DEAR MY LIAR
「これも練習だから」
「だけど転んでまた悪化させたら……」
「過保護だな、若葉は」
「おじちゃんがそれ言うの?」
おじちゃんの退院の日、当然“妄想彼女”は何もしてくれないので、わたしが仕事を休んで迎えに行った。
病室から車までは病院の車イスを借りたけど、車から部屋までは松葉杖を使うしかない。
慣れない松葉杖に苦労するおじちゃんを何度も支えようとするけれど、そのたび頑なに拒まれていた。
「こんなに段差ってあったかな」
「アパート、一階ならよかったね」
ゆっくり階段を上ってきたおじちゃんは、入院のせいもあってふらふらで、何もないところでつまずいた。
「危ないなぁ」
伸ばした手はまたもや振り払われる。
「大丈夫、大丈夫」
わたしは仕方なくおじちゃんを先導する形でアパートのドアを開けた。
「ここ、最後の段差気をつけて」
玄関と部屋の間にある段差は低くて、室内に砂が入りやすくて困っていた。
もっと高ければ靴を履くにも楽だったのに、と思いながらおじちゃんが入りやすいようにサンダルや傘を避ける。
「ふうー、やっと着いた」
ちゃんと注意したのに、おじちゃんの松葉杖は低い段差のちょうど境目に当たり、ずるりと滑った。
これが三回目の踏み外し。
おじちゃんがグラリとバランスを崩す。
「危ないっ!」
倒れてくるおじちゃんを抱き止めるように手を広げたけれど、男のひとの体重は予想より重く、結局尻餅をつく形で玄関先に座り込む。
あちこちぶつかって、お尻も手も顔も痛くて、すぐには気づかなかったけれど、唇が、おじちゃんのと重なっていた。
条件反射で身を引き、距離を取る。
身体に残るどの痛みよりも、濡れた唇のすーすーとした冷たさが強く感じられた。
「……や、やだー、おじちゃん、痛いよ。あ、足は大丈夫?」
このときおじちゃんは、四つ目の決定的な何かを踏み外した。
いつもみたいにへらへらするべきだった。
「しっかり支えてよ、若葉ぁ」って笑い飛ばすべきだった。
それなのに、おじちゃんは真っ赤な顔をして固まっていた。
「……おじちゃん?」
おじちゃんは激しく動揺したまま立ち上がろうとして、また転ぶ。
それでも這うようにわたしから離れて、背中を向けたまま叫んだ。
「ごめん、若葉! もう帰って。ごめん!」