恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
第十三章 入院室に高鳴る心臓の音
 もう一匹、気がかりなリンの入院は二日目を迎えた。

 夕方に浅永さんがリンのお見舞いにやって来たから、診察中の院長に代わり、入院室にお連れした。

「リンちゃん、よかったね、お母さんが来てくれたよ、嬉しいね」
 ケージの中のリンに声をかけ、抱き上げた。

「こちらへどうぞ」
「すみません」
 診察台の横にある治療用の椅子に、二人で座り、リンを浅永さんの腕の中に渡した。

「浅永さんが、リンちゃんを大切にしていらっしゃるのがわかります。毛づくろいをできないリンちゃんですが、とてもきれいです」

「リンの体調がよさそうなときは、拭いてあげてるんですよ」
「毛並みがきれいですね」

 体は骨が浮き出て、かなり痩せてしまって
いるけれど、毛並みは健康な子に近いくらい整っている。

 オーナーの愛情は動物の外見に現れる、目やにもなくきれい。

 浅永さんにとっても、リンと離れるのは辛いよね。これだけマメに手入れをしてあげて大切にしていたら。

 階段を上がって来る足音がする、院長、いつもより足早。
 早く浅永さんと話して、安心させてあげたい気持ちが、足音から伝わってくる。

「こんにちは、リンちゃん、よかったね」
「こんにちは、お世話になってます」

 椅子から、少し腰を上げて挨拶する浅永さんの横顔に、控えめながら笑みが浮かんだ。

「どうぞ、腰かけてください」
 私の隣の椅子に座った院長が、リンの病状や今後の方針を一通り話した。

「浅永さん」
 院長の優しい呼びかけは、大切なことを言う表情で浅永さんを見つめている。

「たとえばリンちゃんの癌を治して、寿命を延ばすことはできなくなっても、痛みをとる治療は重要です」

 浅永さんの表情は、わかったような、わかっていないような表情で固い。

「痛みは、病気や体内で起こっている変化がわかる警告です。すでに癌が原因とわかっている状況では、この警告はもう必要ないんです」

 浅永さんが、頭の中と心の中を整理しているみたい。
 微かに口を動かしながら、院長の言葉を心の中で復唱している様子。

「原因がわかっているリンちゃんに痛みは、いらないです、取り除いてあげたいんです」
 リンの病状は、そこまできているのか。

「つまり、癌の痛みを軽減してあげることが、リンちゃんのストレスを少なくするんです」

「痛みで苦しむリンは、かわいそうです。できることなら代わってあげたい、見ているのが辛いです」

 院長は、以前から何度となく続けている浅永さんとの話し合いの中で、緩和ケアの支援を視野に入れた方がいい提案を伝えている。

 癌の根治の見込みがなくなっても、できる限りの延命治療で、少しでも長くいっしょにいたいオーナーもいる。

 逆に、たとえ命は短くなろうとも苦痛を伴う治療はやめて、痛みや苦しみや辛さを取り除き、残された時間を楽に生かしてあげたいオーナーもいる。
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