恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 緑茶ハイを飲んでいる、海知先生の隙を見計らったように、院長が口を開く。

「さっきの、俺の物真似の完成形って?」

 純粋な目をして答えを待つから、しどろもどろになり、「忘れてください」と胸の前で両手を振り、“黙って”と歯を食い縛って、海知先生に合図を送った。

「院長」
 待ってよ、どうして話しかけるの。今、しっかりと私の合図を見たよね。

 何事もなかったように、院長に向かって呼びかける海知先生に顔を歪ませ、激しく首を横に振る。

「なんだよ、カブトムシ食ったあとみたいな顔して」
「カブトムシなんて食べたことないです」
「苦いんだよ、あれ」
「え!? ホントに!?」
「馬鹿、食うわけねぇだろ。瞬時に頭で考えろ」

 やり取りを見た院長が、肩を震わせて控えめに笑う。

「院長、話の続きです、川瀬が脱線させてしまった」

「私じゃないです、カブトムシの話を出してきた海知先生のせいです」  

「川瀬が食いついてきたじゃないか、カブトムシの味が苦いだけに」 

「なにをうまいことを言えと」
「あれはうまくない、まずい、苦い、固い」
「もういい」

 締めの私の言葉にかぶって、院長が遠慮なく鼻の頭にしわを集めて、げらげら笑い転げる。

「すごいな、おもしろい。打ち合わせをしているのか。川瀬に、こんな一面があったなんて」

 しなやかな指先で目尻を拭い、こらえきれない笑いを体中から溢れ出している。

「あなたも、こんなに笑うのね」
 香さんが瞳をきらきら輝かせ、愛しげに院長に視線を送った。

「院長、物真似は見ないほうがいいです。ただの不細工が、ひどい不細工になるだけです」

 真顔で言い切った海知先生の言葉に、院長が俯いて肩を震わせる。

「もうダメだ、この人たち」
 震える声で、隣に座る香さんに話しかけている。

「私、もう初めての日から、とっくに撃沈」
 香さんは、ハンカチを出して、涙を拭っている。

「ところで、院長のタイプは?」 

 唐突な質問を涼しい顔でする海知先生に、焼酎ロックを吹き出すかと思った。

 好奇心いっぱいな笑顔に向け、院長が迷いなく即答。

「一生懸命で思いやりがあり、発想がユニークな人に惹かれます」

「それに、気が強くて負けず嫌いもでしょ」

 からかって茶化す香さんを、院長が砂を噛むような不快な表情で睨んだ。

「イケメンは外見を重要視しないんですね。大丈夫だ川瀬、その顔でも」

 からかうような目が覗き込む。 

「ど、ど、どうして、わ、わ、私が院長」

「新手のラッパーか? どうしたんだよ、そんなにムキになって」

 まさか、院長が好きなタイプなんて、答えるとは思わなかったんだもん。

「落ち着け、院長が川瀬を好きになるわけがないだろ。選択肢に入ろうだなんて、そこからが、もうずうずうしい」

「今日こそ、その口を畳針で縫いますよ」
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