恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 院長の頭って柔軟性がある。とりあえず、どんな意見も一度はおもしろいって受け入れてくれる優しさも。

「静かで走行が優しいですね、走ってないみたい。運転上手ですね」
「自動車の性能がいい」

「院長が優しいからです。ノインもフェーダーも大恩も喜んで乗ってますでしょ、安心してリラックスできますもん」

「大切な命を預かっているから」
 まっすぐに前を向き運転している横顔が、凛々しくてかっこよくて見入ってしまう。

 電車と徒歩だとけっこうあるけれど、自動車だと早いんだ。

 駐車場で自動車を下りると、すぐに看板が見えてくる。

 看板や白い門と柵も、当時のままだから時計が戻ったみたい。

 九月の心地いい陽気に誘われたように、家族連れやデートの人たちでにぎわい、人波が行き交う。

「すみません、荷物」
「いい、俺が持つ」
「ありがとうございます。あああ、いいお天気」
 青空に向かって両手を広げた。

 穏やかな風が木々を揺らし、緑のいい香りが鼻腔をくすぐりながら、さらさらと髪を撫でていく。

 大都会のオアシスが、私の心と体をリフレッシュさせる。

 お父さん、空から見ている? 久しぶりに来たよ、懐かしいでしょう。

「気持ちいいくらい澄み切ってる。きれいな青空も空気も洗ったみたい」

「発想がユニークだ」
「雲は、しゃぼんの泡です」
「発想がユニークだ」

 周りを見渡せば小さなころのままで、嬉しくて瞳がきらきら輝く。 

「ここは、よく両親に連れて来てもらってたんです」
「そうなのか」 

 目と目が合ったら院長ったら、すっと俯いちゃった。

 入園料を支払おうとしたら『せっかく賭けに勝った特権を遠慮なく行使しろ』って、私の分も支払ってくれた。

 左手は荷物を持ち、右手はポケットに入れ、背筋を伸ばして歩幅を広く保ち、ゆったりと歩く姿は惚れ惚れする。

 入ってすぐに二重扉の広いスペースがあって、山羊やニワトリが放し飼いになっていた。そうそう、こうだった。

 あのときの光景がよみがえる。

「小さなころ、山羊にスカートをむしゃむしゃされたんですよ。凄く強い力で、ぐいぐい引っぱられて怖かった」

「けっこう山羊の力は強い、角の突き上げも強烈だ」

「そんな危ないこと、山羊からされたんですか」
「ここでは一度もない。獣医学生のとき、研修先の牧場で突き上げられた」

「瞬発力があって、運動神経がいいから避けられるでしょうに」
「仲間を助けた」

「かっこいい。そうですよね、院長が避けられないわけがないですもん」

 たいしたことないって顔しているけれど、ヒーローみたいで、かっこいい。

「痛かったですよね?」
「痛いよ」
 聞くまでもないよね、想像するだけで痛い。

「それでですね、泣いてたら両親よりも先に駆けつけて助けてくれた、お兄ちゃんがいたんです」

「川瀬は一人娘じゃなかったか?」
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