恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「ここで大丈夫です」
 首を伸ばして、前方をきょろきょろ確認する。

「ダメだ、夜道は危ない。マンションの前まで送る」
「すぐそこですよ?」
「わかっている、黙って送ってもらえ」

 数分でマンションに到着した。院長が運転席のドアを開け、助手席に回ってドアを開けてくれた。
「ありがとうございます」
 素っ気ない顔で返事のしるしに頷かれた。

 長身でもゆったりと入る車内に上体を入れ、後部シートから荷物を取って手渡してくれた。

「今日はありがとう、ごちそうさま」
「こちらこそ、わざわざ自動車を出して連れて行ってくださって、ありがとうございます」
「マンションに入れ」

「今日は本当に楽しかったです。とってもとっても嬉しかったです」
 隠しきれない笑顔が抑えきれない。いけないと思うのに、つい本音を伝えたくなる。
 あと一言が出ない。

 ──こんなに嬉しいのは、賭けに勝ったからじゃないんです──

「入れ」
 ぽんって軽く肩を押され、自然に足が前に出た。振り向きざまに目と目が合う。

「行け」
 そっと腰に添えられた手に押された。
「おやすみなさい」
「おやすみ、また明日」

 背中を向けて歩を進め、マンションの玄関に入ろうとした私の耳に少し声を張った院長の声が届いた。

「楽しかった、今日はありがとう。ゆっくり休め」
 院長の声に振り返った。

 どんな顔で今の言葉を発したの?

 ポケットに手を入れた、すらりとした長身が照れくさそうに、玄関に入るまで眺めている。

 院長に駆け寄りたい心と体は抑えられても、嬉しさが込み上げる笑顔は抑えられない。

「また院長といっしょに、お出かけしたいです。また絶対に連れて行ってくださいね」
 広い歩道と自動車の往来が激しい道路に負けないように、頭のてっぺんから声を上げた。

 日々、強くなる想いを院長に届けたくて。

「そんなに賭けに勝ちたいのか、負けず嫌いの本領発揮だな」

 珍しく笑い声を上げている。実は、私の本当の気持ちをわかっているんじゃない?

 最初は、おもしろ半分のゲーム感覚で賭けに勝ちたかった。今は賭けに勝ちたいわけないじゃない。

 抑えきれない気持ちが、心から弾けて飛び出してハートになって舞う。拾い集めなくちゃいけないくらいたくさん。

「おやすみなさい」
「おやすみ」
 後ろ髪を引かれる想いでマンションに入った。
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