恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「あなたは、こと女性に関しては、不器用で言葉足らずなところがある。でも、誰に対しても優しいわよね」

 鼻柱も動かさず院長は聞き入っている。

「あなたの言葉だけで、自分の主張ばかりして、あなたの気持ちをないがしろにしてごめんなさい」

 院長の背中を優しくさすっている手には、愛情が注がれ、反省の気持ちがこもっている。私には香さんの気持ちがわかる。

「なんてことはない、気にならない」

 院長の言葉からは自分はどう思われてもいい、香さんの気持ちには負担をかけたくはない。
 そんな想いが受け取れる。

 香さんの重くなりそうな気分をなくしてあげる心遣いには、院長の深い愛情がこもっている。

「ありがとう」
 院長は、人の感情に無頓着なんかじゃない。

「あなたは、川瀬さんをひとりでタクシーに乗せることで、川瀬さんを木城さんから守ったのね」

「院長は、有言実行で必ず守ってくれます。それに、香さんが心配してくださったことが、とても嬉しいです。お二人とも、ありがとうございます」

「当たり前のことをしてるのよ。私は川瀬さんが好きだから、愛情があるから心配するのよ。嫌いだったら心配なんかしない、そうでしょう?」

 同意を求めるように、院長の顔を仰ぎ見る香さんは、院長の反応なんか気にしていられないって感じ。

「ひとりでタクシーに乗せられたらダメなんですか。タクシーで男の人に送ってもらったことがないから知らないんです」

「ダメっていうか。ああ、でもタクシーにいっしょに乗る送り狼もいるか。でも、うちの明彦は、真面目で野暮だから送り狼じゃないわね」

 ぶつぶつ、なにを呟いているの? 香さんが、頭に浮んだ考えを整理するみたいに呟き続ける。

「だから明彦の場合は、いっしょにタクシーに乗っても大丈夫ね」
「さっきからなんですって?」

「タクシーは密室だから、男性と二人きりになったら危険ね。ダメダメ、川瀬さんを守らないとね」

 私の問いかけは、聞いていないみたい。周りの音が、いっさい耳に届かなくなったみたいに考え込んでいる。

「結論が出たわ」
 勢いよく上げた香さんの顔の目力が強い。

「は、はい、なんでしょうか」
 圧が凄いから、無意識に上体がうしろに反った。

「よく聞いて。あなたが、これから自動車に乗っていい男性は明彦だけよ」

「なんだって?」
 ぽかんとしている私を尻目に、ずっしりと重い疑問符が隣から飛んできた。

「明彦は、真面目で無頓着で野暮ったいから安全なのよ」 

「急にどうした?」
 香さんを飲み込みそうな勢いで、院長が上から香さんを見下ろしている。

「川瀬さんは、私たちが守らないとね。だから、自動車に乗るのは明彦だけよ」

「アネキの持論は、ぶっ飛んだ極論だ」
「片寄ってないじゃないのよ」
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