恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 待機室に院長が来た。なんとなく悪いことをしていた気がして立ち上がった。

「どうした? 座ってていい」
「すみません」
「川瀬が珍しいな。なにか、やらかしたのか」
 院長が座りながら、「座れ」と促すから申し訳ない気持ちのまま、お言葉に甘えて腰かけた。
「さっき院長が首を突っ込むなっておっしゃいましたよね」
「ああ、川瀬には関係ないことだからだ」

「今さっきまで、受付から香さんの声だけが聞こえてきてて、突っ込むつもりはなかったのですが、首が抜けませんでした」
「ユニークな発想だ」
 含み笑いを浮かべて小首を傾げている。

「香さんの言葉だけで、池峰さんと院長のことがわかりました。あれは院長の、お心遣いですよね」
「違う、見当違いにも程がある」
「違いますか、お二人のことが凄くわかりやすかったですよ。院長が話を聞かれてしまうなんて、あんな凡ミスします?」

 気になって瞳を見つめたら、すぐに顔ごと下にそらされた。

「立ち聞き常習者の川瀬なら、人の話を聞くことなんか、お手のものだろう。そもそも川瀬が悪い」
 話をすり替えられた気が。立ち聞き常習者ときたか。でも、私が悪い。

「途中で二階に行けたのに、ずっと首を抜こうとしないで、突っ込んだまま聞いてしまいました。申し訳ございません」

「盗み聞きもか、悪趣味だ」
「私が盗みに行ったんじゃなくて、自分から訪ねて来たようなもんです」

「よく、そうして頭と口が回るな」
「院長も、いつも香さんからおなじこと言われてますよね」
 あっ、まずい。立ち聞きがバレる。

「それも盗んだのではなく、訪ねて来たのか」
「ええ、まあ、自分から私の耳の中に入ってきましたよね」
 院長が思わず、ふんと鼻を鳴らし頬を緩ませて笑う。

「物は言いよう、たいしたやつだ」
 呆れたように首をひねり、苦笑いを浮かべている。

「ノンネのオーナーの経緯は、川瀬に聞こえた通りだ。解決もした。そういうことだ」
「まさか診察室で、あんな会話をしていたとは」

「ドアに顔をこすりつけ、耳を澄ましている川瀬の荒い鼻息が、実は診察室の中まで聞こえていた。盗み聞きばかりして悪いやつだ」
「すみませんでした」

「事実なのか。冗談で言ったつもりだったんだが」
「そういうことしたらダメです」
「それは、こっちのセリフだ」
 両手を広げて肩をすくめる院長が、目を見開いて笑いながら言った。

 つられて笑ってしまい、池峰さんのことも解決したし、なんだかとても幸せで嬉しくて、笑いが止まらなかった。

 院長は、さっきまでなにかを背負っていたみたい。今は肩の荷が下りて安堵感いっぱいな顔で微笑んでいる。

 私には関係ないことと言いながら、やっぱり池峰さんとの事の成り行きを、香さんの声を借りて私に伝えてくれたんでしょう。

 クールで無頓着なのに不器用ながら、たまに優しいんだから。
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