恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「さてと始めるか」
「はい」
ヴァンスを気遣い、そっと立ち上がる院長が二、三歩下がって、肩から背中までを伸ばした。
「痛っ」
「大丈夫ですか」
「いつもの調子で伸びをしたら、ちょっと響いただけだ」
「だって今、『痛っ』って」
「言葉の綾だ」
そんな子ども騙しを。違う、絶対に違う。
「私を庇ったから。すみません」
「一言でも庇ったと言ったか、庇ってなんかいない」
痛そうに歪んだ顔から一変、鼻柱ひとつ動かさない冷静な顔つきになった。
「くれぐれも体に障ることは、しないでくださいね」
「わかっている」
ヴァンスのカルテを手にした院長が、Dマークをつけた。
「仕方ない。どんな理由であれ、怪我をさせるほど噛んでしまったから」
院長の言う通り、事実は事実。
院長は入院患畜の処置、私は患畜の世話を始めた。
院長が無理をしないか、気が気じゃなくて観察しては、ちょくちょく口出しをしてしまう。
「おい」
体から力が抜けた院長が、声も脱力して笑った。
「いちいち心配していないと、気が済まない性分だな。動物だけかと思ったら、人間に対しても発揮するのか」
「気になることをするからです」
口うるさい私を煙たがらないで、おもしろがっている。そっちの方がいいけれどね。
けっこう長い時間、院長は私の口うるささを我慢していたね。
このくらい広い心で、おおらかじゃないと手強いやオーナーや動物相手に、経営者なんかできないか。
「顔色もいいだろう、チアノーゼも出ていないだろう、これで安心か? もう心配するところはないだろう」
高い鼻にしわを寄せて、口を真横に広げ、歯並びのきれいな真っ白な歯を見せてきた。
なんかチアノーゼじゃないのを見せたっていうより、イ──ってされた気分。
「あと治らないと心配なところは、屁理屈を並べ立てる、この口だけか」
ニヤリとしながら、親指で唇をなぞっている。自分で承知なんだ。
「そんなことないです」
「取ってつけたようなセリフだ、嘘をつけない性分でもあるんだな」
「本当ですったら」
勢いで、つい院長の左肩を叩きそうになった、危なかった。
そうしたら、院長が一瞬だけ反射反応で、左肩を庇うようなしぐさで、顔を歪ませた。
やっぱり痛いんじゃないの、体は正直なんだから。
院長のPHSが鳴った。受付にヴァンスのオーナーがお見えになったって。
「オーナーに上がって来てもらってくれ。ヴァンスは刺激しないほうがいい」
PHSをしまうと、『奥の洗濯機の方に行っていろ』って指示されたから、奥に引っ込んだ。
慌ただしくオーナーが入院室に入って来て、院長との挨拶もそこそこに口を開いた。
「今回はヴァンスのことで、先生に怪我を負わせてしまい、申し訳ございませんでした」
謝罪の言葉と同時に上体を低く丸め、肩先が震えている。
「お顔を上げてください、たいしたことないですから」
オーナーとは対照的に院長は飄々としている、心の底から本気でたいしたことないって思っているから。
「はい」
ヴァンスを気遣い、そっと立ち上がる院長が二、三歩下がって、肩から背中までを伸ばした。
「痛っ」
「大丈夫ですか」
「いつもの調子で伸びをしたら、ちょっと響いただけだ」
「だって今、『痛っ』って」
「言葉の綾だ」
そんな子ども騙しを。違う、絶対に違う。
「私を庇ったから。すみません」
「一言でも庇ったと言ったか、庇ってなんかいない」
痛そうに歪んだ顔から一変、鼻柱ひとつ動かさない冷静な顔つきになった。
「くれぐれも体に障ることは、しないでくださいね」
「わかっている」
ヴァンスのカルテを手にした院長が、Dマークをつけた。
「仕方ない。どんな理由であれ、怪我をさせるほど噛んでしまったから」
院長の言う通り、事実は事実。
院長は入院患畜の処置、私は患畜の世話を始めた。
院長が無理をしないか、気が気じゃなくて観察しては、ちょくちょく口出しをしてしまう。
「おい」
体から力が抜けた院長が、声も脱力して笑った。
「いちいち心配していないと、気が済まない性分だな。動物だけかと思ったら、人間に対しても発揮するのか」
「気になることをするからです」
口うるさい私を煙たがらないで、おもしろがっている。そっちの方がいいけれどね。
けっこう長い時間、院長は私の口うるささを我慢していたね。
このくらい広い心で、おおらかじゃないと手強いやオーナーや動物相手に、経営者なんかできないか。
「顔色もいいだろう、チアノーゼも出ていないだろう、これで安心か? もう心配するところはないだろう」
高い鼻にしわを寄せて、口を真横に広げ、歯並びのきれいな真っ白な歯を見せてきた。
なんかチアノーゼじゃないのを見せたっていうより、イ──ってされた気分。
「あと治らないと心配なところは、屁理屈を並べ立てる、この口だけか」
ニヤリとしながら、親指で唇をなぞっている。自分で承知なんだ。
「そんなことないです」
「取ってつけたようなセリフだ、嘘をつけない性分でもあるんだな」
「本当ですったら」
勢いで、つい院長の左肩を叩きそうになった、危なかった。
そうしたら、院長が一瞬だけ反射反応で、左肩を庇うようなしぐさで、顔を歪ませた。
やっぱり痛いんじゃないの、体は正直なんだから。
院長のPHSが鳴った。受付にヴァンスのオーナーがお見えになったって。
「オーナーに上がって来てもらってくれ。ヴァンスは刺激しないほうがいい」
PHSをしまうと、『奥の洗濯機の方に行っていろ』って指示されたから、奥に引っ込んだ。
慌ただしくオーナーが入院室に入って来て、院長との挨拶もそこそこに口を開いた。
「今回はヴァンスのことで、先生に怪我を負わせてしまい、申し訳ございませんでした」
謝罪の言葉と同時に上体を低く丸め、肩先が震えている。
「お顔を上げてください、たいしたことないですから」
オーナーとは対照的に院長は飄々としている、心の底から本気でたいしたことないって思っているから。