恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 どちらが正解というのはない、人により考え方が違うのは当たり前。

 どちらを選択しても、そこにオーナーの患畜への深い愛情が込められているのは、痛いほど伝わってくる。

 どうなるのかは、わからない。
 もしかしたらリンは、安楽死になるかもしれない。

 安楽死はオーナーに判断を委ねて、初めて施すもので、獣医師の判断では施さない。

 リンの病状により浅永さんは、リンの最期の命の決断を迫られる。

 今の段階で浅永さんは、重大な決断に関わってきている。

 こんなに辛いことはない。想像するだけで胸が締めつけられて、息もできないくらい苦しくなる。

 浅永さんは、最初のうちは緩和ケアのイメージで緩和ケアの話を嫌い、なかなか受け入れてくれなかったって院長が話していた。

 院長が話す、緩和ケアの話を何度となく聞いていたら、イメージとは違う緩和ケアの真実がわかってきて、今では興味をもってくれているって。

 首がうなだれて、背中も丸くなってしまった浅永さんが、リンを撫でながら口を開いた。

「食事が喉を通らなくなって、昨夜は一睡もできませんでした」
「大丈夫です、食べたら自然に体は眠りますよ」

 診察台に腕を置いて、リラックスしている院長の励ましに、浅永さんは聞いているのか聞いていないのか頷かない。

「無理してでも、おにぎり一口だけでもいいので食べてみてください。体は疲れていて、食べたがっているんです」

 院長の言葉をうけて、待機室に下りて、小さなチョコレートの箱を持って戻って来た。

「浅永さん、私たちといっしょにいただきましょう、どうぞ」
「ありがとうございます」
 手渡すと浅永さんが頭を下げた。

「召し上がってください」
 院長にも渡した。
「ありがとう」
 院長や私の笑顔に、浅永さんも少しずつ笑顔になった。

「看護をしている者こそが食べなきゃいけないですから、僕らはモリモリ食べています。浅永さんもいっしょに食べましょう」

 口々に、いただきますと言うと口に含んだ。

 以前は、患畜の病状に左右されて、精神的にダメージを受け、食欲が落ちて食べられなかった。

 その私が気づけば、患畜がどんな状況に陥っても、今では食欲が落ちることはない。

「いいですね、みんなで食べるとおいしいですね」
 膝に置いた浅永さんの手を握りながら、話しかける。

「最近の私には、こんなふうに味わう余裕がなかったです。チョコレートがこんなにおいしいだなんて」

 味わうように、ゆっくりと食べている浅永さんに、安らかな顔が戻りつつあって安心する。

「少しずつでも、日常の生活にしていきましょう、病気に支配されないように」
 院長の言うことがわかる。
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