恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 時間は刻一刻と過ぎ、電気ショックのサイクルに合わせて激しい息遣いが漏れ、時計を見た院長が口を開く。

「あとはルントの生命力に賭けよう」
 大きく唾が鳴って、院長の強い瞳に向かって頷く。
「ルント戻って来て、まだ旅立つには早すぎる。ルント、こっちに!」

 徐々に冷たくなってきているルントの前肢を、命を吹き込むように握り、撫でながら声をかける。

 そのあとも院長は、額に光る汗をスクラブの肩で拭きながら、何度も心肺蘇生を試みる。

「モニターを見てみろ」
 私が心電図を見るのを確認した院長が、電気ショックを中断した。

 モニター心電図の波形が一直線になり、アラームが無情に鳴り響く。再び心肺蘇生開始。

「ルントの心臓は電気ショックで動かされている状態だ、循環徴候なし」
 電気ショックを中断すると、ルントの体は動かない。

「呼吸、瞳孔反応なし、落ちた(死んだ)
 ルントの死亡を確定した院長が、大きなため息をついた。

「ルント、助けてあげられなくてごめんな」
 心身ともに虚脱感でいっぱいの院長が、オペ用マスクを引きちぎり顔面から外した。

「お疲れ様です、力不足ですみませんでした」
「お疲れ様、いっしょに頑張ってくれてありがとう」

 額に滲む汗をきらりと輝かせ、優しく微笑んでくれた。

「ルント、頑張ったね、お疲れ様。もう痛みや苦しみから解放されたね」
 ルントの体を撫でながら話しかけた。

「役に立てなかった」
 助けよう、命を救おうとしている一生懸命な姿を見て、誰が役に立ってなかったなんて思う? 

 すべての処置を終えて、徹底的に消毒をし終わったら、「少し上で話さないか」って。

 初めて院長からそんなことを言われて、驚きを隠せず、まじまじと見つめる。
「嫌か?」
 小首を傾げる隣で何度も首を横に振る。

 私でさえ、ほとんど休憩室に長居をすることはないのに、院長が休憩室に入ること自体、あまりないんじゃない?

 ゆっくりと階段を上がる院長のあとについて、三階の休憩室に上がった。

 話って、なんだろう。顔は怒っていないようだし。
 キッチンでコーヒーを入れて、中央にあるソファーに座った。

 コリをほぐすように軽く何度か首を振る院長が、はらりと落ちる髪を優雅な手つきでかきあげる。

 できるだけ優しい声で諭すような口調が、自然と耳に入ってきた。

「医師は人間が嫌いでも医師になる場合がある。でも、獣医師は動物が好きだから獣医師になる」
 動物が好きだから。

 この気持ちひとつを強く持ち続け、学生時代からさまざまなことを犠牲にしてまで勉強に明け暮れて獣医師になったんだと思う。
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