恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 また急いで、薬と水と包帯を持って来た。

「薬を飲んでいてください、飲むんですよ」
 念を押すために左肩に手を置いた。
「痛っ」

「あっ、ごめんなさい! つい夢中で無意識でした。タオルを」
 急いで三階に行き、タオルを持って引き返して来た。

「脂汗は引いたみたいですが、汗」
 タオルを院長の顔に軽く当てた。

「距離が近い、離れろ、自分でできる」
 怪訝そうに瞳を流して、顔を横にそむける。

「すみません」
「タオルに縁があるな、ありがとう」
 俯いて、顔を上げてくれない。

「包帯巻きますよ」

「終わったら、ヴァンスに給餌してくれ。いくら簡単なオペとはいえ、これでは明日はできない、五日後に延期する」

「五日後ですか」
 なにを驚いているみたいな顔で見ている。

「五日後では遅いか?」
「いいえ、そうじゃなくて、早いんですよ」

「そのころには痛みはとれている」
「とれてるわけないです、縫うほどじゃないですが痛いですよ」

「川瀬は繊細で神経質だから、痛みに敏感なんだ」
「あ、そっか、院長は痛みにも無頓着だ」
 院長の言うことは、腑に落ちる。

「ち、違います。うっかり独り言をすみません、包帯きつくありませんか?」

「ありがとう、きつくない、無頓着だから」
 少し口角を上げて、ニヤッとされた。

「痛みますか?」
「いや、平気だ」
 上げた口角が一文字に締まった。ときおり見せる横顔が深刻なのは痛いから?

「なぜヴァンスは向かって来たのか。縄張りに入られたと思ったのか、ストレスか、女性だからか」

「このことは、オーナーに言わないでください」
 一言一句を区切るように強調すると、私の顔を見てきた。

「オペの延期理由は、ヴァンスの体調がベストじゃない、そう言ってください」 

「ダメだ、今回のことは話す」

「それこそクチコミで広がります。おまけに噂に尾ひれがついたり、デマだったり。それだけは避けたいです」

「クチコミがなんだ、噂がなんだ。大切なアニテク(動物看護師)が、無抵抗なのに噛まれそうになったんだ」

 なおも続けて訴えてくる。

「世間の目に、平然と立ち向かえるだけの自信が俺にはある、男には守るべきものがある」

「傷に響きますから、大きな声は控えてください、今からアイシングします」
 急いで冷凍庫から冷却剤を持って来て、肩に当てた。

「冷たすぎませんか」
「ああ」
 また上の空で考え事して。なにか思うことがあるのかな。

「ヴァンスのオーナー」
 オーナーがどうしたのかと、次の言葉を待った。

「前の動物病院から、うちへ来たのは散歩仲間のクチコミって、おっしゃっていたが本当は出禁では?」

「前の動物病院からですか」
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