恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 立ち上がった院長が、ブルーの前開きケーシーを羽織りながら戻って来た。

「四日間ほどはケーシーだな」

 ぽつりぽつりと呟きながら、ファスナーを上げている姿をしゃがみ込んだまま、下から見上げた。

「なぜ、じろじろ見ている?」
「ケーシー姿もかっこいいですね」

 私に目もくれずヴァンスを観察しながら、首を横に一瞬、くいっと傾げている。

 子どものころから、かっこいいって言われすぎているでしょうから、かっこいいって意味がわからなくなっているのかな。

「失礼します、襟」
 中に入り込む襟を直した、右側の襟は痛くて直せないよね。

「今やろうと思った」
「すみません」
 痛いでしょうに無理して。

 ヴァンスが食べ終わったから、いつもの調子でケージに触れたら、そっと制止された。

「俺がする」
 隣で小さな声で囁いた。
「ヴァンス、よく食べたな、いい子だ」

 ケージを開けた院長の長い腕が、いとも簡単に食器を手に取り、引き寄せる。
 刺激しないようにケージを閉めて、カギをかけた院長が立ち上がった。

「明日の朝も川瀬は近づくな、ヴァンスのことは俺がする」
「はい」
「目を合わせろ、わかったな?」
「はい」
 仰ぎ見る私に念を押してきた。

「前に言ったことを忘れていないよな、行動にメリハリをつけることを意識的に考えろ。探究心と好奇心は、ほどほどにしろ」

「はい」
「今回は、大恩の家のときとは勝手が違う」
 危険なことだって理解している。

「庇ってくださって怪我をしてしまい、私のために本当にすみませんでした」

「庇ったわけでも川瀬のためでもない。さっき言っただろう、アニテク(動物看護師)がいないと困る、ただそれだけだ」

 頭を下げて、すみませんとしか言えない。
「川瀬は悪くないのに、なぜさっきから謝る」
 不思議そうに首を傾げて呟いている。

「もう上がっていい。ありがとう、お疲れ様」
「お疲れ様です」
 顎先が真上に向きそうなほど見上げて、背伸びをした。

「必死だな」
 鼻で笑われたけれど、笑われたって構わない。とにかく、いうことを聞いて。

「行け、帰れ。安心しろ、俺は大丈夫」
「アイシ、あっ」
 まだ途中でしょっ。ドアを閉めちゃった、もう!

 後ろ髪を引かれる想いで帰宅した。
 夕食や入浴を済ませても、院長のことが気になり思い切ってメールをしてみた。

 即行で届いた返信は一言、『メールは重要性がある緊急以外では送ってくるな』だって。
 
 だから『緊急ではないですが、今が重要なときです』って送信したら、またすぐに返信が届いて、文面は『俺にとっては重要ではない』って。

 わかりましたよ。メールの締めくくりは明日、必ず病院に行ってほしいことを伝えた。

 一晩中やきもきした一夜が明け、保科に急いだ。

「おはようございます」
 待機室に入ると、院長がちらりと視線を向けてきた。
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