恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「院長?」
「ごめん」
「どいてください、早く! 水が出てきちゃいます!」
「それはない」

「こうしていられない、早く外へ出ましょう、水浸しになります!」
 早くしないと!

 驚いて思わず身を起こすと、視線がばったり合っていた院長も驚いたように視線をそらして起き上がり、決まりが悪いのか運転席に座り直した。

「早く、なにしてるんですか!」
 ドアを開けようと背中を向けた。

「水が出るのは冗談だ、見た通りシートが倒れる」
 振り返って座り直したら、院長が平静を装い、倒れたシートを戻した。

 クールに振る舞うけれど、院長の顔は真っ赤っか。

「い、院長も冗談を言うんですね、アハハハハ。ま、真顔だから本当なのかと思いましたら、なにこれ、シートが倒れちゃうんですね、アハハハハ」

 頭の中がぐるぐるして真っ白で、顔も体も火照って熱くて仕方ない。もう笑ってごまかすしかない。

「本当なのか? 本当に水が出るのを本気にしたのか」

『大丈夫か?』って言いたげな驚いた顔で私を見てきた。
 でも、視線がからまったら、すぐにそらされた。

「あの、えっと、だから、院長のおっしゃることは、なんでも信用し、してますから、あの、だから、つまり、私は院長を心から信じてます!」

 二秒くらい院長の真っ赤な横顔を見たら、私の言葉に、まんざらでもない表情で前を向いている。

「ただでさえ広いのに、このシートが倒れたら、ノインもフェーダーも大恩もゆったりできますね。私も」

「私も?」
 院長がびっくりした顔で見てきた。

「え、私は違います。どうして私が出てきちゃったのかな。うしろも、たっぷり荷物を乗せられますよね、よかった」

 院長が軽く頭を振った。緊張した猫がリラックスするときに体を振るみたい。

「刺激された好奇心は治まりそうもないな。そろそろ出発してもいいか」

「すみません、よろしくお願いします」
「しっかりと前を向いて」
「はい」

 エンジンをかけても揺れないし静かだし、走り出しも車体が動いていないみたい。
 絹の上でも走っているような乗り心地で、スムーズに走り出した。

「院長のいうふれあい動物園って、どこですか」
 丁寧に所在地を教えてくれた。

「私が行きたいふれあい動物園とおなじです。すぐそこって、おっしゃいましたけど、電車と徒歩だと、まあまあの距離があると思います」

「すぐそこだ」
 あっけらかんと答える。

「わかった。院長は、いつも走ってるから距離感が、すぐそこなんだ」
 独り言も、ちゃんと聞いてくれているみたい。

「そういう見方もあるんだな」
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