恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「パルポで、ルントが落ちた(死んだ)ときは、一滴も涙を流さなかった」

「前の私でしたら、院長の言葉で気づかされたと思います」

「自身で気づいていたか。あれから患畜は患畜、同調もせず、自分ではないとはっきり区別ができている」

「はい、できてます。ある日、今までの私の心持ちは違うと気づいたんです」

「川瀬は自身で脱した。もう患畜の立場を考えられるから、同調して泣くことはない、安心できる」
 同時に深く頷いた。

「かわいそう、助けてあげたいという気持ちはもつ。でも、あまり想いすぎると重荷になり、心のバランスを崩してしまう」
「今の私なら理解してます」
 院長が深く頷いて耳を傾ける。

「それに強制給餌。元気にしてあげたい気持ちは伝わっていたが、以前は盲目的に動物の立場も理解せずにおこなっていた」

 どんな私でも全否定しないで、一度受け入れてくれてから諭してくる。

「すみません」
「今は、もう理解できている。強制給餌は動物にとって大きなストレスだということを」
「はい。オーナーの経済的負担もストレスになることも」
 そこまでわかれば、言うことなしみたいな顔で頷く。

「強制給餌は、おこなうことで病気が治ったり、大幅に延命が可能な場合を前提として行う処置だ。それも理解したな」
「はい」

 バーテンダーの指先が滑らかに流れ、カクテルをコースターに置く。
 また、誰のオーダーか言っていないのに。
 私のコースターには、サイドカーっていうカクテルが。

 院長のコースターには、ライラっていうカクテルが。
 ライラを一口飲んだ院長の、小首を傾げて顎を引くしぐさを合図にカクテルに口をつける。

「動物にだって意志がある。大好物でさえ口にすることを嫌がる。たとえオーナーの手からでも。わかるよな?」
「はい、経験してます」

「最終的に水も口にしなくなり衰弱していく。もちろん、飲み込む力が失われることや内臓機能の低下なども原因だが動物の意志でもある」
 その通り、十分に理解している。

「生きようと健気に必死に頑張った。しかし、もう辛いんだ苦しいんだ。ここまでわかる?」

 瞳を覗いてくる真剣な目を、しっかりと見てわかったしるしに頷く。

「つまり人間のエゴで、動物に盲目的な愛を押しつけてはいけない」

「あのときは、『院長は感情が薄い』だなんて、生意気なことを言って申し訳ございませんでした」
 これ以上、下げられないくらいに頭を下げる。

「頭を上げろ」
 困った笑い声が聞こえる。
「ご迷惑をおかけしましたし、呆れましたよね」
 消え入るような声で質問した。

「そんなこと、まったく思っていなかった」
 意外な発言に、なにか答えが書いてあるのか瞳の奥を凝視する。

「とにかく動物の立場を理解してあげてほしかった。シンプルに、ただそれだけだ」
 拍子抜けするくらい、さらりと言う。

「経験を積めば理解すると信じていた。川瀬なら、川瀬だから」

 信じていたから、理解した私は当然の結果みたいで特別に喜ぶでもない。
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