないような気がしてくる。
「お茶、常温程度には冷めてる」
 そう言うと、ツカサはキッチンテーブルに置かれたお茶に手を伸ばし、私に差し出してくれた。
「残りはタンブラーに入れて寝室のサイドテーブルに置いてある」
 なんと用意周到なことか。
 でも、そんなところもツカサらしいといえばツカサらしいわけで、私は差し出されたカップの中身をすべて飲み干すと、少しぎこちない動作でキッチンテーブルへカップを戻した。
 その手をツカサに取られ、熱っぽい視線を向けられる。
「……する、の?」
「そのつもりだけど……いや?」
「ううん、いやじゃない」
「じゃ、寝室へ行こう」
 私は促されるままに歩き出し、わずか十数秒で寝室のベッドの上にいた。
 昨日から天井は開けたままになっていて、今日もきれいな星空が広がっている。
 その視界を邪魔するようにツカサの顔が割り込んだ。
 ツカサが顔の向きを変えると、耳元から鎖骨にかけて一本の筋が浮き上がる。
 その筋がとっても好きで、なんという名称なのかと調べたのはいつのことだったか……。
「胸鎖乳突筋、きれい……」
 ぽつりと呟くと、ツカサの動作が止まった。
「は……?」
 私は右手の人差し指をツカサの首に走らせる。
「この筋、好きだな、と思って」
「なんかものすごくマニアックな部分を好かれた気分」
「そう? ものすごくシャープできれいよ?」
 ツカサはまじまじと私を見て、私の顔の角度を手動で変えると、
「確かにそそるものはあるかな」
 そう言うと、ツカサは顔を近づけちゅ、と胸鎖乳突筋にキスをした。
 私もお返しのようにツカサの首筋にキスをする。と、次はツカサの人差し指と親指でその筋を摘まれた。
「胸鎖乳突筋はトリガーポイントのひとつでもある」
「そうなの……?」
 ツカサはひとつ頷くと、
「目の疲れや目の上、耳の後ろ、頭頂部の頭痛に効くポイントだから覚えておくといい」
 そう言うと、胸鎖乳突筋上にある四つのポイントをレクチャーしてくれた。
「覚えたっ!」
「それは何より。じゃ、今度こそ俺に意識を戻して欲しいんだけど?」
「ちゃんと最初からツカサに意識はあったもの……」
「どうだか……」
 言いながらツカサは私の唇を塞いだ。


 情事を終えてシャワーを浴びたのは一時半過ぎだった。
 今度はバスタブには浸からずシャワーだけだったこともあり、私は迷うことなく髪の毛を濡らし頭を洗う。
 先にシャワーを浴びたツカサはコーヒーを淹れていて、上がってきた私を視界に認めると、すかさずドライヤーを取りに動いた。
 戻ってきたツカサに指示されるままに座り、我慢できずにクスクス笑うと、
「何……?」
「ううん。なんか、ここに来てからずっとツカサにお世話されてるから」
「別にそういうわけじゃ……。ただ、風呂上りに髪の毛放置して風邪ひかれたら困るから」
「そっか。そうだよね、ありがとう。でも、自分でできるよ?」
 そう言ってドライヤーに手を伸ばすと、
「いや、自己満足な部分もあるからやらせて」
「自己満足?」
「翠の髪の毛、手触りが良くて好きなんだ。あとはただ単にかまいたいだけ」
 そう言うと、ドライヤーの音が鳴り出し、温風が頭に当てられた。
「かまいたい」か……。私もツカサをかまいたい。でも、どうかまったらいいのかよくわからない。
 今度は先にシャワーを使わせてもらって、ツカサのお風呂上りに髪の毛を乾かさせてもらうとか?
 ツカサの髪の毛は短いけれど、間違いなく触り心地はいいはず。
 そう思ったが最後。好奇心のままにツカサの頭へ手を伸ばしていた。
 不思議に思ったのか、ツカサはドライヤーを止めて、
「何?」
「ツカサの髪の毛もツヤツヤで、触り心地いいだろうなぁ、と思って」
「翠には負ける」
「そんなことないよ。私は髪が長い分、毛先には多少のダメージがあるだろうから……」
「これで? ダメージ?」
 コクリと頷くと、
「……翠、それ女子の前で言わないほうがいいと思う」
「どうして……?」
「いつか周りの女子に袋叩きにされても仕方がないと思うから?」
「そんなふうに言ってもらえるほどきれいではないと思うんだけどなぁ……」
「試しに姉さんの前で言ってみればいい。間違いなく拳を二、三個食らう羽目になると思う」
 そんな会話を挟みつつ、長すぎる髪をツカサがきれいに乾かしてくれた。

 ツカサがコーヒーを飲み終えて寝室へ戻ると、ふたり揃ってベッドへ横になる。
「二泊三日なんてあっという間だね? 気分的にはまだ来たばかりなのに、あと八時間後にはここを発つなんて、なんか現実味がないな」
「天体観測が目的なら、一週間くらいの日程でもかまわないかと思ったけど、さすがに初めての旅行で一週間は許可が下りない気がして二泊三日にした。三泊四日くらいなら許されたと思う?」
「どうだろう……? でも確かに……一週間だったら許可は下りなかったかもね?」
「でもいつかは――」
「うん。いつかは一週間の旅程を組んで旅行に行こう!」
「……でも、数年後には一緒に暮らし始めるわけだから……」
「そっか……。結婚したら毎日一緒ね? もちろんお仕事があるから、日中ずっと一緒にいられるわけじゃないけれど、休みの日や夜勤じゃない日はいつも一緒に眠れるね」
 そんな未来が楽しみで、楽しみすぎてツカサにくっついた。
「何……もう一回していいの?」
「違うっ! ただ、少しくっつきたくなっただけっ!」
「ふーん……。一度訊いてみたかったんだけど、翠はしたくなることないの?」
「え?」
「だから、セックス。したくなることないの?」
「えっ――あの、なんで……?」
「いつも俺から言い出してるから?」
 そう言われてみれば、いつだってツカサからアクションを起こしてくれているし、私から「しよう」と言ったことはない。
 でもそれは、私が思う前にツカサが言い出すからで……。
 なら、ツカサが言い出さなかったどうなのか――
 もしかしたら、「したい」と思うことだってあるかもしれない。でも、
「もししたくなったとしても、『したい』とは言えないかも……?」
「どうして?」
「……恥ずかしいもの。言えたところで、『ぎゅってして』が精一杯」
「翠の恥ずかしがり屋にも困ったものだな……」
 ツカサは心底呆れた様子でこちらを向くと、
「じゃ、これからは翠が『ぎゅってして』って言ったらそういう意味に取っていいわけ?」
「えっ、でもっ、いつでもっていうわけじゃないよっ? 本当にぎゅってして欲しいだけのときだってあるわけで――」
「じゃ、ほかに何か合図を追加すれば?」
「たとえば……?」
「……ぎゅってしてって言ったあと、俺が抱きしめたら翠からキスをしてくれる、とか?」
 私の頬は一気に熱を持つ。
 でも、できるだけ平静さを意識して、その状況をシミュレーションしてみる。
 自分からぎゅってして、って言うのはそんなにハードルは高くない。そこでぎゅってしてもらえるのは嬉しい。そのあと、自分からワンアクション――キスをする。
「……できそう、かな?」
「じゃ、そういうことで……。ひとつだけ確認」
「確認……?」
「翠が恥ずかしくて言えないのは、何を危惧して? 本当に、ただ単に恥ずかしいだけ?」
「……恥ずかしいのと、はしたないって思われることに抵抗があって……」
「はしたないなんて思うわけないだろ? 俺は翠に触れたいし触れて欲しい。いっそのこと、翠が快楽に溺れればいいとか、俺にだけ欲情すればいいとすら思ってる」
 ツカサの口から思ってもみない言葉が次々と追加され、頷くことすらできずに呆然としていると、
「そんな驚くことじゃないと思うけど? むしろ、俺の前でだけ大胆になってくれるなら大歓迎」
 そう言うと、ツカサは私の額にキスをした。
「もう三時を回った。六時間睡眠として九時には起こすから」
「え? でも、陽だまり荘の朝食は八時でしょう?」
「睡眠不足は不整脈のもとになる」
「でも、そしたらみんなと一緒に朝食――」
「またふたりでここで食べればいい。十一時にここを出発ってなってるけど、警護班はそれぞれについてるんだ。帰りのみ別行動になったってなんの問題もない」
「でも――」
 色々勘ぐられるのはちょっと恥ずかしい……。
「何を危惧してるのかはなんとなくわかるけど、もう婚約してるわけだし、そのあたりをわざわざ突っ込んでくる下世話な人間はいない」
「そうかな……?」
「じゃなかったら同行を許さない。もし少しでも顔に出す人間がいよもうのなら、責任を持って俺が投げ飛ばす」
 最後の一言が少しおかしくて、
「じゃ、ゆっくり休ませてもらおうかな……」
「そうして」
 私はツカサの胸に顔を埋め、ツカサのぬくもりを感じたまま、幸せに満ちた眠りについた。
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