光のもとでⅡ+
Side 司 01話
「夏休み、か……」
大学には時々行く必要があるが、それ以外は意外と暇。
この夏のうちに琴平弓道場と滝口弓道場へ挨拶に伺おうとは思っているけど、そのほかの予定はフリー。
なぜなら、翠の受験対策が本格化し、週一だったレッスンが週三になったから。
レッスンがない日も当然練習と勉強に明け暮れているわけで、受験が終わるまではどこかへ遊びに行こうなどと言い出せる雰囲気ではない。
でも、第一回目のAO入試は八月初旬だ。
大学から短大へ照準を変えた翠なら、一度の受験で突破できる可能性が高い。
それなら、そのあとに何かしら予定を立ててもいい気がする。
「予定、ね……」
どこかへ行く予定だとして、翠が受験に落ちたときのことも考えると、キャンセルになっても精神的負担にならないものがいいだろう。それなら――
「別荘だな……」
以前翠に話した緑山などは格好の場所と言える。
緑山なら納涼床も楽しめるし、天体観測も楽しめる。
「だとしたら旅行か……?」
翠と俺は同い年ではあるものの、自分は大学生で翠は高校生。果たして許可が下りるものか……。
今までの感じからすると、誰か成人した人間が同行するならOKと言ったところか。
その場合、警護班は数に含まれないだろうから、御園生さんや唯さんあたりが同行することになる。
そんな算段を立て、翠に提案することを決めた。
ピアノのレッスンが終わり仙波さんを見送ったあと、楽典の復習を始めようとしていた翠に声をかけた。
「高校最後の夏休み、旅行に行かないか」
「え……?」
翠は中途半端に口を開けて瞬きすらせずにフリーズしている。
特段難しい話をしたつもりはないんだけど……。
それとも、「旅行」に抵抗があるとか……?
若干焦りを覚えた俺はそうと悟られないよう、「どう?」と声をかけてみる。しかし、翠はなんの反応も示さない。
時間が経つにつれて、冷や汗をかきそうになる自分をどうにかしたくて口を開けば、
「何、その顔。異存があるの? それとも、語句の意味がわからないとか言う?」
さらに何か言い足そうとすると、
「あの、旅行ってっ!?」
「語句の意味?」
「違うっ!」
「なら何……」
翠が何を知りたいのかじっと見つめると、
「旅行って……日帰り?」
なんとも間抜けな質問が返された。
「まさか。それならわざわざ『旅行』なんて言葉は使わない」
デートで十分だろ。
「そ、そうよねっ?」
翠はやけに慌てた様子でそんな言葉を口にした。そして、
「旅行……旅行、か……」
と何やら考え込んでしまう。
何を悩んでいるのかと思えば、翠の顔は締まりなく緩みだす。
ふにゃっとした柔らかな表情に希望の光を見出した瞬間、翠は顔を引き締めた。
その理由ならなんとなくわかる。
「翠の保護者陣の承諾が必要なのはわかってる。俺も一緒にお願いしに行くから」
「えっ? 一緒にお願いしてくれるの?」
翠は驚きを隠さずに俺の方を向いた。
「婚約したとはいえ、大事な娘であり妹である翠を連れ出すわけだから、必要最低限のことはする心づもり」
「うちはともかく、ツカサのおうちは大丈夫なの?」
俺の心配なんていらないんだけど……。
「うちの場合、俺がどうというよりは、『よそ様のお嬢さんを連れて行く』ってところに問題があるわけで、翠の両親、兄ふたりの承諾を得られない限り、許可は下りない」
「なるほど……。説得するにしても、プランも何もなかったらだめよね……? どこに行くとか、候補があったりする?」
「翠、星を見たいって言ってただろ?」
翠は宙に視線を彷徨わせ、いつの会話かを思い出したように「うん」と弾んだ調子で答えた。
「だから、星を見に緑山へ行こうと思う」
「緑山って……川に納涼床が作られるっていう……?」
「そう。幸倉から高速に乗って三時間ほどのところにある。広葉樹が多い山だから、翠は気に入ると思う。それに、山ひとつ藤宮の持ち物だから防犯面も問題ないし、俺たちが泊まる別荘のほかに管理棟もあるうえ、警護班の人間が泊まる施設もあるからそのあたりもクリアできる」
翠ははっとしたような表情で、
「そっか……。私たちの旅行ということは、警護班の人たちも同行することになるのね?」
「そう。ほかにもブライトネスパレスのステラハウスも候補にはあったけど、翠は何度か行ったことがあるだろ? それなら、まだ行ったことのない場所でもいいのかと思って。……どっちがいい?」
気分的には秋兄との思い出がある場所ではなく、新天地を希望なわけだけど……。
「うーん……木田さんにもお会いしたいから白野も捨てがたいけれど、今回は緑山に行ってみたいな! 納涼床は初めてだから、とっても楽しみ! でも、私の受験が無事に終わらないことには行けないのよね……」
「そうだな。だから、できるだけ一発合格目指してがんばって」
「ううう~……ただでさえプレッシャーに弱いのに、これ以上プレッシャーかけないでっ! がんばるけどっ、がんばるけどだめだったらごめんねっ?」
「そのときはそのとき。ひとまず、緑山に行く計画を立てよう。……とは言っても、夜に星を見ることが目的で、あとは山の散策やバーベキュー程度だけど……」
「十分! とっても楽しそう!」
そんな話し合いのもと、俺は概算の行動計画を作り、そこに翠の希望などを盛り込みながら行動計画表を完成させた。
いざ、翠の家族が揃うゲストルームに足を踏み入れると、早々に何かを察知した唯さんがやけに突っかかってくる。
面倒に思いながら適当にあしらっていると、
「今日はどうしたの?」
カラッとした声で零樹さんにたずねられた。
これ幸いと向き直り、
「お盆明けに翠と緑山へ泊まりがけで旅行に行きたいのですが、お許しいただけますか?」
変に前置きを挟むよりいいと思ったから単刀直入に話したわけだけど、その場の何人かがフリーズした。
先陣切ってフリーズが解けたのは唯さん。
「だめだめだめーーーっっっ!」とうるさく喚きたてる。
この程度のことは想定内。
しかし唯さんを見かねた碧さんが、
「蒼樹、ガムテープ取って来てくれる?」
「……母さん、参考までに用途を確認したいんだけど……」
「あらやだ、蒼樹ったら想像力のひとつも働かないの? ガムテープって言ったら唯の口を塞ぐ以外になんの用途もないじゃない」
この人のこういうのは、本気なのか冗談なのかがわかりかねる。ただ、唯さんの口が塞がれたらそれはそれで、自分にとって好都合なわけで……。
でも、それだと翠が気にするだろうから――ということまで考えると、本気なのか冗談なのかわからないそれを、阻止する人間がいてくれることにも救いを感じる。
御園生さんは唯さんに向き直ると、
「唯、気持ちはわかるけど、少し黙って話を聞こう? じゃないと、ガムテープで物理的に口を塞がれるか、席外せって話になっちゃうと思うけど?」
淡々と宥めに入った。
そんなふたりとは対照的に、零樹さんは実にのんびりとした様子で場を見守っている。
「ま、すでに婚約済みだしふたりが旅行に行くとなれば警護班だって動くわけで、完全にふたりってわけじゃないし、行き先が緑山なら事件に巻き込まれることもないかなぁ……」
零樹さんが碧さんへ話を振ると、
「そうねぇ……。ただ、ふたりともまだ未成年だから、そのあたりを考慮する必要はあると思うの」
碧さんも、「どう?」といったふうに零樹さんへ話を戻す。
「そうだなぁ……。いやね、ふたりを信用してないってわけじゃないんだよ? ただ未成年の旅行だからね。ごくごく一般的な体裁を整えるためにも、成人した監督者がいるに越したことはないよね、って話でしょ? 碧さん」
碧さんは軽く相槌を打った。
ふたりは緑山のことを知っているようで、
「緑山といえば、管理棟前の広場向こうに大きめの別荘が建っていて、そこから少し離れた場所に一軒と、ほかには藤宮グループが研修に使う施設もあったわよね?」
「はい。管理棟近くの陽だまり荘は二階建てのつくりで、二階にリビングダイニング、キッチン、一階にはツインルームが六部屋の構造です」
「そう……じゃ、蒼樹に唯、秋斗くんを連れて行くなら許可しましょう?」
やっぱりか……。
ある程度想定はしていたけれど、そこに秋兄を追加されるとは思っていなかったし、本音を言えば翠とふたりきりで行きたかった。
旅行で四六時中一緒にいられたら、いつもよりは甘やかな時間を過ごせるのではないか、という期待もあったけれど――これは呑まざるを得ないだろう。
俺は渋々、「わかりました」と答えた。
「六部屋あるならまだ泊まれるね? 桃華さんや海斗くんたちにも声かける?」
翠の提案に絶句したのは言うまでもない。
御園生さんと唯さん、秋兄まで追加されてまだ増やすかっ!?
唯さんはというと、ここぞとばかりに「大勢ばんざーい!」とはしゃぎ立てる。
それがなんだか悔しくて、
「唯さん、行くのはお盆明けですが、仕事休めるんですか?」
チクリと釘を刺そうとしたところ、唯さんは人差し指を立て、得意げに「ちっちっちっ」と指を振ってポーズを取る。
「司っちわかってないなぁ~! 秋斗さんがリィと一緒に旅行へ行く機会をみすみす逃すわけがないじゃん。俺たちきっと、お盆休み返上で仕事して、そのあとの休みをもぎ取る形になると思うけど?」
あぁ……それはものすごく容易に想像ができる。
なら、できる範囲で同行者は削ぐ意向。
「佐野や海斗、立花は部活で忙しいんじゃないの?」
そこで俺の考えに気づいたのか、翠が気まずそうな顔をした。
けれど、そんなやり取りに気づかない人間が約一名――碧さんだ。
「文化部の桃華ちゃんは予定さえ空いていれば行けるんじゃない?」
しかし、それに待ったをかけた人間がいた。
「さすがに俺がいる旅行じゃ桃華のご両親がいい顔をしないと思う」
「まぁ、そうねぇ……。翠葉が一緒だとしても、成人した女性が同行するわけじゃないし……。私が同行できればいいのだけど、お盆明けは予定が詰まってるのよねぇ……」
「あっ! いいこと思いついた! 雅さん呼び寄せようよ! あっちは盆休みとかないからさ、うまく休みを調整すればそのあたりに連休作るのは可能なんじゃないかな?」
まだ人を増やす気かっ!?
唯さんを睨みつけると、反対側で翠がその提案に飛びつく。
「雅さんっ!? 雅さんに会えるの嬉しい!」
もうだめだ……。翠がこの調子なら唯さんは間違いなく雅さんに声をかける。
「でっしょー? よーしよし、とっとと雅嬢に連絡入れよう!」
そら見たことか……。
ここまで人を揃えて蔵元さんに声がかからないわけがないだろう。
ふたりで行きたい旅行が五人になり、七人になり、八人になり――
あぁ、早く成人したい……。
そしたら、誰を同行させずとも翠とふたりで心行くまで旅行を楽しめるのに……。
もう法律も改正されることが決まっているのだから、ふたりで行かせてくれてもいいじゃないか、と思いつつ、法が改正されてもアルコールが飲めるようになるのは二十歳からだし、こういう部分での「成人」という壁は二十歳から変わることはない気がする。
そう思えば、早く二十歳になりたいと思うわけで、俺は落胆の思いで話の成り行きを見守っていた。
ただひとつ、これだけは呑んでもらう。
俺はす、と息を吸い込み、
「碧さん、零樹さん、翠と自分は管理棟から少し離れた建物に泊まろうと思っています。ご了承いただけますか?」
俺がにこりと笑みを添えると、ふたりは噴き出すようにして笑った。そしてコクコクと頷いてくれる。
「司くんは律儀だなぁ……。そんなの黙っておけば自分に都合よく状況を操作できるだろうに」
「そういうのは何か違うと思いますし、せっかく旅行へ行くのに後ろめたい思いは抱えて行きたくないので」
「私、司くんのそういうところ、好きよ。それに、もう婚約しているのだし、そのあたりは好きにしてかまわないわよね? 零樹?」
「うんうん。ただまあ、ふたりともまだ学生だから、色々と気をつけて。ね?」
「……はい。ご了承いただきありがとうございます」
この際、これだけ了承してもらえればあとはもうどうでもいい。
そんな思いでいると、翠が席を立ち、まるで逃げるようにキッチンへ走り去った。
「飲み物かな? 俺もちょっと行ってくる」
翠のあとを唯さんが追うと、その場の人間はあたたかい眼差しでそれを見送った。そして、
「でもさ、翠葉の受験があるじゃん?」
おもむろに零樹さんに言われる。
「落ちた暁にはすぐまた受験だから、この旅行は流れちゃうよ?」
「そのときはそのときです。それに、四大から短大へ照準を変えたんです。あまりにもひどい出来でない限り、落ちないでしょう」
「だといいよね」
「それに、行き先はうちの別荘ですから、キャンセルになってもどこに迷惑がかかるわけでもキャンセル料が発生するでもありません」
「そっかそっか。それもそうだ」
「私たちもね、学生のころに緑山の別荘へはお邪魔したことがあるのよ」
そんな話を聞いていると、翠と唯さんが淹れなおしたコーヒーを持って戻ってきた。
大学には時々行く必要があるが、それ以外は意外と暇。
この夏のうちに琴平弓道場と滝口弓道場へ挨拶に伺おうとは思っているけど、そのほかの予定はフリー。
なぜなら、翠の受験対策が本格化し、週一だったレッスンが週三になったから。
レッスンがない日も当然練習と勉強に明け暮れているわけで、受験が終わるまではどこかへ遊びに行こうなどと言い出せる雰囲気ではない。
でも、第一回目のAO入試は八月初旬だ。
大学から短大へ照準を変えた翠なら、一度の受験で突破できる可能性が高い。
それなら、そのあとに何かしら予定を立ててもいい気がする。
「予定、ね……」
どこかへ行く予定だとして、翠が受験に落ちたときのことも考えると、キャンセルになっても精神的負担にならないものがいいだろう。それなら――
「別荘だな……」
以前翠に話した緑山などは格好の場所と言える。
緑山なら納涼床も楽しめるし、天体観測も楽しめる。
「だとしたら旅行か……?」
翠と俺は同い年ではあるものの、自分は大学生で翠は高校生。果たして許可が下りるものか……。
今までの感じからすると、誰か成人した人間が同行するならOKと言ったところか。
その場合、警護班は数に含まれないだろうから、御園生さんや唯さんあたりが同行することになる。
そんな算段を立て、翠に提案することを決めた。
ピアノのレッスンが終わり仙波さんを見送ったあと、楽典の復習を始めようとしていた翠に声をかけた。
「高校最後の夏休み、旅行に行かないか」
「え……?」
翠は中途半端に口を開けて瞬きすらせずにフリーズしている。
特段難しい話をしたつもりはないんだけど……。
それとも、「旅行」に抵抗があるとか……?
若干焦りを覚えた俺はそうと悟られないよう、「どう?」と声をかけてみる。しかし、翠はなんの反応も示さない。
時間が経つにつれて、冷や汗をかきそうになる自分をどうにかしたくて口を開けば、
「何、その顔。異存があるの? それとも、語句の意味がわからないとか言う?」
さらに何か言い足そうとすると、
「あの、旅行ってっ!?」
「語句の意味?」
「違うっ!」
「なら何……」
翠が何を知りたいのかじっと見つめると、
「旅行って……日帰り?」
なんとも間抜けな質問が返された。
「まさか。それならわざわざ『旅行』なんて言葉は使わない」
デートで十分だろ。
「そ、そうよねっ?」
翠はやけに慌てた様子でそんな言葉を口にした。そして、
「旅行……旅行、か……」
と何やら考え込んでしまう。
何を悩んでいるのかと思えば、翠の顔は締まりなく緩みだす。
ふにゃっとした柔らかな表情に希望の光を見出した瞬間、翠は顔を引き締めた。
その理由ならなんとなくわかる。
「翠の保護者陣の承諾が必要なのはわかってる。俺も一緒にお願いしに行くから」
「えっ? 一緒にお願いしてくれるの?」
翠は驚きを隠さずに俺の方を向いた。
「婚約したとはいえ、大事な娘であり妹である翠を連れ出すわけだから、必要最低限のことはする心づもり」
「うちはともかく、ツカサのおうちは大丈夫なの?」
俺の心配なんていらないんだけど……。
「うちの場合、俺がどうというよりは、『よそ様のお嬢さんを連れて行く』ってところに問題があるわけで、翠の両親、兄ふたりの承諾を得られない限り、許可は下りない」
「なるほど……。説得するにしても、プランも何もなかったらだめよね……? どこに行くとか、候補があったりする?」
「翠、星を見たいって言ってただろ?」
翠は宙に視線を彷徨わせ、いつの会話かを思い出したように「うん」と弾んだ調子で答えた。
「だから、星を見に緑山へ行こうと思う」
「緑山って……川に納涼床が作られるっていう……?」
「そう。幸倉から高速に乗って三時間ほどのところにある。広葉樹が多い山だから、翠は気に入ると思う。それに、山ひとつ藤宮の持ち物だから防犯面も問題ないし、俺たちが泊まる別荘のほかに管理棟もあるうえ、警護班の人間が泊まる施設もあるからそのあたりもクリアできる」
翠ははっとしたような表情で、
「そっか……。私たちの旅行ということは、警護班の人たちも同行することになるのね?」
「そう。ほかにもブライトネスパレスのステラハウスも候補にはあったけど、翠は何度か行ったことがあるだろ? それなら、まだ行ったことのない場所でもいいのかと思って。……どっちがいい?」
気分的には秋兄との思い出がある場所ではなく、新天地を希望なわけだけど……。
「うーん……木田さんにもお会いしたいから白野も捨てがたいけれど、今回は緑山に行ってみたいな! 納涼床は初めてだから、とっても楽しみ! でも、私の受験が無事に終わらないことには行けないのよね……」
「そうだな。だから、できるだけ一発合格目指してがんばって」
「ううう~……ただでさえプレッシャーに弱いのに、これ以上プレッシャーかけないでっ! がんばるけどっ、がんばるけどだめだったらごめんねっ?」
「そのときはそのとき。ひとまず、緑山に行く計画を立てよう。……とは言っても、夜に星を見ることが目的で、あとは山の散策やバーベキュー程度だけど……」
「十分! とっても楽しそう!」
そんな話し合いのもと、俺は概算の行動計画を作り、そこに翠の希望などを盛り込みながら行動計画表を完成させた。
いざ、翠の家族が揃うゲストルームに足を踏み入れると、早々に何かを察知した唯さんがやけに突っかかってくる。
面倒に思いながら適当にあしらっていると、
「今日はどうしたの?」
カラッとした声で零樹さんにたずねられた。
これ幸いと向き直り、
「お盆明けに翠と緑山へ泊まりがけで旅行に行きたいのですが、お許しいただけますか?」
変に前置きを挟むよりいいと思ったから単刀直入に話したわけだけど、その場の何人かがフリーズした。
先陣切ってフリーズが解けたのは唯さん。
「だめだめだめーーーっっっ!」とうるさく喚きたてる。
この程度のことは想定内。
しかし唯さんを見かねた碧さんが、
「蒼樹、ガムテープ取って来てくれる?」
「……母さん、参考までに用途を確認したいんだけど……」
「あらやだ、蒼樹ったら想像力のひとつも働かないの? ガムテープって言ったら唯の口を塞ぐ以外になんの用途もないじゃない」
この人のこういうのは、本気なのか冗談なのかがわかりかねる。ただ、唯さんの口が塞がれたらそれはそれで、自分にとって好都合なわけで……。
でも、それだと翠が気にするだろうから――ということまで考えると、本気なのか冗談なのかわからないそれを、阻止する人間がいてくれることにも救いを感じる。
御園生さんは唯さんに向き直ると、
「唯、気持ちはわかるけど、少し黙って話を聞こう? じゃないと、ガムテープで物理的に口を塞がれるか、席外せって話になっちゃうと思うけど?」
淡々と宥めに入った。
そんなふたりとは対照的に、零樹さんは実にのんびりとした様子で場を見守っている。
「ま、すでに婚約済みだしふたりが旅行に行くとなれば警護班だって動くわけで、完全にふたりってわけじゃないし、行き先が緑山なら事件に巻き込まれることもないかなぁ……」
零樹さんが碧さんへ話を振ると、
「そうねぇ……。ただ、ふたりともまだ未成年だから、そのあたりを考慮する必要はあると思うの」
碧さんも、「どう?」といったふうに零樹さんへ話を戻す。
「そうだなぁ……。いやね、ふたりを信用してないってわけじゃないんだよ? ただ未成年の旅行だからね。ごくごく一般的な体裁を整えるためにも、成人した監督者がいるに越したことはないよね、って話でしょ? 碧さん」
碧さんは軽く相槌を打った。
ふたりは緑山のことを知っているようで、
「緑山といえば、管理棟前の広場向こうに大きめの別荘が建っていて、そこから少し離れた場所に一軒と、ほかには藤宮グループが研修に使う施設もあったわよね?」
「はい。管理棟近くの陽だまり荘は二階建てのつくりで、二階にリビングダイニング、キッチン、一階にはツインルームが六部屋の構造です」
「そう……じゃ、蒼樹に唯、秋斗くんを連れて行くなら許可しましょう?」
やっぱりか……。
ある程度想定はしていたけれど、そこに秋兄を追加されるとは思っていなかったし、本音を言えば翠とふたりきりで行きたかった。
旅行で四六時中一緒にいられたら、いつもよりは甘やかな時間を過ごせるのではないか、という期待もあったけれど――これは呑まざるを得ないだろう。
俺は渋々、「わかりました」と答えた。
「六部屋あるならまだ泊まれるね? 桃華さんや海斗くんたちにも声かける?」
翠の提案に絶句したのは言うまでもない。
御園生さんと唯さん、秋兄まで追加されてまだ増やすかっ!?
唯さんはというと、ここぞとばかりに「大勢ばんざーい!」とはしゃぎ立てる。
それがなんだか悔しくて、
「唯さん、行くのはお盆明けですが、仕事休めるんですか?」
チクリと釘を刺そうとしたところ、唯さんは人差し指を立て、得意げに「ちっちっちっ」と指を振ってポーズを取る。
「司っちわかってないなぁ~! 秋斗さんがリィと一緒に旅行へ行く機会をみすみす逃すわけがないじゃん。俺たちきっと、お盆休み返上で仕事して、そのあとの休みをもぎ取る形になると思うけど?」
あぁ……それはものすごく容易に想像ができる。
なら、できる範囲で同行者は削ぐ意向。
「佐野や海斗、立花は部活で忙しいんじゃないの?」
そこで俺の考えに気づいたのか、翠が気まずそうな顔をした。
けれど、そんなやり取りに気づかない人間が約一名――碧さんだ。
「文化部の桃華ちゃんは予定さえ空いていれば行けるんじゃない?」
しかし、それに待ったをかけた人間がいた。
「さすがに俺がいる旅行じゃ桃華のご両親がいい顔をしないと思う」
「まぁ、そうねぇ……。翠葉が一緒だとしても、成人した女性が同行するわけじゃないし……。私が同行できればいいのだけど、お盆明けは予定が詰まってるのよねぇ……」
「あっ! いいこと思いついた! 雅さん呼び寄せようよ! あっちは盆休みとかないからさ、うまく休みを調整すればそのあたりに連休作るのは可能なんじゃないかな?」
まだ人を増やす気かっ!?
唯さんを睨みつけると、反対側で翠がその提案に飛びつく。
「雅さんっ!? 雅さんに会えるの嬉しい!」
もうだめだ……。翠がこの調子なら唯さんは間違いなく雅さんに声をかける。
「でっしょー? よーしよし、とっとと雅嬢に連絡入れよう!」
そら見たことか……。
ここまで人を揃えて蔵元さんに声がかからないわけがないだろう。
ふたりで行きたい旅行が五人になり、七人になり、八人になり――
あぁ、早く成人したい……。
そしたら、誰を同行させずとも翠とふたりで心行くまで旅行を楽しめるのに……。
もう法律も改正されることが決まっているのだから、ふたりで行かせてくれてもいいじゃないか、と思いつつ、法が改正されてもアルコールが飲めるようになるのは二十歳からだし、こういう部分での「成人」という壁は二十歳から変わることはない気がする。
そう思えば、早く二十歳になりたいと思うわけで、俺は落胆の思いで話の成り行きを見守っていた。
ただひとつ、これだけは呑んでもらう。
俺はす、と息を吸い込み、
「碧さん、零樹さん、翠と自分は管理棟から少し離れた建物に泊まろうと思っています。ご了承いただけますか?」
俺がにこりと笑みを添えると、ふたりは噴き出すようにして笑った。そしてコクコクと頷いてくれる。
「司くんは律儀だなぁ……。そんなの黙っておけば自分に都合よく状況を操作できるだろうに」
「そういうのは何か違うと思いますし、せっかく旅行へ行くのに後ろめたい思いは抱えて行きたくないので」
「私、司くんのそういうところ、好きよ。それに、もう婚約しているのだし、そのあたりは好きにしてかまわないわよね? 零樹?」
「うんうん。ただまあ、ふたりともまだ学生だから、色々と気をつけて。ね?」
「……はい。ご了承いただきありがとうございます」
この際、これだけ了承してもらえればあとはもうどうでもいい。
そんな思いでいると、翠が席を立ち、まるで逃げるようにキッチンへ走り去った。
「飲み物かな? 俺もちょっと行ってくる」
翠のあとを唯さんが追うと、その場の人間はあたたかい眼差しでそれを見送った。そして、
「でもさ、翠葉の受験があるじゃん?」
おもむろに零樹さんに言われる。
「落ちた暁にはすぐまた受験だから、この旅行は流れちゃうよ?」
「そのときはそのときです。それに、四大から短大へ照準を変えたんです。あまりにもひどい出来でない限り、落ちないでしょう」
「だといいよね」
「それに、行き先はうちの別荘ですから、キャンセルになってもどこに迷惑がかかるわけでもキャンセル料が発生するでもありません」
「そっかそっか。それもそうだ」
「私たちもね、学生のころに緑山の別荘へはお邪魔したことがあるのよ」
そんな話を聞いていると、翠と唯さんが淹れなおしたコーヒーを持って戻ってきた。