恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「腎不全のルカに強制給餌を頼む」

 すぐに二階に上がり、腎臓用療法食とシリンジを用意してルカのケージに向かう。

 腎臓用療法食はおいしくないみたい。ルカもだし、他の子もなかなか食べてくれない困った餌。

 ルカは十七歳のキジ白の男の子で、高齢化による慢性腎不全で酸素室に入院している。

 輸液と投薬のおかげか、まだ自力でトイレには行ける。

「ルカ、調子はどう? 少しでも食べて元気になろう」
 毛づやも食欲もないルカ、少しでも元気になってくれたら嬉しいよ。

 シリンジに入れた餌を上顎にあてて、シリンジを少し押すと、しばらく舐めているから嬉しくて顔がほころぶ。

「噛んで飲み込んだ、やったねルカ」
 カルテに摂取量を記入して院長に見せると、安堵の表情を浮かべた。

 その数時間後、外来が途切れたのを見計らい強制給餌をしていた。

 少し離れたところから、注がれる視線の圧が強い。
 院長がルカの様子を見に来ていて、腕組みをしたまま動かないで観察しているから。

「もうそれくらいでいい」

「でも、猫は三日食べないと命に関わる病気になります。ルカは自力で食べられません。だから、免疫をつけるためと元気になるために」
 すべて承知の院長は、黙って私の言い分を聞いている様子。

「元気にしてあげたい気持ちは十分に理解している。でもルカの気持ちを尊重してあげよう」

 口調は、なだめるように優しい。でもルカだって元気になりたいよね。
 それがルカの気持ちを尊重するってことでしょう? 

 まだまだ私は知識と経験が足りないかもしれない。
 でもルカを助けたい、楽にしてあげたい気持ちは人一倍強い。

 それからも外来が途切れた合間にルカの様子を見に行き、帰りは着替えてから逢いに行った。
 ケージの中のルカは箱座りでリラックスしていて、私を見て喉をぐるぐる鳴らす。

「ルカ、元気そうでよかった」
 殺菌灯の青紫に光る薄暗い中で、寂しくなかった?

 ルカの顔を見て、体を撫でながら話しかけると安心したみたい。
 私の話を聞きながら、水晶玉のような美しいまん丸の目を細める。

「まだいたのか」
 入院室に院長の声が低く響き、一つひとつ患畜の輸液ポンプのチェックをしている。

「いいか、よく聞け。医療従事者なら、ルカの気持ちに同調するな」
 何か感情を抑える低い声は初めて聞いた。

 気持ちに寄り添うのが、役目じゃないの?

「ルカに逢えると癒されるんです」
「あまり患畜に入れ込むな、もう帰れ。なにも考えずに、ゆっくり休め」
 促されて、立ち去りがたい想いで入院室をあとにした。

 なにも考えるなと言われても、ルカが気になって目は眠たいのに頭が冴えちゃって、結局浅い眠りのまま翌朝を迎えた。

 保科につくまで、何度かあくびが出てしまった。

 気を引き締めようと、軽く頬を叩いて小さなあくびを我慢して待機室に入った。
「おはようございます」
「おはよう」

 院長が、なにか言いたげな顔で見ているから、なんだろうかと表情から読み取ろうと言葉を待った。

「しっかりと寝ろ」
 気づいていたんだ。少し口もとが緩みそう。
 昨日は少しだけ冷たく感じたけれど、案外いい人かも。
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