光のもとでⅡ+
Side 司 17話
翠は寝室から顔だけを出し、みんなの顔を一巡してから寝室を出てきた。
額の冷却シートを外しながら、真っ直ぐキッチンへ向かおうとした翠を捕まえ、
「確認」
額に手を当てると、さほど熱いと感じない体温にまで下っていた。
「さっきよりは全然いいな」
「もぅ……スマホで確認できるでしょう……?」
翠は恥ずかしそうに小声で訴えてくる。
「数値はわかっていても、心配は心配だから」
この場にいる人間たちの代弁をしたつもりだった。けれど、
「司の過保護も困ったもんだよねぇ」
やけにのんびりとした口調で秋兄が言うものだから、
「どの口が言う?」
「どの口が言うんですか……」
思わず俺と蔵元さんの声が重なる。と、その場にいた唯さんと御園生さんがケラケラと笑い出した。
しかし突っ込まれた秋兄は、何を気にすることなく翠に話しかける。
「翠葉ちゃんの手料理食べるの久しぶりだから、ものすっごく楽しみにしてたんだ」
翠は簡単に髪の毛をまとめながら、
「手料理とは言っても市販のルーを使っているので、そこまで期待されるとちょっと困っちゃいます……」
言ってキッチンに入り、稲荷さんたちに挨拶をしていた。
そこへ割って入ったのは唯さんの声。
「いやっ! リィのカレーはおいしいよ! まず、入ってるものが普通じゃない!」
「へ? 入ってるものが普通じゃないって?」
秋兄がたずねると、唯さんは自信満々に答える。
「じゃがいもが入ってないんだ!」
「「「「じゃがいもが入ってない?」」」」
そのカレーを知らない人間たちが声をあげると、翠はおずおずと話し出す。
「えぇと、ハイ……じゃがいもは入っていません。……もしかして、じゃがいもがものすごく好きな方、いらっしゃいましたか?」
翠は不安そうに視線をめぐらせるが、みんなそういうつもりで声をあげたわけじゃないと思う。
ただ単に、じゃがいもの入っていないカレーを想像できないだけ。そして、じゃがいもの代わりに何が入っているのかを想像できないだけだと思う。
しかし、それが普通である翠にとっては、何を疑問に思われているのかがわからないようだ。
「質問ばかりしてるとご飯の用意が遅れるけど、いいの?」
俺の言葉に皆口を閉じ、
「そうよね……。邪魔しちゃ悪いわ」
雅さんが秋兄の右隣に座り、
「実際カレーを目にするまでのお楽しみというのもありますし……」
蔵元さんが秋兄の左側のスツールに腰を下ろした。
それに習うようにして簾条も、キッチン側の奥からふたつ目のスツールに座る。
四人が期待の眼差しをカレーの鍋へ向ける中、色彩豊かに盛り付けられたサラダボールがテーブルに並び、稲荷さんが口を開いた。
「翠葉お嬢様、ご飯はこちらに、デザートは冷蔵庫へ入れてございます。私どもは管理棟へ戻りますが、何かございましたらお呼びください。皆様が花火をされている間に片づけをいたしますので、その際にはご連絡いただけると幸いです」
「ありがとうございます」
仕事が一段落した稲荷夫妻は、「それでは失礼いたします」と一礼して星見荘をあとにした。
残るはカレーをよそって終わりという段階なのに、翠は左手にプレート、右手にしゃもじを持たまま、炊飯器の前で立ち尽くしている。
どうしたのか声をかけようとすると、情けない顔がこちらを向き、
「ツカサ、ご飯の分量ってどのくらいだろう……?」
ご飯の分量……?
「人それぞれじゃない? 一般的な一人前をよそって、それ以上に食べたい人間はおかわりをすればいい」
「そっか……。じゃ、一人前……」
炊飯器に向き直った翠は、またしても沈黙し呆然としている。
仕方なく声をかけると、今度は助けを求めるような目で見られた。
「あの、一人前ってどのくらい……?」
……あぁ、翠の家では各自食べたい分量を自分でプレートによそうんだっけっか……。
俺は翠の手からプレートとしゃもじを取り上げ、
「俺がやるから、翠はカレーをかけて」
「ごめん、ありがとう。でも私の分は――」
「翠の食べられる分量くらい把握してる。サラダとデザートもきちんと食べられるよう、考慮すればいいんだろ?」
「うん」
「じゃ、まずは年長者、蔵元さんの分から」
カレーと飲み物がすべて行き渡ると、翠はリビングへ向かって歩き出した。
「翠?」
「写真っ! みんなで写真撮ろう?」
翠は嬉しそうににこにこと笑って三脚の用意をし、八人全員とテーブルが写るような構図でセッティングした。
「セルフタイマー?」
「ううん、十秒って微妙な間だからリモコン使っちゃおうと思って」
でも、翠の席は簾条と俺の間。そこからすると、カメラに一番近い俺がリモコン操作するのがいい気がする。
「じゃ、リモコンは俺が預かる」
「あ、お願いできる?」
「問題ない」
「それなら、掛け声は俺が担当しようか?」
にこりと笑った秋兄が話に加わると、
「秋斗さーん、そこは司っちにお願いしようよ。司っちが『はい、チーズ』とか言うとこめっちゃ見たい!」
誰が言うか……。
唯さんを視線で制し秋兄を見ると、
「わかってるってば、俺が言うよ。じゃ、みんな撮るよー? はい、チーズ!」
問題なくシャッターが落ち、翠が確認を済ませたところで「いただきます」の声がその場に響いた。
大根入りのカレーに釘付けになっていた四人は、まじまじとカレーを観察していてなかなかカレーに手をつけない。そんな四人を放ってスプーンを口に運ぶと、いつもとは違う、けれど違和感は覚えないカレーが口腔に広がった。
「挽き肉カレーってこんな感じなんだ?」
「そうなの! お肉の甘みとかはしっかり出るのに、固形としてお肉が主張しないから私には食べやすくて」
「なるほどね……。それに、和風だしが染みた大根もおいしい」
大根は瑞々しく、その汁に和風だしをしっかりと感じられる。
関心しながら咀嚼していると、
「「ちょっとっっっ!」」
翠の正面に座る秋兄と、翠の向こう側に座る簾条から批難めいた声が飛んできた。
「じゃがいものの代わりに何が入ってるのか考えてたのに、なんであんたがばらすのよっ」
「そーだそーだっ! 簾条さんが正しいっ!」
「……っていうか、普通に見ればわかるだろ?」
否、わからなかったのか……?
一瞬にして押し黙ったところを逃す手はない。
「あぁ、わからなかったんだ? 観察力の欠片もないその目はいったいなんのためについているんだか」
そこまで言うと、瞬発力のみで簾条が反応する。
「そんなわけないでしょっ!? 見ればわかるわよっ! ただ、食べて確認するまで口にするのは控えようと思っていただけでっ――」
「それって、俺が食べた感想を口にしちゃいけない理由にはならないと思うし、もし仮に、先に簾条が感想を述べたとしても、俺は文句なんて言わないけど? どれだけ狭量なわけ?」
言葉に詰まった簾条へさらに追い討ちをかけようとしたところ、左手を翠に掴まれた。
「ふたりともストップ……。このまま言い合いするならふたりのカレー、取り上げちゃうんだから……」
翠は俺と簾条を交互に見て、場合によっては今すぐにでもプレートを取り上げる、と言わんばかりに両の手を待機させている。
さすがに食べ始めたばかりの夕飯を取り上げられるのはたまらない。何せこれは翠が作ったカレーで、翠が作ったカレーを食べるのは初めてのことなのだから。
同じことを思ったのか、簾条も静かにスプーンでカレーを掬い始めた。
そんな俺たちを見て、翠も食事に意識を戻す。と、
「でもホント、このカレーおいしいよ! 俺、挽き肉のカレーって初めてだけど、こんなにおいしいんだね? あ、もちろん大根もおいしいよ!」
秋兄がひとり満足気に感想を話し出すと、雅さんがそれに乗じた。
「えぇ、本当に。私も挽き肉のカレーは初めていただきます」
その言葉に、藤宮では挽き肉カレーがスタンダードではないのかもしれないと思う。一方蔵元さんは、
「うちの実家は挽き肉カレーがスタンダードでしたね。しかもこのカレーと同じ豚挽き肉。脂の甘みがいい感じに調和するんですよね。……しかし、大根を入れるとはどういう発想で……? お母様の作るカレーがじゃがいもではなく大根だったのですか?」
翠は若干戸惑いながら、
「いえ、母が作るカレーはごく一般的なじゃがいものカレーです」
「ならどうして?」
「じゃがいもが入ってるカレーが嫌いというわけではないのですが、じゃがいもが入っているカレーはすぐお腹がいっぱいになってしまうので、食べるのがちょっと苦手だったんです」
ものすごく翠らしい理由に思わず口元が緩みそうになる。
「それなら、じゃがいもの代わりになるお野菜はないかな、って考えるようになって、考え始めた翌日の夕飯がおでんで、そこからヒントを得て大根を入れてみることにしたんです」
あまりにも単純すぎるきっかけに噴き出す一歩手前だった。それを秋兄に目撃されて、瞬時に顔を背ける。そこへ、
「さすがは俺の妹っ! 着眼点が普通じゃないっしょ!」
唯さんが大仰に自慢すると、御園生さんがクスクスと笑いながら、
「なんで唯が自慢するんだよ」
その突っ込みには一票投じたいところだが、普段から忙しい合間を縫ってレシピ考案に尽力している人間という部分を踏まえると、何を言うでもない。
黙々とカレーを口に運ぶ傍らで、みんなは和やかに笑いながら食事を進めていた。
「ねえねえ花火は? 花火はいつする? 今日やるんでしょ? 俺、ちゃんと陽だまり荘から花火持ってきたよっ?」
すでに食事を終えた唯さんは、持ってきた花火を指差しながら、今にも立ち上がりそうな勢いで口にする。
そんな様を見て、社会人チームは呆れた様子ではあるが、少しは落ち着けと言う人間はいない模様。
「ご飯食べてすぐだと翠葉がデザートを食べられないから、これを食べたらやるというのはどうでしょう?」
「桃華っちに賛成っ!」
「そうね……。でも翠葉さん、食休みはしなくても大丈夫?」
雅さんにたずねられた翠は、
「はい。もともとデザートが食べられる分量しかよそっていないので、問題ないです」
気負いなく答えているところを見ると、ご飯の分量は適量だったらしい。
「じゃ、デザートまで食べてからでも大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です」
「いいねっ! じゃ、デザート食べたあと、水辺でやろうっ!」
話がまとまると、正面の秋兄が動いた。
「翠葉ちゃん、おかわりちょうだい!」
翠が食事中なのなんて見ればわかるのに、なんで翠指名……? バカなの?
目の前に差し出されたプレートを見て翠はクスリと笑い、手に持っていたスプーンを置いた。
「どのくらい食べますか?」
「半人前くらいかな」
「了解です」
色々納得できなくて、寸でのところでそのプレートを奪う。
「翠は食べてていい。俺がやる」
「でも――」
「半人前がどのくらいかわかるの?」
翠はパチパチと目を瞬かせ、俺の手にもうひとつプレートがあることに気づいたようだ。
「俺も追加で食べようと思ってたところだから」
翠は自分の食事を優先させろ。
そんな思いで見つめ返すと、
「……じゃ、お願いしちゃおうかな」
翠は浮かせた腰を再度落ち着け、スプーンに手を伸ばした。
俺が背面の作業台にプレートを置こうとしたとき、
「翠葉ちゃんによそってもらいたかったのにー。なんで司なんだよー」
秋兄が諦め悪く文句を言い出す。
俺は不機嫌を隠さず振り返り、
「何か問題でも? 俺で不満なら自分でよそえ。翠はまだ食事中だ」
「ちぇー……。ケチらずカレーたっぷりかけろよな」
俺は何を答えることなく背を向ける。
「ちょっ、司くんっ!? いい子のお返事は?」
「そんなものを俺に望むな」
カレーは全部で十皿分あるわけで、俺と秋兄がおかわりをしても問題なく足りる分量が残っている。しかし、秋兄より自分の皿に多めにカレーを盛り付けようかと思う程度には、秋兄がうざかった。
こういうのはきっと今後も変わらない。
翠が絡むことにおいて、俺が寛大になることはないだろう。
額の冷却シートを外しながら、真っ直ぐキッチンへ向かおうとした翠を捕まえ、
「確認」
額に手を当てると、さほど熱いと感じない体温にまで下っていた。
「さっきよりは全然いいな」
「もぅ……スマホで確認できるでしょう……?」
翠は恥ずかしそうに小声で訴えてくる。
「数値はわかっていても、心配は心配だから」
この場にいる人間たちの代弁をしたつもりだった。けれど、
「司の過保護も困ったもんだよねぇ」
やけにのんびりとした口調で秋兄が言うものだから、
「どの口が言う?」
「どの口が言うんですか……」
思わず俺と蔵元さんの声が重なる。と、その場にいた唯さんと御園生さんがケラケラと笑い出した。
しかし突っ込まれた秋兄は、何を気にすることなく翠に話しかける。
「翠葉ちゃんの手料理食べるの久しぶりだから、ものすっごく楽しみにしてたんだ」
翠は簡単に髪の毛をまとめながら、
「手料理とは言っても市販のルーを使っているので、そこまで期待されるとちょっと困っちゃいます……」
言ってキッチンに入り、稲荷さんたちに挨拶をしていた。
そこへ割って入ったのは唯さんの声。
「いやっ! リィのカレーはおいしいよ! まず、入ってるものが普通じゃない!」
「へ? 入ってるものが普通じゃないって?」
秋兄がたずねると、唯さんは自信満々に答える。
「じゃがいもが入ってないんだ!」
「「「「じゃがいもが入ってない?」」」」
そのカレーを知らない人間たちが声をあげると、翠はおずおずと話し出す。
「えぇと、ハイ……じゃがいもは入っていません。……もしかして、じゃがいもがものすごく好きな方、いらっしゃいましたか?」
翠は不安そうに視線をめぐらせるが、みんなそういうつもりで声をあげたわけじゃないと思う。
ただ単に、じゃがいもの入っていないカレーを想像できないだけ。そして、じゃがいもの代わりに何が入っているのかを想像できないだけだと思う。
しかし、それが普通である翠にとっては、何を疑問に思われているのかがわからないようだ。
「質問ばかりしてるとご飯の用意が遅れるけど、いいの?」
俺の言葉に皆口を閉じ、
「そうよね……。邪魔しちゃ悪いわ」
雅さんが秋兄の右隣に座り、
「実際カレーを目にするまでのお楽しみというのもありますし……」
蔵元さんが秋兄の左側のスツールに腰を下ろした。
それに習うようにして簾条も、キッチン側の奥からふたつ目のスツールに座る。
四人が期待の眼差しをカレーの鍋へ向ける中、色彩豊かに盛り付けられたサラダボールがテーブルに並び、稲荷さんが口を開いた。
「翠葉お嬢様、ご飯はこちらに、デザートは冷蔵庫へ入れてございます。私どもは管理棟へ戻りますが、何かございましたらお呼びください。皆様が花火をされている間に片づけをいたしますので、その際にはご連絡いただけると幸いです」
「ありがとうございます」
仕事が一段落した稲荷夫妻は、「それでは失礼いたします」と一礼して星見荘をあとにした。
残るはカレーをよそって終わりという段階なのに、翠は左手にプレート、右手にしゃもじを持たまま、炊飯器の前で立ち尽くしている。
どうしたのか声をかけようとすると、情けない顔がこちらを向き、
「ツカサ、ご飯の分量ってどのくらいだろう……?」
ご飯の分量……?
「人それぞれじゃない? 一般的な一人前をよそって、それ以上に食べたい人間はおかわりをすればいい」
「そっか……。じゃ、一人前……」
炊飯器に向き直った翠は、またしても沈黙し呆然としている。
仕方なく声をかけると、今度は助けを求めるような目で見られた。
「あの、一人前ってどのくらい……?」
……あぁ、翠の家では各自食べたい分量を自分でプレートによそうんだっけっか……。
俺は翠の手からプレートとしゃもじを取り上げ、
「俺がやるから、翠はカレーをかけて」
「ごめん、ありがとう。でも私の分は――」
「翠の食べられる分量くらい把握してる。サラダとデザートもきちんと食べられるよう、考慮すればいいんだろ?」
「うん」
「じゃ、まずは年長者、蔵元さんの分から」
カレーと飲み物がすべて行き渡ると、翠はリビングへ向かって歩き出した。
「翠?」
「写真っ! みんなで写真撮ろう?」
翠は嬉しそうににこにこと笑って三脚の用意をし、八人全員とテーブルが写るような構図でセッティングした。
「セルフタイマー?」
「ううん、十秒って微妙な間だからリモコン使っちゃおうと思って」
でも、翠の席は簾条と俺の間。そこからすると、カメラに一番近い俺がリモコン操作するのがいい気がする。
「じゃ、リモコンは俺が預かる」
「あ、お願いできる?」
「問題ない」
「それなら、掛け声は俺が担当しようか?」
にこりと笑った秋兄が話に加わると、
「秋斗さーん、そこは司っちにお願いしようよ。司っちが『はい、チーズ』とか言うとこめっちゃ見たい!」
誰が言うか……。
唯さんを視線で制し秋兄を見ると、
「わかってるってば、俺が言うよ。じゃ、みんな撮るよー? はい、チーズ!」
問題なくシャッターが落ち、翠が確認を済ませたところで「いただきます」の声がその場に響いた。
大根入りのカレーに釘付けになっていた四人は、まじまじとカレーを観察していてなかなかカレーに手をつけない。そんな四人を放ってスプーンを口に運ぶと、いつもとは違う、けれど違和感は覚えないカレーが口腔に広がった。
「挽き肉カレーってこんな感じなんだ?」
「そうなの! お肉の甘みとかはしっかり出るのに、固形としてお肉が主張しないから私には食べやすくて」
「なるほどね……。それに、和風だしが染みた大根もおいしい」
大根は瑞々しく、その汁に和風だしをしっかりと感じられる。
関心しながら咀嚼していると、
「「ちょっとっっっ!」」
翠の正面に座る秋兄と、翠の向こう側に座る簾条から批難めいた声が飛んできた。
「じゃがいものの代わりに何が入ってるのか考えてたのに、なんであんたがばらすのよっ」
「そーだそーだっ! 簾条さんが正しいっ!」
「……っていうか、普通に見ればわかるだろ?」
否、わからなかったのか……?
一瞬にして押し黙ったところを逃す手はない。
「あぁ、わからなかったんだ? 観察力の欠片もないその目はいったいなんのためについているんだか」
そこまで言うと、瞬発力のみで簾条が反応する。
「そんなわけないでしょっ!? 見ればわかるわよっ! ただ、食べて確認するまで口にするのは控えようと思っていただけでっ――」
「それって、俺が食べた感想を口にしちゃいけない理由にはならないと思うし、もし仮に、先に簾条が感想を述べたとしても、俺は文句なんて言わないけど? どれだけ狭量なわけ?」
言葉に詰まった簾条へさらに追い討ちをかけようとしたところ、左手を翠に掴まれた。
「ふたりともストップ……。このまま言い合いするならふたりのカレー、取り上げちゃうんだから……」
翠は俺と簾条を交互に見て、場合によっては今すぐにでもプレートを取り上げる、と言わんばかりに両の手を待機させている。
さすがに食べ始めたばかりの夕飯を取り上げられるのはたまらない。何せこれは翠が作ったカレーで、翠が作ったカレーを食べるのは初めてのことなのだから。
同じことを思ったのか、簾条も静かにスプーンでカレーを掬い始めた。
そんな俺たちを見て、翠も食事に意識を戻す。と、
「でもホント、このカレーおいしいよ! 俺、挽き肉のカレーって初めてだけど、こんなにおいしいんだね? あ、もちろん大根もおいしいよ!」
秋兄がひとり満足気に感想を話し出すと、雅さんがそれに乗じた。
「えぇ、本当に。私も挽き肉のカレーは初めていただきます」
その言葉に、藤宮では挽き肉カレーがスタンダードではないのかもしれないと思う。一方蔵元さんは、
「うちの実家は挽き肉カレーがスタンダードでしたね。しかもこのカレーと同じ豚挽き肉。脂の甘みがいい感じに調和するんですよね。……しかし、大根を入れるとはどういう発想で……? お母様の作るカレーがじゃがいもではなく大根だったのですか?」
翠は若干戸惑いながら、
「いえ、母が作るカレーはごく一般的なじゃがいものカレーです」
「ならどうして?」
「じゃがいもが入ってるカレーが嫌いというわけではないのですが、じゃがいもが入っているカレーはすぐお腹がいっぱいになってしまうので、食べるのがちょっと苦手だったんです」
ものすごく翠らしい理由に思わず口元が緩みそうになる。
「それなら、じゃがいもの代わりになるお野菜はないかな、って考えるようになって、考え始めた翌日の夕飯がおでんで、そこからヒントを得て大根を入れてみることにしたんです」
あまりにも単純すぎるきっかけに噴き出す一歩手前だった。それを秋兄に目撃されて、瞬時に顔を背ける。そこへ、
「さすがは俺の妹っ! 着眼点が普通じゃないっしょ!」
唯さんが大仰に自慢すると、御園生さんがクスクスと笑いながら、
「なんで唯が自慢するんだよ」
その突っ込みには一票投じたいところだが、普段から忙しい合間を縫ってレシピ考案に尽力している人間という部分を踏まえると、何を言うでもない。
黙々とカレーを口に運ぶ傍らで、みんなは和やかに笑いながら食事を進めていた。
「ねえねえ花火は? 花火はいつする? 今日やるんでしょ? 俺、ちゃんと陽だまり荘から花火持ってきたよっ?」
すでに食事を終えた唯さんは、持ってきた花火を指差しながら、今にも立ち上がりそうな勢いで口にする。
そんな様を見て、社会人チームは呆れた様子ではあるが、少しは落ち着けと言う人間はいない模様。
「ご飯食べてすぐだと翠葉がデザートを食べられないから、これを食べたらやるというのはどうでしょう?」
「桃華っちに賛成っ!」
「そうね……。でも翠葉さん、食休みはしなくても大丈夫?」
雅さんにたずねられた翠は、
「はい。もともとデザートが食べられる分量しかよそっていないので、問題ないです」
気負いなく答えているところを見ると、ご飯の分量は適量だったらしい。
「じゃ、デザートまで食べてからでも大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です」
「いいねっ! じゃ、デザート食べたあと、水辺でやろうっ!」
話がまとまると、正面の秋兄が動いた。
「翠葉ちゃん、おかわりちょうだい!」
翠が食事中なのなんて見ればわかるのに、なんで翠指名……? バカなの?
目の前に差し出されたプレートを見て翠はクスリと笑い、手に持っていたスプーンを置いた。
「どのくらい食べますか?」
「半人前くらいかな」
「了解です」
色々納得できなくて、寸でのところでそのプレートを奪う。
「翠は食べてていい。俺がやる」
「でも――」
「半人前がどのくらいかわかるの?」
翠はパチパチと目を瞬かせ、俺の手にもうひとつプレートがあることに気づいたようだ。
「俺も追加で食べようと思ってたところだから」
翠は自分の食事を優先させろ。
そんな思いで見つめ返すと、
「……じゃ、お願いしちゃおうかな」
翠は浮かせた腰を再度落ち着け、スプーンに手を伸ばした。
俺が背面の作業台にプレートを置こうとしたとき、
「翠葉ちゃんによそってもらいたかったのにー。なんで司なんだよー」
秋兄が諦め悪く文句を言い出す。
俺は不機嫌を隠さず振り返り、
「何か問題でも? 俺で不満なら自分でよそえ。翠はまだ食事中だ」
「ちぇー……。ケチらずカレーたっぷりかけろよな」
俺は何を答えることなく背を向ける。
「ちょっ、司くんっ!? いい子のお返事は?」
「そんなものを俺に望むな」
カレーは全部で十皿分あるわけで、俺と秋兄がおかわりをしても問題なく足りる分量が残っている。しかし、秋兄より自分の皿に多めにカレーを盛り付けようかと思う程度には、秋兄がうざかった。
こういうのはきっと今後も変わらない。
翠が絡むことにおいて、俺が寛大になることはないだろう。