恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 ***

 今日、朝イチの患畜はミックス犬の一歳の男の子でライツ。

 体重を測り、体温計を測ろうと尻尾を持っただけで悲鳴に似た、耳につんざく鳴き声を上げ派手に吠えまくる。

「ライツ、大げさ。看護師さん、まだなにもしてないわよ」

 診察台に肘をついて椅子に深く座り、足を組んで壁に寄りかかる貫禄十分の態度を見る限り、このオーナーは常連なのかも。

「ライツくん、ごめんね。嫌だよね、気持ち悪いよね。すぐに終わるからね」

 アレルギー性結膜炎で来院のライツ様を、どうにか落ち着かせよう。診察では、しっかりと保定しないとね。

 利かん坊で点眼をさせてくれないって、オーナーが困り果てている。

 人間も顔に性格が出るけれど、犬猫もわかりやすく出る。
 さっき初めてライツを見たときから、利かないだろうなと思ったら、やっぱり利かん坊だった。

 ライツのカルテにはオーナーにはわからないように、スタッフだけが一目でわかるマークがついている。

 ちなみにライツは唸りながら牙を剥くレベルだから、慎重に気をつけろのCのマーク。

 CはCAUTIONの頭文字。
 レベルとしては、なにをしてくるのか油断できない程度。 

 これで噛みついたら、注意、警告のWのマーク。

 WはWARNINGの頭文字。
 注意しろとか、気をつけろなんてレベルじゃなく危険!

 さらに上をいく最上級レベルは、脅威にさらす真っ赤なアラート状態の、“D”ってマークが記入される。
 DはDANGERの頭文字。

 これは動物病院によってマークが違う。

 小川のときとは、まったく別物だったから保科に来た当初は、まずカルテのチェックをして保科式のマークを覚えた。

 覚えないと患畜、オーナー、獣医師、自分の安全を守れない危険に身を晒すことになる。

 問診を済ませ、待機室の院長に報告する。
「ライツは大げさだろう? さっきの悲鳴はライツなりの毎度のパフォーマンスだ、気にするな」

 私にミスはなかった。それを、わかってくれている。

 カルテに目を落としたまま、「いっしょに入って」と指示されて、診察室に入る院長のあとにつく。

「おはようございます。ライツくん、点眼させてくれないですか」
 院長が診察室のドアを開けながら、オーナーに声をかけて椅子に座った。

 ライツは院長のことを自分に嫌なことをする人と認識しているね。

 院長の顔を見るなり、親の仇を討つように派手に吠えまくるんだもん。院長がかわいそうになるくらいに。

「ライツ、威張ってる」
 オーナー、違うでしょ。そこは躾をして、きっちり鳴き止ませないと。

「ライツくん、今日も元気だな。嫌だよね。僕、すっかりライツくんに嫌われましたね」

 微笑みを浮かべてライツから視線を移してオーナーに話しかける。

 僕って何度聞いても、院長のキャラが違うから耳慣れない。

 診察室中に響き渡る、耳につんざくような鳴き声は、脳まで響いて揺らされているような感覚。

 院長は気を遣って「ライツくん、元気だな」って。
< 130 / 239 >

この作品をシェア

pagetop