光のもとでⅡ+
Side 司 15話
カレーが出来上がったのは一時過ぎ。だが、まだお腹が空いていない俺たちは、昼食は見送ることにした。
「ボートでも出す? それとも、泉に入る? 水着、持ってきてるんだろ?」
「持ってきてはいるけれど……どのくらい深いの?」
翠は不安そうな顔で泉を覗き込む。その後姿を見ながら、
「結構深いかな?」
「じゃ、遠慮しようかな」
翠は苦笑を貼り付け水辺から遠ざかる。さらにはウッドデッキの端を指差し、
「それに、ウッドデッキの端まで行けば足を水に浸すことはできるし」
その、若干おどおどしている様にいたずら心に火が灯る。
「ふ~ん……。とりあえず泳げるようにはなったんじゃないの?」
「意地悪……少し泳げるようになっただけで、足が付かないところなんで問題外なんだからっ!」
むっとした顔で腕を叩かれ、その痛みに割と本気で怒らせたことを悟る。
「悪い、いじめが過ぎた」
そうは言ってもむくれ顔の翠がかわいくて、つい表情が緩んでしまう。そんな俺を恨めしい顔で見ていた翠だが、俺がボートの用意を始めると、それまでの会話とはまったく関係のない話題を口にした。
「真白さんと涼先生もこんなふうに過ごしてるのかな?」
父さんや母さんがどんなふうに過ごしているかなんて、聞いたことはない。ただ別荘から帰宅すると、いつも決まって母さんが写真の整理をしていて、それをちらっと見たことならある。
「母さんは刺繍、父さんは本をボートに持ち込んでいる写真なら見たことがある」
翠は首を傾げながら、
「私たちだとなんだろう?」
「俺は父さんと同じで本かタブレット? 翠は……小型ハープでも持ち込めば?」
思いつきで口にしただけだけど、翠は「えっ」と口にしては一歩後ずさる。
「楽器を持ち込むのはちょっと怖いかな……。水没したら、って考えるとちょっと……」
水没って……。
「何、このボートがそんなコンディション悪く見えるの? それとも、翠にボートから落ちる予定があるの?」
「えっ、ボートのコンディションに不安はないし、自分が落ちる予定もないよっ!? ただ、もしも落ちたら……って考えるとちょっと……」
「このボートは公園とかで貸し出しているボートよりも少し大きい作りだし、コンディションなら毎日稲荷さんがチェックしてくれてる。今朝も六時半に来てチェックしてくれてる」
「そうだったの?」
俺は頷いてから、
「だから、大丈夫。安心して持ってくるといい」
すると翠は、ハープを取りに部屋へ戻った。
「相変わらず素直な人間」
そう思えば笑みが漏れるというもので、翠といるだけで自然と笑顔が増えている自分に気づく。
「なんだかな……」
翠といたら、自分がどんどん変わっていく気がする。自分のペースを乱されることや、今までの自分を変えられることには嫌悪こそすれ、いいものとは思えなかったはずなのに、それが翠によってもたらされる変化だと思えば、悪いものには思えない。
「惚れた弱みってこういうことか……?」
そんなことを考えながらリビングへ戻ると、翠がキッチンで何かを探していた。
「何探してるの?」
「ツカサ、タンブラーってあるかな?」
タンブラーなら――
「食器棚の下の段に一リットル用が一本と五〇〇ミリリットル用が二本入ってた。なんで?」
「これ、さっきの残ってるから持って行かない?」
翠が示したのはキッチンテーブルに置かれた飲み残しのコーヒーとハーブティー。
これは持っていかない手はないよな。
「持っていこう」
「ツカサは氷入れる?」
「入れる。翠は?」
「私は常温でちょうどいい感じ」
飲み物を用意し終わると、翠は部屋の中から眩しそうに外を見ていた。
今日は膝丈のキュロットスカートにノースリーブのブラウスを合わせている。
気温に見合った格好だとは思うけれど、強い日差しを避けるための対策はしてしかるべき。
「翠、上に羽織るものは?」
「外、結構日差しが強かったから、日焼け止めだけ塗って上に羽織るのはよそうかな?」
気温のことを考えればそれが妥当か……。
「了解。じゃ、荷物持って行くから翠は日焼け止めを塗ってくればいい。あ、帽子は忘れるなよ?」
「了解」
タンブラーとタブレット、それから翠のハープを運びボートに積み込んでいると、少し遅れて翠が出てきた。
足早にやってきては、
「お待たせ!」
元気よく声をかけられる。
そして、次に積もうと思っていたハープを差し出され、それをボートに乗せてから翠に手を差し出すと、翠は器用にバランスをとってボートに乗り込んできた。
そんな翠と対面するように座ってオールを漕ぐと、ボートがスピードに乗ったところで翠が声をあげた。
「やっぱり、ウッドデッキと水の上は違うね? 涼しい!」
弾けんばかりの笑顔が眩しすぎ。
直視するのが気恥ずかしくなった俺は、ごまかすようにたずねる。「寒くない?」と。
翠は笑顔のまま、
「涼しい風と太陽の光でちょうどいい感じ」
「なら良かった……」
泉の中央まで来てオールを置くと、俺はタブレットを手に取り、翠はハープを抱えて爪弾き始めた。
正直、炎天下でタブレットを見るのは向かないと思った。液晶が見づらくて仕方がない。それでも別にいいか、と思えたのは、翠の演奏を聴くことができたから。
穏やかな表情でハープを爪弾く翠を見るのはかなり好きだ。
ここにスケッチブックがあったら――
あぁ、そうか。別に本やタブレットがなくても俺は時間を潰す手段があるじゃないか。
ボートにスケッチブックを持ち込んで翠を描けばいい。
初等部を卒業してから絵を描く習慣がなくなっていたが、翠の誕生日プレゼントに絵を描いてからというもの、趣味のひとつとして復活していたし、絵を描くことが好きだったことや、今でも好きであることを再認識していた。
昨日は緑の中にいる翠を描いたわけだけど、ここなら泉を背景とした翠を描くことができただろう。
今、翠の意識はこちらへ向いていない。ということは、写真を撮ってもおそらくは気づかないだろう。
そんな目論見のもと、さりげなくタブレットを翠へ向け、翠の撮影に成功する。
水面がキラキラと瞬く中にいる翠も、それはそれは美しかった。
一枚の写真に満足しては、今日までに撮り溜めた翠の写真をスマホに表示させていく。
その時々の状況を思い出しながら見て悦に入っていると、プツリ、と演奏が途切れた。
不思議に思って翠に視線をやると、翠は弦に指をかけたままぼーっと一点を見つめていた。
「翠?」
「えっ?」
「演奏が止んだけど、どうかした?」
「ううん。ちょっと色々考えていただけ」
「色々って?」
時に翠の考え事は、俺の予想の範疇を超えていて面食らうことがある。
多少の心構えをしていると、
「んーと……私たちはふたりでいるときでも別々のことをして過ごすことが多いでしょう? それを疑問に思われることがあって……」
「ごめん、言われた意味がよくわからない」
「あ、えぇと……普通の恋人同士っていう言い方が正しいのかはわからないのだけど、たいていのカップルは一緒にいるとき同じことをして会話を楽しむことが多いらしいの。でも、私たちは違うでしょう? だから、私とツカサは違うなって話をしたとき、一緒にいる意味がるのかを問われて……。私、お付き合いのなんたるかを語れるほどそういうことに詳しくはないからわからなくなってしまって、お母さんにたずねたの。そしたら、それは人それぞれだって。間違ってもそんなルールはないって教えてくれた。ただ、普段なかなかふたりきりで会えなかったり、ふたりで話す時間が取れない人たちにとっては、コミュニケーションに時間を費やさないと『付き合っている』とは言えない関係性になってしまうこともあるから、一緒に何かをする時間として過ごす人が多いのが現実なんじゃない? って。それには少し頷ける気がしたの。さらには私たちの場合、ツカサが率先して会う時間を作ってくれるから、そこまで会話に時間を費やす必要はないんじゃない? って」
碧さんが言うことはもっともだと思う。それにしても――
「ずっと会話してるとか、それ、どんな拷問?」
思ったことを口にすると、翠がクスリと笑みを零した。
「俺はもともと口数が多いほうじゃないし、翠だってそこまで話し続けられる人間じゃないだろ? そもそもそれって各々の性格によるところが大きいから、俺と翠に当てはめようとする必要はないと思うけど? 碧さんが言うのも一理ある。こまめに会っていれば、会ってるときにずっと話してる必要はないだろ」
翠はコクリと頷いた。
「友達に言われたからといって自分たちの何を改めるつもりはかったのだけど、ほかの人たちはそんなにも会っているときに会話をするものなのかな、って少し不思議に思っただけ」
あぁ、そういうこと……。
「手近なところで御園生さんに訊いてみればいいのに。簾条とか立花とか」
「飛鳥ちゃんに言われたから、訊くなら桃華さんや蒼兄かな? でもふたりに訊いても同じ答えが返ってくるだけだよね?」
翠はクスクスと笑う。でも、ほかに付き合っている人間たちと言ったら――
「優太とか嵐? いや、あそこは時間があれば喋ってるかいちゃついてるかのどっちかだな……」
そのほかだと久先輩と茜先輩くらいしか思いつかない。
兄さんと義姉さんのところは煌を介した会話が絶えないようだし、静さんと姉さんがふたりでいるところはめったに見ないし……。
そもそも、人間関係が乏しい自分があてにできる人間たちなどそうそういないことに行き当たる。と、
「そうだな。今度、佐野くんや香乃子ちゃんに訊いてみようかな? そういえば、静音先輩と風間先輩ってお付き合いしているの?」
突飛な質問を投げかけられ、俺は面食らう羽目になる。
「それ、なんで俺が知ってると思ったのかが知りたいんだけど」
「え? 同学年だし、風間先輩とは学部も同じで毎日のように顔を合わせているのでしょう?」
「だから、それでなんであいつの色恋沙汰を聞かなくちゃいけない?」
風間に恋愛事情を訊くとか、頼まれてもごめんなんだけど……。
俺から何か訊こうものなら面白がってマウントとってくるに違いない。そんなイラつく状況をわざわざ自分から作り出したいわけがない。
翠はぷうっと頬を膨らませてから、
「もう、相変わらず人に興味がないんだから……。少しは情報を調達してきてくださいっ! ずっと気になってるんだから」
「ふーん……じゃ、翠が訊けばいいだろ? 俺から風間に訊くとかあり得ない」
「なんとなく訊きづらいから訊けないのに! あ、でも……静音先輩になら訊けるかな……」
言いながら、翠は宙に視線を彷徨わせた。
俺はコーヒーで喉を潤してから手元の時計に目をやり、
「あと少しで三時。翠は薬の時間もあるし、そろそろ戻って昼食にしよう」
翠は、「もうそんな時間?」といったようにスマホで時間を確認すると、
「二時間も外に居たのね?」
言いながら麦わら帽子に手を当てて、びっくりした顔で手を離した。
どうやら相当熱かったようだ。
スマホに視線を落とせば翠の体温が目に入る。
少し長く陽に当たりすぎたかもしれない。
「戻ったら一度シャワーを浴びたほうがいい。翠は蓄熱体質だから、強制的に冷却するのが手っ取り早い。素麺は俺が用意するから」
「ごめん、お願いしてもいい?」
「問題ない」
そんな会話をしてから桟橋まで戻った。
「ボートでも出す? それとも、泉に入る? 水着、持ってきてるんだろ?」
「持ってきてはいるけれど……どのくらい深いの?」
翠は不安そうな顔で泉を覗き込む。その後姿を見ながら、
「結構深いかな?」
「じゃ、遠慮しようかな」
翠は苦笑を貼り付け水辺から遠ざかる。さらにはウッドデッキの端を指差し、
「それに、ウッドデッキの端まで行けば足を水に浸すことはできるし」
その、若干おどおどしている様にいたずら心に火が灯る。
「ふ~ん……。とりあえず泳げるようにはなったんじゃないの?」
「意地悪……少し泳げるようになっただけで、足が付かないところなんで問題外なんだからっ!」
むっとした顔で腕を叩かれ、その痛みに割と本気で怒らせたことを悟る。
「悪い、いじめが過ぎた」
そうは言ってもむくれ顔の翠がかわいくて、つい表情が緩んでしまう。そんな俺を恨めしい顔で見ていた翠だが、俺がボートの用意を始めると、それまでの会話とはまったく関係のない話題を口にした。
「真白さんと涼先生もこんなふうに過ごしてるのかな?」
父さんや母さんがどんなふうに過ごしているかなんて、聞いたことはない。ただ別荘から帰宅すると、いつも決まって母さんが写真の整理をしていて、それをちらっと見たことならある。
「母さんは刺繍、父さんは本をボートに持ち込んでいる写真なら見たことがある」
翠は首を傾げながら、
「私たちだとなんだろう?」
「俺は父さんと同じで本かタブレット? 翠は……小型ハープでも持ち込めば?」
思いつきで口にしただけだけど、翠は「えっ」と口にしては一歩後ずさる。
「楽器を持ち込むのはちょっと怖いかな……。水没したら、って考えるとちょっと……」
水没って……。
「何、このボートがそんなコンディション悪く見えるの? それとも、翠にボートから落ちる予定があるの?」
「えっ、ボートのコンディションに不安はないし、自分が落ちる予定もないよっ!? ただ、もしも落ちたら……って考えるとちょっと……」
「このボートは公園とかで貸し出しているボートよりも少し大きい作りだし、コンディションなら毎日稲荷さんがチェックしてくれてる。今朝も六時半に来てチェックしてくれてる」
「そうだったの?」
俺は頷いてから、
「だから、大丈夫。安心して持ってくるといい」
すると翠は、ハープを取りに部屋へ戻った。
「相変わらず素直な人間」
そう思えば笑みが漏れるというもので、翠といるだけで自然と笑顔が増えている自分に気づく。
「なんだかな……」
翠といたら、自分がどんどん変わっていく気がする。自分のペースを乱されることや、今までの自分を変えられることには嫌悪こそすれ、いいものとは思えなかったはずなのに、それが翠によってもたらされる変化だと思えば、悪いものには思えない。
「惚れた弱みってこういうことか……?」
そんなことを考えながらリビングへ戻ると、翠がキッチンで何かを探していた。
「何探してるの?」
「ツカサ、タンブラーってあるかな?」
タンブラーなら――
「食器棚の下の段に一リットル用が一本と五〇〇ミリリットル用が二本入ってた。なんで?」
「これ、さっきの残ってるから持って行かない?」
翠が示したのはキッチンテーブルに置かれた飲み残しのコーヒーとハーブティー。
これは持っていかない手はないよな。
「持っていこう」
「ツカサは氷入れる?」
「入れる。翠は?」
「私は常温でちょうどいい感じ」
飲み物を用意し終わると、翠は部屋の中から眩しそうに外を見ていた。
今日は膝丈のキュロットスカートにノースリーブのブラウスを合わせている。
気温に見合った格好だとは思うけれど、強い日差しを避けるための対策はしてしかるべき。
「翠、上に羽織るものは?」
「外、結構日差しが強かったから、日焼け止めだけ塗って上に羽織るのはよそうかな?」
気温のことを考えればそれが妥当か……。
「了解。じゃ、荷物持って行くから翠は日焼け止めを塗ってくればいい。あ、帽子は忘れるなよ?」
「了解」
タンブラーとタブレット、それから翠のハープを運びボートに積み込んでいると、少し遅れて翠が出てきた。
足早にやってきては、
「お待たせ!」
元気よく声をかけられる。
そして、次に積もうと思っていたハープを差し出され、それをボートに乗せてから翠に手を差し出すと、翠は器用にバランスをとってボートに乗り込んできた。
そんな翠と対面するように座ってオールを漕ぐと、ボートがスピードに乗ったところで翠が声をあげた。
「やっぱり、ウッドデッキと水の上は違うね? 涼しい!」
弾けんばかりの笑顔が眩しすぎ。
直視するのが気恥ずかしくなった俺は、ごまかすようにたずねる。「寒くない?」と。
翠は笑顔のまま、
「涼しい風と太陽の光でちょうどいい感じ」
「なら良かった……」
泉の中央まで来てオールを置くと、俺はタブレットを手に取り、翠はハープを抱えて爪弾き始めた。
正直、炎天下でタブレットを見るのは向かないと思った。液晶が見づらくて仕方がない。それでも別にいいか、と思えたのは、翠の演奏を聴くことができたから。
穏やかな表情でハープを爪弾く翠を見るのはかなり好きだ。
ここにスケッチブックがあったら――
あぁ、そうか。別に本やタブレットがなくても俺は時間を潰す手段があるじゃないか。
ボートにスケッチブックを持ち込んで翠を描けばいい。
初等部を卒業してから絵を描く習慣がなくなっていたが、翠の誕生日プレゼントに絵を描いてからというもの、趣味のひとつとして復活していたし、絵を描くことが好きだったことや、今でも好きであることを再認識していた。
昨日は緑の中にいる翠を描いたわけだけど、ここなら泉を背景とした翠を描くことができただろう。
今、翠の意識はこちらへ向いていない。ということは、写真を撮ってもおそらくは気づかないだろう。
そんな目論見のもと、さりげなくタブレットを翠へ向け、翠の撮影に成功する。
水面がキラキラと瞬く中にいる翠も、それはそれは美しかった。
一枚の写真に満足しては、今日までに撮り溜めた翠の写真をスマホに表示させていく。
その時々の状況を思い出しながら見て悦に入っていると、プツリ、と演奏が途切れた。
不思議に思って翠に視線をやると、翠は弦に指をかけたままぼーっと一点を見つめていた。
「翠?」
「えっ?」
「演奏が止んだけど、どうかした?」
「ううん。ちょっと色々考えていただけ」
「色々って?」
時に翠の考え事は、俺の予想の範疇を超えていて面食らうことがある。
多少の心構えをしていると、
「んーと……私たちはふたりでいるときでも別々のことをして過ごすことが多いでしょう? それを疑問に思われることがあって……」
「ごめん、言われた意味がよくわからない」
「あ、えぇと……普通の恋人同士っていう言い方が正しいのかはわからないのだけど、たいていのカップルは一緒にいるとき同じことをして会話を楽しむことが多いらしいの。でも、私たちは違うでしょう? だから、私とツカサは違うなって話をしたとき、一緒にいる意味がるのかを問われて……。私、お付き合いのなんたるかを語れるほどそういうことに詳しくはないからわからなくなってしまって、お母さんにたずねたの。そしたら、それは人それぞれだって。間違ってもそんなルールはないって教えてくれた。ただ、普段なかなかふたりきりで会えなかったり、ふたりで話す時間が取れない人たちにとっては、コミュニケーションに時間を費やさないと『付き合っている』とは言えない関係性になってしまうこともあるから、一緒に何かをする時間として過ごす人が多いのが現実なんじゃない? って。それには少し頷ける気がしたの。さらには私たちの場合、ツカサが率先して会う時間を作ってくれるから、そこまで会話に時間を費やす必要はないんじゃない? って」
碧さんが言うことはもっともだと思う。それにしても――
「ずっと会話してるとか、それ、どんな拷問?」
思ったことを口にすると、翠がクスリと笑みを零した。
「俺はもともと口数が多いほうじゃないし、翠だってそこまで話し続けられる人間じゃないだろ? そもそもそれって各々の性格によるところが大きいから、俺と翠に当てはめようとする必要はないと思うけど? 碧さんが言うのも一理ある。こまめに会っていれば、会ってるときにずっと話してる必要はないだろ」
翠はコクリと頷いた。
「友達に言われたからといって自分たちの何を改めるつもりはかったのだけど、ほかの人たちはそんなにも会っているときに会話をするものなのかな、って少し不思議に思っただけ」
あぁ、そういうこと……。
「手近なところで御園生さんに訊いてみればいいのに。簾条とか立花とか」
「飛鳥ちゃんに言われたから、訊くなら桃華さんや蒼兄かな? でもふたりに訊いても同じ答えが返ってくるだけだよね?」
翠はクスクスと笑う。でも、ほかに付き合っている人間たちと言ったら――
「優太とか嵐? いや、あそこは時間があれば喋ってるかいちゃついてるかのどっちかだな……」
そのほかだと久先輩と茜先輩くらいしか思いつかない。
兄さんと義姉さんのところは煌を介した会話が絶えないようだし、静さんと姉さんがふたりでいるところはめったに見ないし……。
そもそも、人間関係が乏しい自分があてにできる人間たちなどそうそういないことに行き当たる。と、
「そうだな。今度、佐野くんや香乃子ちゃんに訊いてみようかな? そういえば、静音先輩と風間先輩ってお付き合いしているの?」
突飛な質問を投げかけられ、俺は面食らう羽目になる。
「それ、なんで俺が知ってると思ったのかが知りたいんだけど」
「え? 同学年だし、風間先輩とは学部も同じで毎日のように顔を合わせているのでしょう?」
「だから、それでなんであいつの色恋沙汰を聞かなくちゃいけない?」
風間に恋愛事情を訊くとか、頼まれてもごめんなんだけど……。
俺から何か訊こうものなら面白がってマウントとってくるに違いない。そんなイラつく状況をわざわざ自分から作り出したいわけがない。
翠はぷうっと頬を膨らませてから、
「もう、相変わらず人に興味がないんだから……。少しは情報を調達してきてくださいっ! ずっと気になってるんだから」
「ふーん……じゃ、翠が訊けばいいだろ? 俺から風間に訊くとかあり得ない」
「なんとなく訊きづらいから訊けないのに! あ、でも……静音先輩になら訊けるかな……」
言いながら、翠は宙に視線を彷徨わせた。
俺はコーヒーで喉を潤してから手元の時計に目をやり、
「あと少しで三時。翠は薬の時間もあるし、そろそろ戻って昼食にしよう」
翠は、「もうそんな時間?」といったようにスマホで時間を確認すると、
「二時間も外に居たのね?」
言いながら麦わら帽子に手を当てて、びっくりした顔で手を離した。
どうやら相当熱かったようだ。
スマホに視線を落とせば翠の体温が目に入る。
少し長く陽に当たりすぎたかもしれない。
「戻ったら一度シャワーを浴びたほうがいい。翠は蓄熱体質だから、強制的に冷却するのが手っ取り早い。素麺は俺が用意するから」
「ごめん、お願いしてもいい?」
「問題ない」
そんな会話をしてから桟橋まで戻った。